tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

マリーゴールド

2006年04月30日 02時19分14秒 | Weblog
田中麗奈主演/市川準監督作品に『東京マリーゴールド』がある、協賛はほんだしの製造メーカーである味の素。そうほんだしのかつてのあのコマーシャルのように、田中麗奈と樹木希林の親子コンビで、話が作られている。見にいきたかった映画であったが(私は田中麗奈の初期三部作をおさえているくらいだ)、あいにく時間がなく、ようやく天神橋筋六丁目の映画館で見たときは、ビデオ化される一ヶ月前であったくらいだ。話の流れは覚えているが、マリーゴールドがどのように扱われたのかについて思い出せない。

さて表題のマリーゴールドはキク科の植物で、メキシコ原産。花の色は黄色・オレンジ・赤褐色があり、別名クジャクソウともいう。

話は変わって、金曜日のお昼はいつものような弁当ではなく、外食となった。人数が増え、しかも昼食時間がばらばらだと、不規則な時間になる。ようやく自分の弁当を食べる時間は夕方の16時くらい。しかも食べながらでも仕事の内容について利いてくる連中だから、落ち着いて食べられない。食べだしてもその人間のパソコンのそばでつきっきりになるから、弁当一つを食べるのに90分もかかるくらいだ。とにかく昼(と呼ばれる時間)に会社にいることが問題で、少ししんどいが席をはずすことにした。

29日はホワイティ梅田と呼ばれる地下街の感謝祭であった。余談だが大阪の地下街の管理はすべて一つの会社が行っているらしい。年末のことだが、福引の抽選券をもらった。しかし、この抽選券は枚数を集めなければならなく、とても集め切れなくて、友人にあげたことがあった。今回の抽選では当たり外れの表示が出る、スクラッチカード。

いつもは他の場所へ足を延ばすのだが、その日の昼食はこの地下街のうどんそば屋に入ってとることにした。途中の広場で、当選者に花を配っていたからだ。これだったら花の好きな母に持って帰ると喜ばれる。

そこで店を出るときにスクラッチカードをもらい、それを手に広場の配布コーナーに回って、その場でスクラッチの部分をこすってみる。すると・・・

「はずれ」

まあくじにはずれたのだからそれならそれでいいが、これには正直ムカついた。
徹夜の残業が多く、アタマに血がのぼりやすくなったのかもしれない。

そこで、他の店にまわり、必要な品を物色する。最初成城石井といわれる、食品系のスーパーでお菓子を買うが、これにはスクラッチはもらえなかった。

そこで一層、ムカつくことになる。

さてどうしようかと思っていると、このホワイティ梅田の地下街の奥にブックファーストのコミック専門店がある。その前を偶然通りがかった。まあ、コミックを本屋で買うのは年に二回くらいしかない。たまたま入ってみた。実はかねてより、広江礼威『ブラックラグーン』(小学館)が欲しかった。ブックオフなどを探してもないのである。これは良い機会だから購入しスクラッチを一枚もらう。これで外れれば、もうあきらめるしかない。結果・・・

「あたり」

であった。いよいよ花と交換。しかしいくつかの種類があって、どれがいいかさっぱりわからない。もらって喜ぶ人に電話で尋ねる。その結果がマリーゴールドだ。大枚1200円近く使ったが、昼食は取らなければならなかったし、欲しかった本も強制的に手に入ったわけだから、よかったのだろう。少し自分のアホさに気付いたが。

人に教えること

2006年04月26日 02時05分43秒 | Weblog
中学校の頃の夢は、国語の先生になることであった。しかし、国語の成績が格段によかったわけではない、むしろ社会、特に歴史が好きだったくらいだ。
学校の図書室にあった「なるにはシリーズ」の『教師になるには』という本、よく借りては読んでいた時期があった。余談だが、私が当時好きだった子が図書委員で、その当番は土曜の午後の放課後になることが多かった。この時間を見計らって、図書室に出入りしていることは多かった。

