tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

痛いグリップ(後編)

2008年10月25日 21時59分39秒 | エアーガン/実銃
1999年暮れ、台湾で大地震が起こった。日本からも多くのレスキュー隊が現地に入って、救出活動を行った事を覚えているだろうか。

さて、タナカのUSPコンパクトは発売が遅れたが、それの理由はこの大地震による現地工場の被災が原因であった。ともかくも、ショップで並んでいたという記憶がなく、私が見たのは2000年に入って、ショップの中古コーナーに並んでいるというところであった。しかし、今にしてみれば、2000年に入ってから売り出されたUSPコンパクトが、同年、ショップの中古コーナーに並んでいたという事を考えると、発売して手に入れた前の持ち主がほどなくして持ち込んだということになる。なぜならそのショップは2000年の6月に店を閉めたからだ。その後、そのショップは別の場所で「復活」し、現在も続いているが、電車を乗り継いで行かなければならない場所のため、最近では足が遠のいている。

で、やはりグリップを触るが、これもまた「最悪」である。

話は変わるが、私は大学に籍を置いていた時期が長く、その頃は文字通り「金のない」状態であった。しかし、2003年に一般企業へ就職すると、とたんに金が入るようになる。そんな時期、あれほど忌避して来たタナカのP8をネットオークションで中古品として手に入れた。タナカのマグナだから、ガス漏れをおこした状態で購入する。

グリップに関しては、これまた最悪の状態である。これはもう1995年の時点で出ていた結論である。ただ、当時ショップに置かれた中古品をものの10秒ほど触って気づかなかった問題に出くわす。セフティがやたらと硬いのだ。大型のレバーは操作こそしやすいが、それでも硬さが気になった。それゆえ、手元に置いてもその使用期間は極端に短かった。所持期間は2年。今は大阪のとあるWebデザイナーさんのところで落ち着いている。

2003年暮れ。KSCはS&W M945で確立した焼結金属を使ったダブルアクションオートを発売した。これが、やはりUSPコンパクトである。

いかんせんあのグリップ感である。KSCとて離れられないはずだ。それはソーコムで実証済みだ。

私が初めてKSC USPコンパクトを手に取ったのは2004年春のショットショーであった。ごった返す会場の中、それを手に取る。「・・・・・! あれっ?」確かにあのチェッカーはグリップの前後にあるのだが、全くと言っていいほど「痛く」ないのである。それどころか細すぎるくらいグリップがスリムだ。その場で購入を決めた。

この銃がエアーガンアレンジによって、「痛く」ないグリップ感を再現したのかどうかはわからない。しかし、購入から4年が経っても手元にあり続けている。おそらくこれからも置き続けるだろう。

(追記)この投稿をアップロードしてから、少しタナカのUSPコンパクトについて検索してみた。その結果、KSCの製品に比べてグリップが長いことが判明した。ただ単に「若干」長いのではなく、フルサイズのUSPのマガジンがそのまま使えるという事だ。これでもう明らかなことだが、タナカの製品はスライドとフレームの長さ、トリガーガードの形状を変更した実質フルサイズのUSPそのものなのだ。という事は、リアル指向のKSCが実銃のテイストを変更したのではなく、実銃のグリップ感がすでにマイルドな物になっている事を再現したまでのことなのだ。あらためて私自身、KSCのUSPコンパクトを見直した。


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レッドストーン</noscript>



痛いグリップ(前編)

2008年10月18日 22時22分42秒 | エアーガン/実銃
1995年、エアーガンの業界は再編が始まっていた。

とは書くが、どこかの会社がどこかへ吸収合併されたとかいう話ではない。だいたい、エアーガンの業界でそのようなことなどない。前年、1994年にガスフルオートで一世代を築いたJACが倒産し、暮れにはMGCが企業活動停止などという、ユーザーの側からすれば倒産としか受け止められない状況が起こった。私は、MGCのガスガンを中心に購入して来た人間だから、そのメーカが作らないとなると、この趣味自体を辞めるか、他のメーカに移っていくかだった。で、後者の方を採るのだが、その年、タナカのSIG P226とタニオコバのHK USPが出された。この二丁のうち、どちらを取るかで考えたが、私はタナカのSIG P226を取った。その理由は、SIGが好きだったというのは勿論だが、指でハンマーを倒せる「安全性」があるかどうかだった。そして、タニオコバのHK USPはこれが出来なかった・・・というのを知ったのは雑誌の特集からである。

P226の発売から時間が経ち、やはり同年、タナカはP8を発売した。言わずと知れたUSPのドイツ軍採用型である。そもそも、この時、ドイツ軍がUSPを採用した事実を知ったのは、タナカの広告からであった。このP8を指差して「こっちが良いね」と考えたのは、前記のような理由からだ。

さて、どのような経緯で製品を触ったのかは定かではないし、ましてタニオコバが先なのか、タナカが先だったのかさえも覚えていないのだが、このUSP、あるいはP8を手に取ったときの感想は「これは最悪だ」の一言だった。

器のいかつさがよく指摘されるUSPだが、実銃がそうなのだから仕方がない。それをエアーガンのメーカーが忠実に再現しても責められる問題ではない。エアーガンのメーカーが問われるのは「エアーガンとしての性能」だろう。

私が最悪だと思ったのは、グリップ前面のチェッカーであった。握ると痛いのだ。こんなもの長時間の射撃に使えない。だが、もともとグリップ以外でも何かが気に入らなかったのだろう。映画のなかでUSPが使われていても、「ああ、使われているな」くらいの感想だった。人の深層心理など当の本人でも気がつかないものだ。一時期、ある言葉が流行ったではないか。「心の闇」などと。

