tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

選挙投票所のユーザビリティ

2005年07月31日 23時59分02秒 | Weblog
今日は、奈良市長・市議会選挙。
投票は朝7時から夜8時まで。私は夕方5時くらいに行って来た。
両親は7時前に行って、投票所が開く前に着いたそうだ。
もうその時点で、たくさんの人が来ていたらしいが、若い人はいなく、
高齢者ばかりだったとか。

私は朝の五時から、墓参りに行ってきて、その時間帯は、寝ていた。
金曜日の夜は飲んで帰ってきたが、土曜日の昼から、出かけなくては
ならない用事があって、自転車で出かけた。暑いから水ばかり飲んでいたが、
二日酔いにはこれが一番いいみたいだ。
でも、疲れはどっと出て、本日。

いつものように、小学校が投票所だけど、体育館の一部を使って行う。
関係者がやたらと多くて、しかもヒマそうにしている。立会人というやつだ。
大学院の時の先輩が、この立会人をされたそうだが、かなりヒマだったと
聞く。

せまい記入所で書くのだけど、候補者の名前一覧が一枚しかなく、
小さく低い位置にあるので、
一度、記入所から出て身を乗り出して見るような格好になる。
記入所ごとにはってあればいいのだが、そうでもない。

少し視力が弱かったりすると、見えないくらいだ。
候補者一覧も、本当にテーブル(表)になっていて、その順番が、
何らかの規則に基づいて書いてあるわけでもないから、
もっと探しにくい。こないだの掲示板の順番は、届け出順だったそうだ。
あの順番で書いていてくれるほうが見やすい。

どの候補者にも公正にというのが、かえって投票者に迷惑なシステムに
なっているようだ。

記憶にございません

2005年07月30日 18時23分44秒 | Weblog
昨日の仕事終わり間際、上司から飲みに誘われた。何でも飲まないとモチベーションが下がるらしい。人を集めようとしたが、あいにく金曜日でみんな早々と帰ったりする。仕事が残っている人もいて、ついに2人でいくことになった。残った人たちから、心配そうな目で見送られた。

上司はプロジェクトリーダーという役職だが、まだまだ若い。飲みながら話をすると、私と同い年だった。この会社に来て、まだ9ヶ月くらいだということである。去年くらいから急速に拡大した会社だが、前職の出版関係の知識が買われて、転職したらしい。転職でこの会社に流れ着いたという人が多い。みんな、ジーンズなどをはいて、ウォークマンやラジカセを小さくかけたりして仕事をしている。とにかく自由だが、仕事はそれなりに多い。上司もジーンズだ。

酒席における私は、自分がべらべらしゃべるよりも、人から話を引き出すほうだ、とにかくしゃべらせて、ストレスを発散させる役回りが多い。勿論、重要な話も聞くことが出来る。このとき聞いた話は、ほぼ忘れないようにしている。
学生時代、酒席で先生から話を聞かされるのだが、この話をきれいさっぱり忘れる同期の男がいた。大学院進学にも熱心だったが、名指しで声がかかったのは私だった。先生も、「あいつは根本的に、酒席などでのルールがわかっていない、酒席の延長に、いつもの授業があるのだが・・・」と言われたことがある。

さて、昨日は散々飲んで、終電になんとか間に合った。ふらふらで、階段で足を踏み外すくらいだった。それでも、家に着くまでの記憶ははっきりしている。しかし、家に入ったそれからの記憶がないのだ。どうも、玄関で寝ていたみたいだ。それから居間にいって、そのままの格好で寝てしまったらしい。朝方暑さでようやくおきたが、風呂に入ってしばらく経つと、ものすごくしんどい。そのまま、寝入ったが、3時間くらいでおきると、何とか復活した。

もうザルのように飲んだのだが(それを上司は喜んだ)年のせいかなと思うことがある。でも、まだまだお酒には強いみたい。

一つの会社に長く勤めていることが良いという思想

2005年07月28日 23時22分18秒 | Weblog
今日も残業してきて、やっと電車に乗ったかと思うと、高校時代の友人がいた。
旧友と会って心和む風景が展開した・・・と思ってもらっては困る。実際には逆だ。