しかし、教師という人間が私の想像を越えて、まったく異質な存在と写ったのは、高校に入ってからだ、それからは、そもそも受け入れ枠の少ない中学校や高校の教員採用試験を目指すことがなくなった。

さて大学も三回になると、将来を決めなくてはならない。大学の就職セミナーに顔を出したりもしていたが、どちらかというと、私は大学院志願であった。
そんなある日、教員採用試験の模擬試験を行うことになって、それに参加しないかと友人に言われて出てみた。現職教員の試験等の話を聞いた後、試験を受けてみた。自画自賛になってしまうが、そこそこ勉強していた友人よりもはるかにいい点数をとった。ほとんどが常識の範疇の試験だったからだ。

幸運にもその後、私は大学院に入って、研究者になりたいというありふれた夢を持つことになった。勿論研究者といっても、研究だけでお金にならないから、大学の教員ということをめざすことになる。ただ、大学教員はとてつもなく遠い道であった。仮になったとしても35歳くらいか。今の私からしても後数年はブランクともいえる時間が存在する。その間に研究だけを行って、人生においては、どれだけのことを失うのだろう。ということをよく考えた。それで、大学院は2年通っただけで終わった。勿論、教員という夢も潰えた。

ただ、会社という組織に入ると、必ず自分よりも後に入ってくる人がいて、そうした人に、作業やらなんやらの手順を教えなければならないことになる。本質的には、教え方の上手下手の問題ではなく、相手にどれだけ丁寧に教えられるかということ。実際には、これには時間がかかって、自分の仕事が出来ないなんて、いつものことだ。私の会社にも派遣さんがたくさん来て、いちいち教えなければならない。その数、実に14名近く。

今の所、あまり苦にはならないのは、かつての志望が教員だったからなのかな?

死刑は本当に悪か(改訂版)

2006年04月18日 23時43分16秒 | ニュース
大急ぎで書いて、論旨が大破綻したので改訂版です。ちなみに前の原稿は見直しをしていませんでした。関係各位にお詫び申し上げます。

母子殺人事件の上告審が結審、弁論続行の主張退ける 山口・光市 (朝日新聞) - goo ニュース

18世紀末から19世紀の初頭にかけて活躍したフランスの文豪ヴィクトル=ユゴーは熱狂的な死刑廃止論者としても知られていた。彼の作品にも、そうした性格の濃い作品がたくさんある。しかし、仏大革命の時期、比較的簡単に死刑という刑罰が出されたことはそれほど知られていない。仮に知っていても、それは大革命の権力闘争による他者(政敵とも言う)の排除装置として機能していたとみなす向きが非常に多い。
ただ、民衆と呼ばれる人々に、死刑が課されるのはそれ相当の犯罪を犯したからであったという部分も見逃せない。

そのユゴーが書きながら、人間への洞察が多く省かれ、ほとんど偏見の名の下に作成されながら、その重要な部分(偏見と人種差別を主題として書かれたということ)に気づかせず、美しい恋愛物語の印象を与える『ノートルダム・ド・パリ』でさえも、まず殺人への罰として死刑という方法が採用されていることは、見逃せない。ちなみにこの作品を映像化したディズニーアニメの『ノートルダムの鐘』は絶対見ないで欲しい。あれはディズニーという企業が、西欧の美意識を啓蒙するために作った作品であり、そこには悪意に満ちた偏見がこめられている。これに関しての研究はドルフマンとマトゥラータが分析し、チリのアジェンテ独裁政権に発禁処分とされた『ドナルドダックを読む』(晶文社 1984)という本を薦める。

さて、死刑廃止制度だが、最初から私の見解を書くとこれを支持しない。というのも、既に1人ないしは、複数の人間が殺人によって亡くなっているのである。なおかつそのような状況にありながら、当の殺人者は生き延びるという、きわめて簡潔な状況が理不尽だと思うからだ。また、死刑廃止論者のもつ意見の希薄さは、簡単に受け入れられるものではない。彼らはよく言う、欧米では人権的な配慮から、犯罪者にも人格を認めてというようなことを言う。

