tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

両親が老いるということ

2005年06月11日 22時49分01秒 | Weblog
妹は公務員の非常勤職に就いているが、何でも雇用制度上の問題があって、契約上一ヶ月だけ厚生年金が払われない月があるそうだ。そのため、一ヶ月だけ国民年金に入らなくてはならない。入ると書くとたいそうだが、今日、社会保険事務所に行くと銀行、郵便局、コンビニなどで払える振込み証が送られてきて、払うだけである。その前に、最近は土曜日でも社会保険事務所が開いているケースが多い。

妹に便乗して、父も事務所に行って、年金の相談を受けてきた。いつまでも若いと思っていたが、両親もそんな年になったのである。父は一般企業の取締役だから(代表ではない)定年が延びた。といっても1年か2年くらいだ、大きな会社のピラミッド構造だから、上にいる人間がどかないことには下にいる人たちにチャンスが回ってこない。これが問題だが、実際に父はそのポジションにあることが実力的に見て正当であると、私自身信じているくち(あくまで愚鈍な息子の目から見てだが)だから、意外に早く辞めさせられるとさえ思う。

さて、私が所属する世代は親の世代と同等の豊かさに近づけないと悟った世代の一番初めである。

しかし、親の年金の受取額を聞いていると、とてもそこまで生活水準を落とすことはしのびないと思うような額面である。かといえ、私たちがそれほど多くの収入があるわけでもないから、多くの仕送りを行うことは難しい。私個人、生活の水準を落とすことにはそれほど抵抗はない。

現実を直視したからというわけではないが、ここにいたって、ようやく私という個人以外の人間を養う視点がついてきた。