確かに、友人とは高校時代よく「つるんで」いた。しかしそれは当時の話だ。あの頃はまだ、世間知らずだったといえよう。しかし、高校を卒業した後のルートがまったく異なった。私は偶然にも、大学に入り、大学院を通過し、とある旧帝国大学で研究用のトレーニングを受けることが出来た。進路変更し、社会人となった後も、いくつかの職を転々としているが、その範囲は非常に狭い。人間やれることなど限られているし、このご時世だ。
一方、友人は高校卒業後、公務員試験用の専門学校に通ったが、公務員にはなれず、印刷関係の一般企業に勤めた。その企業に、入ってこのかたずーっと勤めている。10年以上だ。

だから、会うたびに話が説教くさくなる。これがすごい難点だ。
しかし、なんか変である。彼は終身雇用・年功序列が壊れたこの国で、ずーっと勤めているのである。しかも何年も勤めていることに違和感を覚えるどころか、逆に他人の前で優越感すら感じているのである。まあ、その仕事がいいと感じるのならばそれでいいのかもしれないが、こんな人間、もはや少数派だろう。彼も私もたかだか30年ほどしか生きていないのだが。

「一つの会社に長く勤めている人間はいい人間」こんなカテゴライズがかつてはまかりとおっていたのである。しかし、もっと不思議なのは、中途採用を進めておきながら、前の会社の在職年数をしきりに気にする企業のほうだ。

ところで、私はこれまで高校のクラス会に一度も出たことがない、彼のように「常識」だけで語る人間が多いと何かとやりにくいし、まして高校時代につまらなかった人々がその後変わったとも思えないからだ。

「あんた、つまらないね」といえるくらいの変化を身体に身に付けた人間になることは、予備校時代から目標だし、その目標は、高校時代の生活のへの疑問と否定から生まれた思想だから、当然か。

パソコンは本にとって変わるのか

2005年07月26日 23時26分52秒 | ニュース
拡大し続けるグーグルに懸念の声(上) (HOTWIRED) - goo ニュース

いつだったかは忘れたけど、ライブドアの堀江氏がフジテレビと紛争状態あったとき、アメリカへ出かけた。テレビのキャスターは、「(一連の騒ぎの件で)アメリカに行くのですか?」と聞いていたが、当の本人は「ビジネスです」と憮然と答えていた。それから2日くらいして、グーグルとライブドアが提携したとニュースが流れたが、かの買収騒ぎの影響で相対的に小さくしか扱われなかった。

しかし、ニュースとしては小さかっただけで、私自身への衝撃は大きかった。
あのグーグルと提携したのである。

検索としてはかなり幅広く使えるグーグルだが、入り口は本当にそっけない。これだけでやっていけるのかとさえ思う。Yahooやgooをみればなおさらである。リンクした記事を読んでもらえばいいのだが、グーグルの次の目標は、現にあるホームページのみでなく、パソコンとつながっているわけではない「本」の文章まで検索の対象にするとか。大体何が書いてあるのかがわかるのは結構だが、全文を載せてくれるわけでもないから、結局最後には本に当たらなければならない。

ウェブでほとんどの情報を取ることが出来るようになり、そのためにこうした検索エンジンを使うのだが、せいぜいビジネスレベル(広いが浅い)の知識しか得られないように感じる。奥行きを持たせようと思えば、本に当たることをどうしても考えてしまう。そこは私がアナログな人間であることをあらわしている。

懸念が報告されているが、個人的にキーワードのなどの検索式をグーグルに教えているけど、思考の本質的な部分を教えているつもりはない。これって、天邪鬼か。

Ⅹcode起動!