しかし・・・私は、「主張を持たない意見」という言葉を用いて、それらを一蹴する。

こうした流れは、死刑廃止という風潮が欧米の主流として認めることができるから、やりましょう/やめましょうというのは、あまりにも軽薄な考え方である。他にも仏教に、キリスト教に、オウム真理教に、哲学に・・・といい続けて、何らかの根拠を元に説明を組み立てるのは、自分のどこかに逃げ道を作って、賛成する/反対するを論じているだけに過ぎないのである。その点、私の考えはきわめて単純で、人一人が死に、それに手を下した人間を許せないということである。そしてまた同じだけの苦しみを犯罪者にと願うのである。
これではまるで、古代のハムラビ法典と同じではないかという意見があるだろう。しかし、そうした刑罰が行われた古代を、簡単に死刑という刑罰を行った大革命時のフランスを「野蛮」だといえる権力は、どこから出てくるのかという問いかけもある。

いい加減、他人から与えられた人権論を振りかざすのは止めにしよう。本当に議論すべき土台はそこから始まるのだと思う。

『立喰師列伝』の翌日

2006年04月18日 01時00分15秒 | Weblog
さて、おとつい映画を見た翌日であった昨日。
お昼は弁当を持たされなかったので、外へ食べに出てきた。大体コンスタントに、いろんなものを食べている。本日は吉野家の豚丼だ。例の牛肉問題で、牛丼が出せなくなって既に久しい。こっちのほうがうまいと感じるのは何故だろうか。
しかし、こうした場所では、面白い人をよく見る。今日も横に座っていた人は、豚丼の後で、普通のご飯を頼んでいた。そのほかのもの、すなわちサラダや味噌汁は一切頼んでいないのである。また珍しいことに、会社の制服を着た女性が、1人で豚丼をかき込んでいた。

「バルザックの作品のごとき縮図」

と書いて、わかる人はどれほどいるのだろうか?

ところで、立ち食いの範疇におさまるものが、昨日の映画を見ると意外と多いことに気づく。立ち食いとなると、駅のそばうどんの類であるが、最近では簡単な椅子を置いてあるところもある。昔風邪を引いた状態で冬場の東京・新橋の駅に降り立ったことがある。ちなみに新橋は東京で最も暑い場所らしい。夏じゃなくてよかった。まともなものを食べたかったが、食欲も今ひとつ。結局新橋のあのガード下の小さな蕎麦屋に入って、わかめそばを食べたことがある。味付けは関西の人間にも納得いく薄味だった。

大阪といえば、うどんのメッカ。うどん屋といってもそばも置いてあるし、お酒だって置いてあるところがある。うどん屋で食べるものがうどんだけではない、冬場になると私の場合、雑炊を頼むことがある。これはご飯だけ入っているものではない。蒲鉾やしいたけや、ご飯の横にうどんが入っている事が多い。

大阪の心斎橋に松葉屋という店があるが、この店に入ったらきつねうどんを頼めとよく言われる。あきれたことにガイドブックにまで載っている。気に入らないので、私はまったく別なものを頼む。それは

「大阪おじや細うどんで!!!」

と叫ぶのである。もうこれだけで厨房やお運びさんは凍りつくのである。これを見越して、わざと厨房から目に付きやすい場所に陣取る。そして彼らは驚きの視線を落とす。というのも大阪おじやの通常の調理では太うどんを用いる。これによって隙間が埋まるのだが、同じだけの分量を細うどんで行った場合、スカスカになることを意味する。従って、少し多めに入れざるを得ない。勿論ご飯を多めに入れるという手段もあるが、どの道、多めに入れるということになるのだ。ということは、「細うどん!」とつけることで、道場破りににも近いような食客が現れたことを示す。そして出されたものを涼しい顔をして食べるのである。

