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47 偽善する人々
人間は偽善をする。善いことをしていないのに善いことをしているふりをします。実は悪いことをしているのに善いことをしているふりをします。
悪いことをしていると思われると損をするし、善いことをしていると思われれば得をすることが多い。人はふつう利にさといから偽善が可能であれば、しばしば、それをするはずです。実際、世の中は偽善に満ちている。
一方、他人がする偽善にだまされると損をすることが多い。善意を裏切られて傷つく。したがってふつう人は他人がする偽善は大嫌いです。しかし自分の利を求めて偽善をする人は絶えないので、だれでも生きている以上、しばしば人が偽善をする場面に出くわすことはしかたがないでしょう。
偽善はなぜいけないことなのか?まず偽善があると分かると不愉快です。偽善をして得をする人がいればその分、偽善をしない人が損をする。いや、その人が得した分の何倍も損をする場合が多いようです。腹が立ちますね。
腹が立つ以前に白々しい嘘に出会うとぞっとする。悲しくなる。私たちは嫌悪感を持ちます。人間不信になります。
そうであれば、偽善が横行するような場では、言葉を交わすことが空しくなる。人と付き合うことが空々しくなります。それでは人間関係が円滑に保てません。約束事もできない。貸し借りもできない。ビジネスもうまくいかなくなるでしょう。行政も政治も娯楽も芸術も、うまくいかなくなる。そこかしこに偽善ばかりがはびこるようでは、社会がだめになりますね。
偽善者が得をするような世の中では、偽善は後を絶たない。偽善者を犯罪者のように取り締まって罰を与えたり、刑務所に隔離したりすることができる制度にすれば世の中はよくなるはずです。しかし実際はそうなっていない。偽善を犯罪として取り締まることは、実際問題としては、むずかしいのでしょう。
明らかに嘘をついて人の財物を詐取すれば詐欺として犯罪になります。これも被害者からみれば、加害者が善人のふりをするという点で偽善でもあります。見知らぬ人が「おばあさん、荷物を見ていてあげますからトイレに行ってきなさい」といってくれても信用できません。置き引きである可能性があります。振り込み詐欺、悪徳内装業者など、年寄りを狙う詐欺は後を絶ちません。
善人のふりをして財物を狙う。この手法を合法的に使えれば楽に利益が上がります。インチキ商法など上手なものはだまされた後でも気がつかない。見事な偽善ともいえます。
「お客さん気に入ったから仕入れ値でさしあげます。半値でいいよ」といわれて信用する人はよほど人がよい。だまされた場合、商人は偽善者です。「悪性の恐れがありますね。この薬を飲んでください」とお医者さんがいえば、ふつう信用して薬価を支払います。しかし、これが無用な薬で薬屋さんからリベートをもらっている場合、医者は偽善者です。「きみの才能が惜しいから進学を勧めているのだ」と言いつつ、実は進学率を上げて出世することを目指している教師は偽善者です。