2005年07月25日 22時33分56秒 | DTP/Web
家系的にデザインのセンスに優れた人がいないくらいのtyokutakaの家族。
唯一おばが、古い布を使って小物を作っているが、この方は突出した才能を持っているのだと思う。年に数えるくらいの個展で、作りきれんくらいの注文が舞い込む実力派でもある。

さて、そんな実力のない私は、最近DTPをやっていて、この先危ないのではないかと感じる。業界ではない、個人的にである。確かにさっと絵が描けるような人のところにはデザインの仕事が舞い込むが、そうでない人は、普通の決まったパフォーマンスを出すだけの仕事になってしまう。ということは、収入が増えない可能性もある。・・というわけで自分に付加価値をつけるために(かっこよく言うと市場価値を高めるために)プログラミングを勉強することにした。

Webデザイナーの中には、先々を見越して勉強する人が多いのだが、その大部分がJAVAだと聞く。確かにJAVAの技術を持つ人材は、需要が多いのだが、JAVAはある一定の場所までがすでに構築された上でプログラムをするという言語なので、基本的に「ある一定の」部分の要素がわからなくては、システムに支障が出たとき、根本的に解決できないのだそうだ。

そこで、もっとも根本から勉強するとなると、C言語からだというのがわかったのはいいが、大部分のプログラミングがWindowsで作るので、Mac対応がないくらいである。そこでなんだかんだ調べてみると、タイトルのソフトが使えるようなことを聞いたので、昨日インストールした。

インストールできているかどうかの確認を行うべく、キーを打ち込んでみるけど、なかなかうまくいかない。私も結構粘る方なので、いろいろ試して、反応が返ってくるようになった。

昔、大学の図書館の検索機は今のような、イラストのアイコンをクリックすれば、画面が出てくるようなものではなく、一定の文字列を入力して画面を引き出す形式だった。なかなか覚えられなかったが、覚えて使えるようになると、そればっかり使っていた。あのころからパソコンが好きだったのかもしれない。

プログラミングとは何かを作るようでいて、その実、パソコンとキャッチボールできるようになることなんだというのに改めて気づかされた

奈良市議会選公示!

2005年07月24日 23時56分48秒 | Weblog
市議会議員の公示が開始された。候補は朝9時半に出発式を行うらしい。「らしい」という表現になるのは、候補が車で活動する前に、あの候補者看板にポスターを貼ってしまわなくてはならない。だから、出発式には出られない。一期目のときは、父と奈良の旧市街を貼って回った。雨の日だった。今回の担当区域は地元町内を中心とした地域。

あの看板のどこにでも貼っていいものでもなく、きちんと番号が与えられるのだが、この番号が決定するのが、朝の9時くらいだ。そこで、一番遠い場所で待機して、携帯電話で確認を取る。取ったらすぐに次の場所へ移動する。一番乗りの場所もあったが、たいていは、違う候補の写真を拝む事になる。

今回、急に選挙が決まった事もあって。ポスターはりの人間の数が足りなかった。そのため時間がかかる。だんだん暑くなってくる。車で移動するのだが、いかんせん27カ所も貼って回るから、時間がかかる。それでも二時間半ほどで終わった。途中、候補の事務所の近くまで行ったので、よって見ると出発式の直前で警備員まで動員していた。

貼っていると、別な候補が選挙の車で回っていた。で、看板に目を向けてみると,その候補のポスターがまだ貼られていない。少し滑稽だ。

昼過ぎには、ほとんどの候補がポスターを貼り終えたみたいだが、夕方に貼りにきていたところもあった。見てみると今回が立候補して初めてらしい。
午前中の2時間半くらいとはいえ、かなり体力が消耗した。

すこし涼しい日

2005年07月23日 23時48分43秒 | Weblog
台風が近づいているのか、風があって、少し涼しい日だった。
こんな日は、家にいててもすごしやすい。

たまっていたいろんな雑務を片付けた。こないだのShadeのバージョンアップ希望の申込書を書いたり、散髪で出かけたり、ホームページの更新のために、企画を作ったり、本棚を少し整理したり。
パワーなどのデータを取るためにエアーガンを持って、山に入るが、やぶ蚊が多く、データを取るどころではなかった。このデータもホームページで使う。

暑いと、こうした一つ一つの家における雑務が出来なかったりする。それで、一日中家でグーたらすることにもなる。

最近、ネットではAmazonを使って本の検索を行うことが多い。どんな本があるのかということを調べると同時に、その本の評価なんかも読み込む。意外というのもなんだが、いい加減に書評を書いている人が少なくて、選ぶ際のポイントを鋭く突いている人が多い。あの、文庫本や新書の裏や見返しについている短文の解説なんかよりも、ずっと信頼できる。ユーズドもこまめに探せば、意外に安いものもあって、1500円以上なら、送料無料だから、使えるかも知れない。いま、Macの関係書を買うかどうか考えている。