ちなみに、この裏技にも等しい妙技を教えてくれたのが、昔この近くに勤め先のあった、私の父である。

押井守監督作品 『立喰師列伝』

2006年04月16日 23時48分52秒 | 映画
『立喰師列伝』公式ページはこちら

やばい。奴は立喰のプロだ・・・。

ほとんど欠かさず見にいく押井守監督の新作が先週くらいから始まっている。今回は不便な場所の映画館などではなく、大阪梅田のナビオ阪急の中の映画館で上映している。残念ながら奈良では公開されていない。映画そのものの制作はネットのニュースにも流れていたが、公開を知ったのは偶然だった。

上記のキャッチフレーズをホームページで見て早速見に行きたくなった。押井守監督作品は決してメジャーの王道を走るようなものではない。宮崎アニメとは少し異なってくる。しかし宮崎監督と押井監督は親交があり、たがいに批評しあうような仲だとか。

今回の内容は、戦後の日本を跋扈した立喰師たちの織り成すもう一つの「戦後史」ただし、立喰師とは弁舌巧みに店主を翻弄し、無銭飲食を働く連中のことを指す。内容がまさしく押井監督のライフワークとも言える「立ち食い」だから力が入っている。

しかし、店主を翻弄する立喰師たちの説明を行うナレーションはまさしくよどみなく流れ、その知識は衒学などという言葉では説明できないくらいの大量の情報が詰め込まれている。この制作方式が押井流の作り方ともいえる。そう、映像の壮大さに我々は一つの事実を忘れていた。すなわち、

やばい。奴は映画のプロだ・・・。

ということに。

また映像も斬新としか言いようのない方法を取っている。名づけて「スーパーライブメーション」。まるで実写版の紙芝居を見せるような雰囲気で作られる。だから、ほとんどが静止画で作られている。そこへ大量の情報を詰め込んだナレーションが続く。最初見始めたときに、いつもの映像のような動きがないことから、二時間も持つのかなのかなと思ったが、そこは彼の作品の力。ぐいぐい引き込まれる。
さすがにこの映像とナレーションの面白さがわからないか、つまんないのか、ついていけないのか、2.3人が出て行った。いいねえ、こういう映画があるといくのも。おまけに残った人間は、押井監督作品を見慣れているのか、本当に映画がわかるのか、厳かに受けまくっている。

逆に言うと、押井監督作品は観客にそれ相当の知識が要求される。前作「イノセンス」でもどこかの名文句の引用ばかりを並べた作品だという評価が出た。驚くなかれ、『動物化するポストモダン』を書いた東浩紀でさえあの作品の音楽のようの流れ出る背後のイデオロギーのすべてを言語に置き換えるようにして理解しようとした結果、その本質を見抜けなかった自らのおろかさを朝日新聞に掲載という形で暴露していたくらいだ。そしてまた、そうした行為をせせら笑うがごとくこうした映画を我々に提示した押井監督には拍手を送りたい。

パソコンを知らない人に接して気づいた自分の醜さ

2006年04月13日 00時37分03秒 | Weblog
またまた仕事が忙しくなってきた。まあ、暇になると本当につまんない仕事や、誰を叩くかという談義を上のほうで行うから、忙しいくらいのほうが、つつがなく送れるというものだ。実際、利益も出るしね。

さて、うちの会社は羽振りよく、別の階に部屋を借りて、一部のチームをそこへ移した。私は引越しの組みに入らず、それをじっと見物していた。これによって、ドッと人がいなくなったが、仕事の関係から、派遣を多く入れることになった。派遣会社を2つも使い、形ばかりの面接を行って、手当たりしだい入れていくという方法が今年の初めくらいから行われている。しかし、問題は面接に来た人間を片っ端から入れては、原稿のチェックを行わせるという手はずだが、実際にはパソコンの操作も入ってくる。