ところで、USPはもともと、アメリカ軍の特殊部隊が作戦用に発注した攻撃用拳銃がベースになっている。あのソーコムピストルである。これのエアーガンの発売は1998年だったが、入手は非常に遅れた。1999年の暮れのショットショーである。何故だかよくわからないが、あそこで手に入れた製品は手放すことが多い。なぜか残っているものはKSCの製品ばかり。とはいっても、私がショットショーに通っていた時期のWAやタナカの製品は、よく売れるだけあって、値引きの率が低かった。そのためかもしれない。

ともかく、KSCのソーコムピストルを手に入れたが、グリップ感は相変わらずの「痛さ」であった。しかし、グリップは大きいからしがみつく感じになる。それゆえ強く握って痛い思いをする。悪循環だ。一時期、ラバーのスリップオングリップを付けかえようかと考えたが、サイズが見合わずあきらめた。それで、グローブをはめて撃つのが良いだろうという結論に達した。

しかし・・・・グローブは手に入れず、私はソーコムピストルから離れて行った。ただ、何かしら手放す気になれなかった。今ではパッケージに4色を使った写真を掲載するメーカは少なくなった。当時、KSCはパッケージに写真を使っていたが、今では味気のない入れとくだけの「箱」になった。それがあるのかも知れない。

昨年、久々に引っ張りだして、屋外で撃ってみた。何も付けないノーマルならば、結構な集弾性だが、サプレッサーを付けると大きく左にそれた。バレルが曲がるのか、サプレッサーのどこかに当たるのか、よくわからない。そしてハードキックではないから、どこか撃ち足りない。

一年くらいで「ロングレンジ」から「ハードキック」に交換だな・・・と1999年当時、そんな風に考えていたはずだ。それで、別売りのパーツも買ったが、そのままで9年経った。

いつの事か覚えていないが、タナカはUSPコンパクトを出した。いかつさが緩和されて程よく良いデザイン。ただし、台湾フレームが気に入らない。そしてまた、グリップも「痛い」。

(続く)

ジャン・マリー・ギュスターブ・ル・クレジオ

2008年10月09日 23時56分06秒 | ニュース
私の出身学部はフランス文学科だ。そして、大学は私たちが卒業した次の年から学科名称を変更し、「フランス語フランス文学科」にした。その理由は、「フランス文学科」ではフランス語が運用できるというイメージを世間が持ちにくいという、いわば就職して行く学生に対する配慮からだという。しかし、ゴロが悪いし、こちらは19世紀写実主義で卒業論文を書いたから「フランス文学科」で一向にかまわない。

さて、この種の英語をのぞく外国語系学部は何処もそうだが、大学に入学してから初めて学ぶという人間が多い。私もそうだ。ただし、私の場合、英語が苦手だった。というよりも、外国語の勉強の仕方がわかっていなかった。それで入ってから当初はかなり苦労した。単語は一語一語辞書を引かなければならない。文法は授業を聴くだけではだめで、参考書を新たに買って来て、ノートをまとめ直すということもやった。クラスの他のメンバーはテキストにカタカナで発音を書いていたが、私は当初これをおこたったので、読めるという意味での正確な発音はかなり遅れた。本当はヨーロッパ系の言語は、ローマ字読みであることが多い。そこへ特定の綴り字の並びのときは、決まった発音があって、それも覚えなければならない。発音の正確さは、3年次になっても出来ていなかったと思う。

ただ、授業はそこまで悠長ではない。一回の授業で10行程度のテキストを読んで、簡単なおしゃべりを行うのはせいぜい1年次で、2年次ではペーパーバックの2ページは確実に授業で読ませられる。そして、その2ページに関しては、いつ指名を受けても答えられるように、確実に訳をつけておかなければならない。まして、これはひとつの授業である。他にも作品研究や作文などの授業があって、その準備もしなければならない。

学部2年次といえば、初級文法を大急ぎで習ったあとで、ほとんど読解の能力を持たない。その中で、私のフランス語力をせいぜい人並みにしてくれたのが村尾先生だ。その年、村尾先生が指定した教科書は「パヴァナ」という作品だった。作者はル・クレジオである。ル・クレジオはかつて、前衛的な作家として、哲学的な難しい作品を書いていた作家だった。それは1960年代から1980年代初頭の話で、80年代後半から90年代初めにかけて、自らのルーツや童話的な作品を多く出すようになる。私たちは、その童話的な作品を購読の材料として用いた。

私も必死だった。まともな訳を付けて、まともな発音を行うためにネイティブが文章を朗読するテープをなんども聞いた。その結果、発音に関しては正確さが見え始めてきた。フランス語は直前に語られた内容を次の文章で繰り返さないために中性代名詞という用法を使うが、この指摘は確実にできるようになった。

そしてまた、一冊の本を読み切ることなどない学校の授業で、その年私たちはすべて読み切った。

授業の後半で、その本の訳本が出たが、日本語に直されたその文章は私にとってあまり価値がなかった。本そのものが薄く、買うほどではないというのもあるが、すでにその時点でフランス語から日本語に自分で訳すことが、私自身にとって無上の価値を持っていた。そしてまた、それが出来るという自信がついてきた。

その授業から10年以上がたって、私はようやくフランスへ行くことが出来た。現地の本屋で何冊が本を買ったが、それらの中にはル・クレジオの作品があった。すでに日本では訳本の出された作品ではあったが、それはそれで原書とつきあわせれば、勉強になる。

今年、ジャン・マリー・ギュスターブ・ル・クレジオはノーベル文学賞に輝いた。この作家を知らない日本人は多いと思うが、仏文学にアンテナを持っている人間にとっては、メジャーな作家ですらある。実際、何冊も訳本が出ているくらいなのだ。これを機会に何冊か再販されることが楽しみだ。

Félicitations! Le Clézio