(44 物語はなぜあるのか? begin)
44 物語はなぜあるのか?
今は昔竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて、竹をとりつゝ、萬の事につかひけり。名をば讃岐造麿となんいひける。その竹の中に、本光る竹ひとすぢありけり。怪しがりて寄りて見るに、筒の中ひかりたり。それを見れば、三寸ばかりなる人いと美しうて居たり。(竹取物語)
物語は世界のどこの国にも、 いつの時代にもあった、といえるようです。つまり人間は、物語を語り、聞く動物である。それは生活に必要だから、なのでしょうか? いや、単に、私たちが話を語り聞くのが好きだから、という気もします。
どうなのでしょうか?なぜそうなのでしょうか?拙稿本章では、この疑問を考えてみましょう。
私たちは物語を聞くのが好きですが、まずそれ以上に、物語を語るのが好きなのではないでしょうか?
物語はなぜ語られるのか?私たちはなぜ物語るのか?その語られた物語をなぜ私たちは好んで聞くのか?
ドラマはなぜあるのか?小説はなぜあるのか?マンガはなぜあるのか?テレビはなぜあるのか?週刊誌はなぜあるのか?インターネットはなぜあるのか?
それらの存在は、生活に必要なのでしょうか?私たちが生きていくために必要なのでしょうか?
物語が生活に必要だ、という意見は余り聞きません。小説家やマンガ家は生活のために書いているかもしれない。しかしそれを読む人はそれを読むことが生活のためなのか?
物語が語られるとき、人はなぜそれを聞くのか?物語はなぜ人に聞かれるのか?人はそれを聞く必要があるとき、それを聞く。あるいは、人はその物語を語る必要があるからそれを語る。
多くの人がその物語を聞く必要があり、同時に何人かの人がその物語を語る必要がある場合に、物語は語られる、ということでしょう。