まあ、いまやパソコンの基本的操作、すなわちワープロソフトを使用した文章作成や、エクセルの操作、インターネットの仕様などは普通のことであると思っていたが、どうもそうでない人も多いみたいだ。中にはポコポコと知らない人がいる。

確かに私も前世紀までは、それほどWindowsのOfficeに関する知識は持っていなかったし、使いこなすというものではなかった。使い出したのはそれからで、よりパソコンという機械の奥へ進んだのは、専門学校でDTPやWebのソフトを勉強してからだ。

さて、今回入ってきた人のなかには、本当に知らないという人がいる。私はもう直感的に触っていて、こうすれば良いのではないのかと思って行った操作が、ほとんど意図した結果になるくらいの経験は持っているのだが、その人は冷や汗流しながら、メモをとり覚えているくらいである。だが、多くの人が経験していることであると思うが、メニューのここを押したらこれだけ出てきて、次はここ、その次はこれ・・という内容をメモするのはすごく大変だし、あまり身につかないことが多い。むしろ体が覚えているというのが本当のところだろう。逐一メモを取られると、意外と教える方もなかなかやりにくいというのがある。

なぜなら直感的に体で覚えている内容だから、ゆっくりやるとカンが狂うのだ。

だが、本質的にうちの会社は、タイムカードもパソコンの中で打ち込むようなシステムだから、原稿対原稿の突き合わせで、パソコンを使わずに一日を遅れるようなものではない。最低でもAdobe Acrobatを使って、PDFを眺めることもある。

さっきの人を見ているとつい思ってしまう。
「もう、パソコンが使えないと仕事のない時代なんだけどなあ」と

しかし次に考える。私自身のグラフィック技量でパソコンの技術において最低の評価を下され、意図しなかった仕事に回され、非常に嫌な思いをしている自分と彼女はまったく同じなのではないのかと。そしてまた彼女はパソコンを覚えたいにもかかわらず、ただ即戦力重視というだけでただ、企業が教育の責任を放棄し、誰にも相手にされず不当な位置に置かれている人間の1人ではないかと。

「即戦力」などという言葉をどこの企業も使うようになってから、仕事のキッカケすら得られない人々が増えた。それは若者だけではない。だが、それは会社は教育の責任を互いに投げ合っているだけのことである。そしてまた、そのことを肯定し、あまつさえニートやフリーターを悪く言う人間は多い。これが40代や50代に会社員から出る言葉ならば、あきらめもつく。しかし、私と対して年齢の変わらない30代前半の人間の口から出るに及んで、この国の将来が本当に暗いことを実感する。

私がつけた技術は、私1人で完結させてはならないのである。誰かに教えなければならないのである。しかし、それが出来ない状況は非常に多い。仕事が忙しいとか何だかんだと。だが、「使えない人間は要らない」という人たちの中に入りたいとは思わない。そんな企業があるのならば、そこは私にとって居心地の悪い場所に他ならない。これから先、どこへ流れ着くかわからないが、着く場所がどこかは私自身の姿勢も大きく絡んでくるのだろう。

パン屋さんの先見性

2006年04月10日 22時44分33秒 | Weblog
実家の近くを流れる富雄川。その中流の一角に神社がある。この神社はどこにでもある町中のお社と行った具合だが、毎年二月になると「粥占い」というのを行う。要は占いの方法として極めて簡単なのだが、粥を作って、その中に竹の中身をくりぬいたものを差し込む。上げてその竹を割り、中の小豆の数を調べてその年の作物の実り方を占うというものである。この伝統儀式は奈良県の重要無形文化財に指定されている。この神社の裏側一体が広大な山であり、その複雑な地形は本当に行き慣れないと迷う事になる(ここが以前書いたフィールドだ、DVC-Molilさん)

