最近、「エビさま」だか「カニさま」だか分からない輩(やから)が、何を勘違いしたのか知らないが大騒ぎになっている。私には怪我をしようがいまいがまったく係わりのないことでございますが・・・。
梨園については、「歌舞伎界は何故、梨園なのか?」について考える、を参照ください。
血筋がいいだとか、血統がいいだとか、サラブレッッドじゃあるまいし、どうだっていいことじゃありませんか。
だいたい、歌舞伎なんてものに血筋なんて御大層なものがあるのかどうかも怪しいものだと思います。
歌舞伎なんてものは、出雲阿国に始まり、阿国を真似た遊女たちによって、「女歌舞伎」が大流行になった。彼女たちは芝居興行の後に宴席に呼ばれ、その夜は本職に精を出すのが当時の興行形式だったという代物だ。それが風紀を乱すというので女優が禁止になって、男だけで演じるようになった。
男だって美少年をそろえて同様の興行形態。芸を売るとはオカマのことか。それも勘弁ならぬと、成人男子のみの興行になった。
詳しくは「歌舞伎に女優が登場しないのは何故か?」について考える、を参照ください。
江戸時代の身分制度というと、士農工商が有名ですが、その下にがあった。役者はもともとといわれる身分で、あるとき、役者は、はたして良民かかということが問題になっちまった。このころの人気役者ともなると、小大名顔負けの経済力を持っていましたが、良民とでは身分が大違いだ。当初「」と呼ばれて扱いだった芝居役者が、町奉行所における裁きで良民と認められたのは宝永5年 (1708年) のことだった。
これで役者連中は喜びました。それまで良民だかなんだかわからないまま、劇場付近にかたまって住んでいたのを、天下御免の良民になったのです。これを機会に、良民として、表通りに住み始めた。
そして、江戸時代の法律では、表通りは商家でなくてはならなかったので、団十郎、幸四郎、菊五郎といった連中は、お手のものの化粧品問屋を開いたってわけだ。化粧品の他、小間物問屋、薬屋を開いた役者もいたということですが、商いには屋号がつきものだ。あっという間に、歌舞伎役者の間では屋号で呼ぶことが流行ってしまった。
せん‐みん【×】
1 身分の低い民。下賤の民。下民。
2 社会的に最下層に置かれて差別された人々。律令制では良民と区別して・・家人・・の5種があった。中世には・などとよばれた被差別民が存在し、近世、封建的身分制が確立されると最下層身分として(えた)・が置かれ、きびしい差別が行われた。
大辞泉
以上、詳しくは「歌舞伎役者は何故屋号を持っているかについて考える」、を参照ください。
もともとは士農工商以下のだったわけですから、由緒正しいの血筋と言うことになります。屋号はじゃないぞという彼らのアピールだったというわけです。
そんな屋号を覚えて、通のように掛け声をかけるのはよしとしても、「ひとつにらんでご覧にいれまする。」などとは、勘違いもはなはだしいとは、個人的な意見で、人を差別しようとする意図は持ちません。
睨まれたら一年間風邪を引かない。それなら医者はいらぬということではございませんか。
それを、ありがたがってくださる皆さんがあっての役者稼業。息子が息子なら、親も親だ。「見上げたもんだよ、屋根屋のフンドシ。田へしたもんだよ、蛙のションベン。」とは、寅さんの名台詞。インタビューされても、「知らぬ。存ぜぬ。」押し通し。普通ならば「世間様をお騒がせして申し訳ない。」くらい言ってもよさそうなものではございませんか。
海老も茹でれば赤くなりますが、血で赤くなったのじゃ洒落にもならない、とは言い過ぎだろうか。
したっけ。
いつもありがとうございます。
役者さんは大変だなぁ・・・って思っていましたが
拝見して、ちょっと見方が変わりました。
いつもながら、絵もお上手ですね。^^
役者さんは大変なんですよ。
なんせ、生産活動も、販売い活動もしないで、皆様のいわば援助を受けて生活しているわけですから。
何もしていないのに生活できるから勘違いが起きる。自分は偉いんじゃないかと・・・。
したっけ。
思い上がりも甚だしいです。歌舞伎は「歌」「舞」「伎(技)」とも言われているくらいこの3つの技芸で楽しむものなのですね。だから役者さんは日頃から技芸の向上のため精進するわけです。ただ皮肉なことに、役者さん自身の努力の及ばないところがある。それが華なのです。いくら上手い人でも華に乏しい人もいるのです。反対に技芸は下手でも生まれつきの華や家柄を持っている人がいる。これが人気の分かれめだったりします。華や家柄を持って生れた人が更に精進して技芸を持てば鬼に金棒なのですが、この人ははっきり言って下手です。
それを謙虚に学ぼうという姿勢がないから、いつまでたっても自己流で良くならない。でも贔屓の人はミーハーだから下手でもきれいだから観に行くので満員御礼。そこでつけあがっていたのでしょう。伝統芸能というのは常に先人先輩を敬い、芸を学ぼうという姿勢がなければ向上しません。お家芸の「荒事」についても勘違いしています。ただ荒っぽくすれば荒事なのではありません。正しい骨法というものがあって、それを踏んで演じなければ荒事とはいえません。そのためには踊りと台詞の修練が基礎になければならない。ましてや荒事芸の宗家の跡取りなのですから、余計にそれができていなければならないのにできていない。そういう苦言を呈する人がいないということが不幸でもありますが、こればかりは本人の自覚のなさですね。また、舞台中継でびっくりしたのですが、舞台からお客さんに信じられない言葉をなげたり、父上よりベテランの役者さんをどついたりしていました。
こうなると技芸以前の人間性の問題です。歌舞伎の世界にはしっかりと精進している人もいるわけですから、この人の件でそうした人までが誤解されるのは気の毒千万です。
私は歌舞伎のことはよく分かりませんが、彼が人間的に好きになれない理由が分かりました。
親も悪いですね。伝統を引き継ぐのですから、しっかり教えなきゃあイケません。親も勘違いしているんでしょうね。
歌舞伎界の「腐った林檎」にならなければいいですが・・・。
したっけ。