鳥居坂の下を東西に走る四車線道路、環状三号線は武蔵野台地の南端崖下を走ります。東に進んで一の橋交差点で麻布通を横断すると、平坦な東麻布の街を抜けて、その先は芝公園の南端をかすめてJR京浜東北線に突き当たります。この環状三号線道路が、武蔵野台地の南東の端部を囲っている、といえます。これが台地の端部であることは、この辺の崖線の勾配を見るとはっきりしています。東京湾側に東に下る崖は段差が数メートルあり、階段が必要なくらいきつい勾配です。ところが下の平地に着くと、海まで真っ平らです。つまり遠浅の砂浜の潮が引いた状態です。あるいは長期的に全体が隆起したか、海面が下がったかという地形変化を推定できます。
ではこの環状三号線より南に武蔵野台地の名残はないか、というと、あります。鳥居坂の坂下で環状三号線を南にまたいで直進し、麻布十番通りを南に横断すると暗闇坂と標識がある細い一車線ぎりぎりのかなりきつい上り坂があり、その先は武蔵野台地の名残の高台を形成しています。この高台は西の六本木ヒルズから続く尾根になっていて、武蔵野台地の東端の崖上といえます。暗闇坂最高部の交差点を直進すると緩やかな登りの一本松坂となって、左の頂上には元麻布ヒルズの高層タワーが立っています。この高層マンションの東は下り崖になっていて下りの中腹が善福寺です。米国の初代駐日公使タウンゼント・ハリスが駐在した寺院です。善福寺の境内が蔵野台地の舌状高台の東端といえます。一本松坂は先の仙台坂上交差点で終わり、そこを左折すると仙台坂という名の下り坂となって幹線の麻布通へ下ります。
善福寺の崖が武蔵野台地の東端である、と先ほど言い切ってしまいましたが、ちょっと不正確です。実際の地形は、この麻布通にそって走る古川が台地東端部を少し削ってしまったために、さらに東に小さな高台が残ってしまっています。仙台坂の坂下である二の橋交差点を直進して二の橋で古川を渡り、その高台へ上る坂を日向坂といいます。その坂の頂上に、一九一三年ジョサイア・コンドル設計により建てられた華麗な綱町三井倶楽部本館があります。そこから東に下る坂は綱の手引き坂と名付けられています。この坂下を南北に走る両側三車線の幹線道路が桜田通りです。その東側には芝の市街地が広がり、真っ平らな土地ですから、この高台が、まさに武蔵野台地果ての東端です。この坂の中腹に二〇一四年竣工したザ・レジデンス三田マンション建替組合の役員を筆者は務めていましたが、竣工まで坂名の由来を知りませんでした。調べてみて、酒呑童子を退治した渡辺の綱が手を引かれたという伝説からきている由緒ある坂名と知り、今は誇りを持っています。
ここの桜田通りの西側は高台になっています。綱の手引き坂から南に行くと慶応大学があります。この大学のキャンパス西側は桜田通りへ下り傾斜していて滑って歩きにくいところでしたが二〇〇〇年に東館が作られて幅広の階段で桜田通りへ降りられます。この慶応三田キャンパス全体が武蔵野台地の東南端であるといえます。
南に延びる武蔵野台地は、東京湾の海蝕によってできた東端の崖にそって昔の東海道が南に下っていきます。昔から江戸つまり東京から横浜に向かう旅人は、西側に、いつも崖を見上げて進むことになっています。現在のJR東海道線や京浜東北線も同じように、武蔵野台地の東端にそって南北に走っています。
一八七七年にエドワード・シルヴェスター・モースは米国から横浜に到着して、新橋に向かう陸蒸気の車窓から、鉄道開通工事跡の切通しの崖に貝塚らしい地層を発見しました。その場所は大森駅の北側、西側に見える崖層です。これはまさに、武蔵野台地の東端です。江戸湾の過去の波打ち際だ、とモースは日記に書いています。モースが後年、館長を務めたセーラムのピーボディ博物館では、モースの日本での博物コレクションが展示されています。筆者は米国滞在時、これを見にセーラムを訪れました。魔女狩りで有名な観光地ですがナサニエル・ホーソーン(緋文字)など文学者の街でもあり、文化的な都市にふさわしい立派な博物館がありました。よく集めてくれたなあ、と思うほど種々の江戸、明治の道具、物品、動植物、写真、など、さすが昔の博物学者はえらかった。日本に来てくれてよかったです。
JR京浜東北線西側の崖は、上野駅から北のほうが険しくて車窓からすぐ分かりますが、東京駅から南のほうは車窓のすぐには迫ってきません。顕著に分かるのは、大森駅の西崖です。大田区の高級住宅街として、田園調布と並んで称される「山王」は、大森駅の西側の崖上の住宅地です。大森駅直近の崖上なので生活には便利ですが、明治大正の昔にこの崖を上る道を開くのは大変だったでしょう。西は武蔵野台地の典型で緩やかな斜面地です。畑作に使われていました。この崖は江戸時代には海を見渡す景勝地として浮世絵にも描かれています。高校生の頃、がけ下の大森駅のバス停から池上通りを通学していました。バスの車窓に映る昭和の商店街は、筆者にとって日本の原風景です。