さて、この神社の由来をひもとくと、縄文時代の中期に初代神武天皇が白庭山遠征の際、立ち寄り陣営を築いた場所であるとされる。しかし、白庭山というのがよくわからない。

最近、交通の便が悪く、住宅地としては余りふるわなかったこの富雄川の上流に電車が開通した。けいはんな(京阪奈)線と呼ばれる線である。その駅の一つに、「白庭台(しろにわだい)」という駅がある。そう、神武天皇が攻め込んだ土地とは、この白庭台のことだったと私は考えている。しかし、山というには少し低いかも知れない。さて、この土地、奈良の富雄からバスに乗っても30分はかかる場所である。どちらかと言うと東生駒からバスに乗る方が良いのだが、それにしたって、遠い場所であった事は確かだ。

さて、妹は兄と違い中高大の一貫校(私立)通った。そこで出来た友達の一人がここに住んでいると聞いて尋ねていった。もうだいぶん前の話だ。その頃、その友達のお父さんはリーガロイヤル(ホテル)でパンを焼く職人だったそうだが、そこを退職し店を出したのがこの白庭台だったわけだ。勿論当時は家が数えるだけしかなかった。そのお父さんは曰く

「あそこの角を曲がったところに駅が出来るんですよ」と。

聞いた当時は、とても遠い未来の話に思えたものだが、開通してしまうと、あっという間だったと思う。

さて、その駅を妹と母がドライブがてら見に行ってきて、そのパン屋さんに寄ったそうだ。なんか買おうと思うと品数が少ない。しかし食パンだけはずらりと並んでいる。買えるのかと聞くと、すべて客の注文品だそうだ、そしてまた朝から売り出したパンの大部分はほとんどが完売という状態に近かったそうだ。

何も無いくらいの場所に土地を買って、パン屋を出したのだが、今回の鉄道開通に伴い、乗降客が増えた結果、この店を訪れる客が増えたのだろう。

しかし、味が悪くては、鉄道が開通する今日まで店を続ける事は難しかったと思う。そう考えると少ない人口の街でもそれなりに喜ばれて店を続けるという実力があったことは確かだ。実際、その店は何度か、タウン誌などの取材を受ける事もあったくらいの有名な店だとも妹が話していた。

商売人にとってどこに店を構えるのかは重要な判断の一つである。いわば先見性が試されるのだ。そしてまた、そこで活かす腕の高さも重要なのだろう。

奈良県立美術館 「スコットランド美術館展」

2006年04月08日 22時57分31秒 | Weblog
このところ毎月のようにどこかの美術館に通っている。関心と興味が美術館の展示内容と一致していることが多いのだろう。ただ、美術品の展示会は映画よりも一過性の高いものであることは言うまでもない。すなわち。映画の場合、映画館での公開が終わって、しばらくの期間がたてばビデオや映画に落ちることが多い。昔、「ロボコップ」という映画は映画の公開時から、「公開から一年はビデオになりません」と公言していた、しかし実際はそうでもなかったみたいだ。こうした形で観客を縛るというのもあまりほめれるものではないが、こうした「実験」の結果、帰って劇場公開における観客の動員という運動に対して、その決定的なイニシアチブを制作や公開する側が握るものではないことが明らかになったと考える。しかし、美術展は、そこへ持ってきて展示の形式や方法から、内容においてまで、期間中の一過性のものであり、同じ会を催すとしても、レイアウトにおいてまで同じものを再現することはまず考えられない。まして、海外から借りてきて行う場合はなおさら一期一会という特色が濃くなる。同じものを見ようとすれば、今回のようなスコットランド美術館や、大英博物館や、ルーブル美術館まで行かなくてはならない。それは途方もないとは言わないまでも、結構な時間とお金がかかるであろう。
だから、私は興味があれば身に行くようにしている。しかしこうした行為の一つ一つは、高く立てたアンテナで取り込んだ情報をいかに自分の物とするかという行為に他ならず、改めて出かけていくというのが、結構難しいことも私自身知っていることである。

さて、今回も行こうと計画していたが、特に今日行きたいという希望があった。その理由がスコットランドの民族的な楽器である「バグパイプ「を聞かせてくれるという企画があったからである。たとえ次の日に予定が入っていようとも行きたい企画であった。