最新とは?(後編)

2005年07月22日 23時12分23秒 | DTP/Web
今日はWebのはなし。わかりやすくするために時系列的に書こう。

講座の組みなおしで、Webのコースを受講したのが、昨年の5月。
7月から別の講座が始まって、忙しくなったので、それから2ヶ月は休学。

9月にWebのセミナーを行いますと専門学校から案内が届いた。
最初、行くつもりはなかったけど、頭数(出席者)が足りなく、教務の人に泣きつかれて、
参加した。このセミナーがすごく良かった。

少なくとも2004年9月現在のWebの状況について聞くことが出来た。
たとえば、Flashを使いこなすことが出来るのが就職への近道とも言われた。
現に、現在Webデザインの職についている人でも、近い将来身に付けたい技術のトップが
Flashデザインであるらしい。今でも、時々Flashに専門特化した求人が出ることがあるが、
その大部分は、アルバイトか、正社員でも年収の低い待遇である。この情報は微妙だ。

もう一つ聞いた。今回の本論に相当する。
当時、といっても1年も経っていないのだが、携帯電話専用のWebサイトを作れる人間が重宝されると聞いた。勿論、今我々が見ているインターネットのサイトとは異なる分野で、携帯専用に作るということである。実際、大阪にもこの分野で伸びている会社があった。
携帯電話のサイト制作は、そのファイル容量がべらぼうに少なければならない。要はデザイナーの腕の見せ所で、軽ければ軽いほどいいというのが、この世界の本質である。それは勿論、インターネットのホームページにもいえることだが。

その流れをうけてかどうかはわからないが、実際に携帯電話サイトの作り方という本が発売された。昨年の10月~11月にかけてである。あの本を見たとき、教えられた情報がブレイクするような感じがした。しかし、8月の時点で、また別な情報についても聞かされていた。

XHTMLがはやる。

最初これが何のことかさっぱりわからなかった。XMLの間違いだと思ったが、その後調べてみると確かに存在する。実はいま、大阪のWebデザイン事務所で静かな人気が出始めている。このXHTMLで作ったサイトがぼちぼち出始めるようになった。実は関西大学総合情報学部のホームページがこれで作られている。しかし、HTMLがこれだけ普及しているのに、わざわざXHTMLを持ち出す理由がなかなかつかめなかった。

年が明けて2005年に入る。昨年くらいから出始めていたブログの人気があっという間に広がる。もはや、個人でホームページをつくり、更新するのが面倒であるところを突くツールであった。
2月に入り、ようやくXHTMLの意味が見えてきた。まず、アクセスビリティの強化が行える。どういうことか。これは、視覚障害を持った人に対して、読み上げを行う。点字で打ち出すなどの機能を付加できることらしい。次に「Webの標準」という仕様であるため、正確に作れば、確実に検索エンジンなどにひっかかるという「SEO対策」がしやすい。さらに、携帯電話でも読み込める内部記述に変わるというのがメリットだった。

「Web標準」という言葉を使って、盛んに本屋でXHTML関連の本が並びだす。これが5月くらい。

しかし、
少なからず気づいた人もいるが、これまでの考え方はすべて、携帯電話にあわすという考え方だった。従って、インターネットのホームページと携帯のWebには垣根があって、両者は相容れないものという考え方が支配していた。だから、改めて携帯電話のコンテンツをつくるという市場があったのだが・・・。

7月に入って、テレビのCMを見ていると、携帯電話の画面でインターネットのホームページが見れるという機種が出てきた。携帯の方から近づいてきたのである。こうなると普通のホームページをパソコンで作成して普通にアップロードし、携帯で見てもらうということが可能になってくる。パケットの定額制も追い風だろう。

ということは、1年くらい前に聞かされた携帯電話コンテンツの作成技術はもう古いものということになる。その速さに愕然とした。
まだまだ混沌とした世界なのだ。

最新とは?(前編)

