たとえば、インフルエンザが流行っているという物語は、マスクをするために必要であるから語られるのかもしれない。あるいはマスクを売るためにそれが語られるのかもしれないが、それでもそれを聞く人は、マスクを売るためにインフルエンザが語られている、と思って聞くのではないでしょう。
たとえば東京の場合、東京都感染症情報センターが都民の健康を守る目的でインフルエンザの患者数を調査し発表する。新聞記者がその情報について書き、デスクが見出しの大きさを決める。新聞を斜め読みする購読者は、見出しの大きさを見て、どれほど深刻にインフルエンザが蔓延しているのかを知り、知り合いに語る。そのとき、人ごみに近づかないようにしようとかマスクをしようとか、注意しあう。こうしてインフルエンザが流行っているという物語は、流行っていきます。
このようにして物語は人々の間で語り継がれて行く。竹取物語は、では、どのようにして伝承されたのでしょうか?
学説によると、奈良時代初期に貴族階級の文人が漢文で書いたものが、後の時代に仮名文として書き直されて伝わった、とされているようです。最初に漢文で書いた人は、たぶん、仲間に読ませて楽しませるという動機で書き下したのでしょう。後の時代に仮名文に直した人は、この面白い物語を多くに人に楽しめるようにやさしい仮名文字で書いた、と思われます。
拙稿本章の興味としては、この物語の原典考証ではなくて、なぜ私たちがこの物語の内容を好きになるのか、という問題です。
竹の中から天女が出てくる、という荒唐無稽さがこの物語の魅力ですが、荒唐無稽なら何でもよいのか、というと違うでしょう。もしかしたら本当にあった話かもしれない、と思えると興味が出ます。さらに竹採集者のような庶民が、まったく偶然、天女を娘に持つことによって、貴族や天皇と対抗できる、というプロットもおもしろい。美女の魅了とはそれほどのものなのか、実人生の参考になります。
月の女神といえば、ギリシア神話では恋した人間の美少年に毎夜寄り添うために永遠の眠りを与えて不老不死にした、となっています。この物語も、神様なら人体を生きたまま冷凍して永久保存とかできるのかな、という人々の興味が下敷きになって作られ伝承されたのでしょう。不老不死でも意識がないのじゃつまらないかな、などと現代の植物人間問題を先取りしているかのようです。