しかし・・・・

これを母にしゃべったことから、家族がついて回る結果になった。ひとりくらいとなれば、何とかなるが、他に二人の計三人となると、ちと問題が出てくる。というのも私自身、ゆっくり解説を見て回る性質だからだ。

演奏会は夕方17時からだから、展示物の見学と合わせて余裕を持っていくならば、15時半くらいには入りたいところだ、しかし、家人がついて回った結果、16時半に入る始末となった。ようやく入って見だすと母親が話しかけてくる始末。スコットランドとはどこなのかと。ここで解説するのもなんだが、グレートブリテンと呼ばれる島の南半分をイングランド、北をスコットランドと覚えておくとまず差し支えない。他にもアイルランドというとそこがどこかもわからない。正確(?)にはイングランドの北西にあると覚えれば良いが、そもそもイギリスという国の地図が大体の形として頭に入っていれば、話が早いがそうでもないから、なおさら話が伝わりにくい。これだけ話すともううんざりで(出だしがこうだったからだ、どんな人間でも、どんな内容でもいいから本は読むべきだ!)それが少し態度に出たから以降、母は妹にくっついてあちこち回っていた。父はもっと見るのが早い。おそらく老眼に理由をこじつけてさっさと見ていったのだろう。老眼が来る前に、本を大量に読まないと、読めなくなるも同然だ。

でそれからはゆっくり見て回った。確かにこないだの神戸市立博物館の「ナポレオン展」よりは数も少ないけど、充実したものであった。

さて演奏会。といっても特別な場所が用意されているわけでなく、ロビーみたいな場所で3人ほど呼んできて演奏してもらう形だが、これが内容的にも演奏者の実力的にもなかなかの本格派。リーダーのカワイさんはダーリンが日本人という人。すなわち本人がスコットランド出身の女性だ。後の二人は日本人だった。勿論バグパイプだけが本物ではなく、当人たちの衣装もまたスコットランドの民族衣装そのものであった。曲と曲の間にはカワイさんの解説もしてくれて、これが結構達者な大阪弁口調で話される。勿論現地のダンスも披露してくれる。予定の30分がすぐに経ってしまう。

ただ、惜しむらくは同館担当者の見立てが少し甘かったことだ。というのもこんなに人が多く入るとは想定しなかったらしく、どこから見たらいいのかで、悶着がおこる場面もあったし、あまりにも多く空間的に狭い場所だから、ごく一部の前方にいる人を除いては、見えないという人の数のほうが多かったのではなかったのかと思う。また必ずしも演奏者とのコミュニケーションもうまくいっていなかったらしく、どこを正面とするのかも、想定していなかったらしい。企画は素晴らしいから、もう少し煮詰めたものにするべきだった。

さて、展示だが、こちらの方は充実したものだ。スコットランドと名がつく以上、イギリス周辺の美術品に限るのかと思われたが、フランスなどの作品も率先して収集したらしく、印象派の作品も多かった。中には、私が大学一回に芸術学のレポートとして提出したときに題材としたマネの絵画の原図を見ることも出来、それがすごくよかった。そしてまた再現性という部分での写真との競争も知ることが出来た。

内容的には大変充実しているので、近くの方は是非行かれることをお勧めする

狂乱の華、咲く

2006年04月07日 23時55分22秒 | Weblog
ようやく桜が咲き始めた。少し時期的に遅いのかもしれない。大阪の扇町公園の周辺でも、咲いている事は咲いているが、まだまだ咲き誇ったとは言い難く、5分咲きと言うところか。

松たか子が主演し、「スワロウテイル」で知られる岩井俊二監督の作品に、「四月物語」という作品があるが、あの冒頭にはとんでもなく満開の桜が出てくる。余談だが、桜吹雪が似合いそうな東宝のヤクザ系の映画の殴りこみシーンは、桜が出てくることはなく、必ず雪が降るのである。これは、東宝映画のお決まりだとか。

