tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

ガンダムエース 2005年8月号

2005年07月04日 00時01分58秒 | ガンダム
先月号は本そのものの購入が遅れたので、パス。でも、ジオンの諜報機関の工作を逆に利用して、シャア・アズナブルに入れかわる方法はなかなか説得力がある。そもそもあの工作、すなわち本物のシャアを事故に見せかけて殺すという方法が、本当に諜報機関の工作であったのかは不明。安彦氏もあまりきれいな人間(ここでは英雄としての倫理観を持つ人間)として、キャスバルを描いているようには見えないからだ。

今回は、士官学校でガルマ・ザビに近づいていく様子が描き出される。プラモデルにおけるガルマ・ザビのパイロットとしての腕前は、かなりのものとして設定されているが、実際には、それほどの腕前でもなく、周囲のお膳立てが行われて、ようやく維持できるものだったのだろう。しかし、最初からガルマに近づく魂胆であったようには描かれていない。全くの偶然に任せて、相手の出方を待っているようなところもあった。やはり、上手だ。

エコール・デュ・シエルはいよいよ大戦闘の危機とマリーのグループの大勝負となる。あのティターンズをはめる事は出来るか?

ガンダムエース2005年6月号

2005年05月06日 19時05分06秒 | ガンダム
「オリジン」に関しては、あまり話の進展なし。
キャスバルとシャアがどのようにして入れ替わったのかについては書いていないけど、とにかくシャアが旅立つまでを書いている。
北爪氏の「CDA 若き彗星の肖像」は前回の話から、絵が荒れだしている。荒れているよりも原画のまま、最終ワークを行わないまま、掲載している雰囲気である。これが始めから狙って行われているのか、それとも筆者に制作進行の時間的問題から出ているのかはわからないが、とにかくイレギュラーな状況ともいえる。
「ガンダムレガシー」は相変わらず話の流れと見せ場がうまい。作者夏元氏は浦沢直樹と同じくらいの力を付けつつあると言えるのでないだろうか。


角川書店『ガンダムエース』 2005年5月号

2005年03月29日 23時25分42秒 | ガンダム
ネタばれ注意!

「ララア=スンは私の母になるべき女性だった。」
おなじみ、「逆襲のシャア」で赤い彗星が最後に残した言葉として知られる。あれだけの人物が、最後に求めていたのは母親の影だった。というそのことに対して、アニメの各評論家は、かなりの議論を行った。かくいう私は、その記事を読んだのが高校生くらいの時だったから。詳細に関しては、あまり覚えていない。

なぜ、母親の影を追い求めたのか。あれだけの大思想家の父親を持ち、そのイデオロギーに命すらも投じたあれだけの男が。

これまで、アニメで描かれたシャアの「復讐」の原因は、父親がザビ家に暗殺されたということが定説であった。しかし、今回の安彦氏のオリジンを見る限り、父親が偉大なる思想家でも何でもなく、ただメンタルな面で弱い人だったことが強調されている。むしろ母親の方が強いという印象さえ全面に出てくる。

ジオン・ズム=ダイクンが偉大な思想家であったと思わされていた、当時の大衆と同様に、われわれ読み手もまた、父親が偉大だった人の復讐劇だと思いこむから、上記のような議論が出てくる。今回の話はそこのところを見事につかれたという印象がある。

いずれにしても、話がかなり練られたものになってきていて、ますます、安彦氏が描き出す、別な意味での「ガンダム」は非常にスケールの大きいものとなってきている。

アニメとしての、劇場版としての「ガンダム」から見ると、これはパラレルな意味での、周辺に位置づけた話と受け取る向きがあるが、そうではない。周縁もまた中心となる可能性を指摘したい。

『ガンダムエース  2005年4月号』感想

2005年03月04日 18時18分54秒 | ガンダム
先の投稿とは別の内容になる。というより感想である。

安彦良和氏の「機動戦士ガンダム ORIGIN」では、ザクの原点といえるモビルワーカーが登場する。初期の試作品とも言えるロボットの手は、お約束とも言えるくらい二本指だが、このモビルワーカーは三本指である、当然足は短く設定されている。本当に作業機械だ。このモビルスーツの原点たるモビルワーカーを中心にして、ランバ・ラルや黒い三連星がいかにリンクしていくかがこれから描かれる導入部となっている。いつもながら、うまい筋書きである。
しかし、あのデザインからザクに発展するにはかなりの時間と技術が必要なのではないかと感じるのは私だけだろうか。

同号では、映画「ローレライ」の公開にあわせて、たくさんの特集が組まれているが、漫画の内容まで染まっている。いつも楽しみにしている「ガンダムレガシー」までこの内容に染まり、潜水艦の戦闘が描かれている。すこし染まり過ぎなのではないだろうか。

『ガンダムエース』(月刊誌 角川書店)

2005年03月04日 18時17分19秒 | ガンダム
大学に入ったころ、電車の中で漫画を読む会社員を見てみっともないと思った。つまらないことではあるが、漫画を読みながら座っている会社員の前に立ち、私は朝日新聞社の『AERA』を読んでいた。あの時は、あの週刊誌から得るものは大きかった。個人的に山一つをつぶして鉱石を取る「露天掘り」をもじって、最初から最後まで読むことを「露天読み」と呼び、それをあの週刊誌で行っていた。

ある時期から、面白い記事がないと感じ始め、拾い読みしかしなくなった。ある意味では、そこに書かれた現実を、突き放した虚構のごとくとらえ、面白がっていたからかもしれないところへ、現実が自分に降り掛かり、それがどうしようもなく絶望的なもの(例えば、失業とか、不況とか)として認知した時、それを直視し続けることが刺すような痛みとして感じ取ったからかも知れない。
そして十年以上たった現在は、電車の中で漫画を読むようになった。ふつうの人である。

さて、上記の雑誌だが、その存在を知ったのはなんと、朝日新聞の文化欄でこの雑誌と安彦良和氏のインタビューが紹介されたからである。かれこれ5年くらい前だったと思う。創刊号は手に入らなかったが、そもそも当時取り扱っている本屋が少なく、なかなか眼にふれなかったからである。当時は、季刊誌だった。手に入れたのは第二号からだった。その後、創刊号も手に入れたが。2年くらい経って隔月刊化、さらに1年で月刊化がされた。本屋に在職してい当時、社員やパート、バイトでこの漫画を買う人は多かった。
だが最近は、創刊時の熱意や工夫が薄れてきたように感じる。

個人的に読む漫画が限られてきたというのもある。『AERA』の二の前になるような感じがする。