絶対王政下のヨーロッパで、マナーの洗練された宮廷やサロンなどでは、男性が「かつら」を被ることは紳士としての必須条件でした。
16世紀の宗教争乱の時代が終わり、粗野(そや)な地方貴族たちが宮廷に集められた時代、彼らの生活を律する規範(きはん)は、礼儀正しさだったのです。正しい礼儀とは、何よりも相手を傷つけないことなのです。
相手の肉体的欠陥に侮辱(ぶじょく)をくわえないため、みな一律に「かつら」を被れば、素振(そぶり)でも話題でもハゲ頭の男を傷つけることはありません。
「かつら」は古代エジプトに既にあったのです。縮れ毛の古代エジプト人は好んで直毛のかつらを着用し、征服したゲルマン人の毛髪を使用したといわれています。貴族たちは、男女とも公式の場ではかつらをかぶるのが習慣だったそうです。あのクレオパトラの黒髪も「かつら」だったといわれています。エジプトの貴人は頭を剃っていたので外出したときに、日に焼かれないように用いたそうです。
オヴィディウス※によるとローマでは男はハゲ隠しに、女は髪を結いやすいように用いたとされています。
※オヴィディウス(Publius Ovidius Naso, 紀元前43年3月20日 - 紀元17年)は古代ローマ、「アウグストゥスの世紀」に生きた詩人。オヴィディウス(ドイツ式)、オーヴィッド(英語式)とも記されることがあるが、ラテン語を日本語でカタカナ表記する方式の違いであり、どれが正しいというものではない。
「幸運と愛とは勇者とともにあり。」「邪悪なる善は甘い蜜に潜む。」「美徳とは、おのが報酬なり。」等の言葉を残した。
「かつら」着用がヨーロッパの貴族間で盛んになったのは、17世紀ごろと言われています。フランスのルイ13世が若くして頭が禿げていたため「ハゲ隠し」にかつらを愛用したといわれています。
これを公式に宮廷の服装の一部と定めたのが息子のルイ14世でした。ルイ14世は、はじめは用いなかったが、1670年、26歳以降「かつら」を用いました。ひとつは前途のように儀礼的な意味、もうひとつは背が低いのを少しでも高く見せ威厳を保つためだったといわれています。バッハやの肖像画に見られるように、クルクル長くてボリュームのあるものです。
貴族たちは地毛を短くかったり 剃ったりしていたようです 衛生面でもかつらの方が 良かったためと言う理由もあるそうです。
確かに見栄えも良いと言う理由もあったのでしょう。18世紀になると かつらは 短くなってきます。においを隠すためパウダー状のラベンダーなどの臭い付きや色つきの物などがありました。化粧室のことを「パウダールーム」と呼ぶのはここから来ています。人毛は高くお金のない貴族は山羊などの毛を使用していました。
バッハ( 1685年3月21日 - 1750年7月28日)やモーツァルト(1756年1月27日 - 1791年12月5日)は王侯貴族階級相手に仕事をしていたから正装として「かつら」を着用していたのですね。
ベートーヴェン(1770年12月16日ごろ - 1827年3月26日)が「かつら」を着用しなかったのは、権威を嫌っていたという性格的な理由と彼の頃には革命などで貴族の権威がぼちぼち下落気味でかつらの権威も下がり、必需品でなくなってきたという時代的な事情もあるようです。
中世のヨーロッパでは貴族を中心にかつらは正装であり、権威の象徴でもありました。その影響からか当時の裁判では裁判官、弁護士ともにかつらを着用していました。
その名残でイギリスでは今も着用していると言われ、一説には上記の理由以外に裁判官のハゲ隠しのために今も着用しているということも言われています。
ちなみにこのかつらですがかつては着用が民事裁判、刑事裁判ともに義務付けられていましたが、数年前から民事裁判に関しては着用義務がなくなったそうです。
刑事裁判は現在でも裁判官、弁護士ともに着用義務があるそうです。
因みに、私はハゲを身体的欠陥とみなすものではありません。しかし、かつらの着用に異議を唱えつもりもありません。見るからに「かつら」を被っていると判るものには、かえって戸惑います。
したっけ。
高校時代の、ある月曜日のことです。
はげ公がかつらかぶってきたぞ~!
という男子の声が・・・
そして、生徒たちがみな職員室へ
そこには、いかにも不自然なかつらを着けた先生が。
その日から、はげ公は、アデ公と呼ばれましたとさ。