2005年07月21日 22時25分49秒 | DTP/Web
ちょうど二年前だったと思うが、書店を退職して、どうやって生活していくかを考えていた。当時はパソコン系の知識を得て、それで制作でも行いながら食い扶持を得るかと思って、DTPの専門学校へ通うことにした。勿論、日中は何らかの仕事を行いながらである。

当時はまだ、専門学校のコースの中にDTPの授業があったし、実際月イチで公開授業みたいなものも行っていた。Webのコースもあったが、当時の私には難しいように思えて、違う世界の知識に見えた。

私たちが入学した直後、コースのカリキュラムが変えられて、私たちが手厚くライブの授業をしてもらえた最後の受講生だった。いっとくが、それほど無名の専門学校ではない。次の世代のカリキュラムは、デジタルラーニングといって、CD-Rを視聴しながら作品などを作っていくというもの。初期段階では、私たちも勉強させられたが、あまり頭に入らなかった。ライブの授業は進みが速く、必死になって作らないと、お金をドブに捨てるようなことになりかねないから、それなりにがんばった。それでも実務経験には届かないが。

さて、カリキュラムの再編後、学校の広報があまりDTPを宣伝しなくなった。とりあえず、コースとしては存在する。

このカリキュラムの再編の余波は私にも押し寄せ、予約していたデザインテクニックのコースが開講しない。何でかというと、予約者が私一人だとか。

そこで、前納した受講料を半分に分け、新カリキュラムのデザインのコースに半分。残りの半分をWebのコースで取ることになった。Webの知識を得ておくのもいいかと思ったからだ。

今にして思えば、DTPの知識だけでは、確実に撃沈していた。もう求人なんてほとんどないし、あってもしんどいような内容だけ。大阪のデザイン会社もどんどんつぶれている。学校の方も同じような考えだったと思う。

話をまとめてみると、2年前には確実に存在したDTPがいまや日陰に追いやられたように思える。
たった2年!

そこで、Webの話に移りたいのだけど、この話はまた明日。

書評:松村昌家編『『パンチ』素描集』 (岩波文庫 1994)

2005年07月20日 22時56分08秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
もともと私は西洋史を勉強しようとして大学進学を考えていたが、そのイメージとなったのは、19世紀のイギリスである。更に詳しく見てみると、政治史や経済史ではなく、文化史的な方面に興味を持っていた。そのような背景には、1990年の前後に日本の学界で盛んに取り上げられるようになった「アナール学派」の影響が非常に大きいが、更に根本を見ていくと、小学生のときに読んだ、「シャーロックホームズ全集」の影響のほうが大きいかもしれない。後年、NHKで実写版をみるが、あれも面白いものだった。

私が抱いていたイメージがぶち壊されたのは、大学に入ってからである。いろいろ本を読んでいると、イギリスは完全な階層社会であるが、ロンドンなどは大多数を占める最下層の作り上げた町だけあって、非常に汚く、不衛生な都市であった。後年、歴史人口学とジェンダーを専門にされている先生から直接講義を受けることが出来たが、人口の移動の最終目的地が都市である場合、年齢が若ければ若いほど早死にしやすく、年齢が高くとも、すぐに死ぬような場所であったそうだ。早い話が、都市へ死にに行くようなものだとも言われていた。19世紀のロンドンも同じく、この町は数度のコレラの発生で、人口の急激な減少を経験している。

本書は、1841年に創刊し1992年に廃刊となった大衆雑誌『パンチ』に取り上げられたイラストを、初期の30年に限って掲載し、解説を加えている。本誌は、日本で言うところの「フォーカス」や「フライデー」に相当するものであるが、世間のあり方に批判的な文章は、当時、どのような光景が広がっていたのかを非常に良く伝える。子供の情景という項目がある。絵が主体の本なのでニュアンスが伝わりにくい中、これが一番文章になっている。
「おじいちゃんモクもっている?」
「え、なんだって坊や?」
「モクだよ。つまり葉巻タバコだよ」
「いや、とんでもない。そんなものは今まで口にしたこともないよ。坊や」
「ああ!それじゃ今さらはじめない方がいいよ。」

対して、今の日本と変わらないかもしれない。