花見に出かけた記憶は少ない、あるとすれば父親の所属していたソフトボールクラブのメンバーとその子ども達が連れられて、見に行った事くらいか。
通っていた大学の周辺には桜の木がたくさんあって、花見をするにはもってこいだったが、私が在籍し4年間の桜が咲く時期は、軒並み寒い時期だった。やっている人を見ても、コート着ながらというくらいである。たかだか桜の木の下でドンチャン騒ぎをしたあくる日には花粉症というのも珍しくないだろう。
昨日の朝日新聞の夕刊にこんな記事が載っていた

「桜は怖いもんです」京都の桜守で知られる16代佐野藤右衛門は言う。
藤右衛門は5年前の3月、京都府北部の村へ行った。村の墓にあった桜の巨樹が枯れたので、原因を調べようとしたのだ。根元を掘り返していると、急に雲がわいて暗くなり、風が巻き、雪が舞いだした。藤右衛門は生まれて初めて桜に恐怖を感じる。あたふたと作業をやめて帰った。翌朝起きると、顔の左半分が腫れ上がり、左耳が聞こえなくなっていた。
腫れは一週間ほどで引いた。だが聴力は今もほとんど失われたままだ。「満開の下で背筋が寒うなる感じは、よう分かる。桜には、計り知れん妖気がある。」


にわかに信じられない話であるが、そもそも霊すら感じる能力の無い私だから、なおさら信じられないくらいである。しかし、毎年この時期になると、私は、よほど体調管理をしないと病気になることもあるから、必ずしも桜だけの影響でなるものではないと思う。ただ、何代にもわたって花に接してきた人の話だからリアリティのある話だ。

では、いつの桜が一番「安全」なのか?
多分、散っていくときの桜が一番無難なのだと思う。満開の桜をダイレクトに表現したものよりも、散っていく情景のほうが音楽の題材にもよく使われているしね。

下町を「下町」だということができる人

2006年04月06日 15時23分45秒 | Weblog
今朝、地下鉄の中つり広告を見ていると、面白い内容が目に付いた。
大体、こうした見出し広告は、書いてある内容と実際の本文のほうが、かけ離れていたり、本文の方がたいしたことがないというものが多いように思われる。
おそらく、コピーライター(あの一世を風靡した「コピーライター」という職業!!)が書いた文章をそのまま使っているのだろう。私は一時期このコピーライターになりたいと思ったことがあるが、もうすでに死に体の職業で、ひどければパソコンもまともに扱えない人もいるような職業でもある。一度そういう人を見たことがあるが、過去の栄光で職業的プライドばかりが目についたことを覚えている。

さて、肝心の中つり広告。雑誌は週間chintai。そう、あの住宅情報誌である。
内容は

「今週の特集;下町に住もう 大阪市営地下鉄御堂筋線昭和町駅」

とある。昭和町に住んでいる人々にとっては気の毒というよりも、ほっといてくれというような内容である。

ところで「下町」なんて名前の地名はない。根本的にその地域を見て、「ああ、ここは下町だ」と勝手に決め付けているだけの話にすぎない。だが、そこには蔑みの内容を含んでいることが多いのではないのだろうか。

時々、われわれは人の経歴のなかに「下町生まれ」という言葉を見出すことができる。これについては二つの意味がある。ひとつはやはり「蔑み」の意味で、もうひとつは「愛着」の意味でだ。たいていは後者の意味合いで使われることが多い。そしてまた、この言葉は微妙に自らの出身地を隠すという作用あって、同時に隠すという行為の緩衝材、すなわちクッション的な役割も果たしているのである。

しかし、この言葉を使うことのできる人間は、その土地に住んでいた人間、あるいはかつて住んでいた人間だけが使える表現ではないだろうか。そう考えると、誰もが知っていて、気軽に使えて、雑誌や書籍などの文字媒体の気軽な使用をもっとも嫌うような性質の言葉なのだと思う。