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哲学の科学

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趣味としての老人(4)

2022-05-15 | yy83趣味としての老人


●新規提案は却下
インターネットで検索していると必ずお誘いが飛びこんできます。こういうアプリはどうですか?クリックしてください。というサプライヤー側の提案が出てきます。スマホでは軽いタップです。インターネットが営利活動である限り当然の営業が行われているということでしょう。
これを全部、ハイお願いします、とクリックしていたらいくらただでもアカウントだらけでパスワードだらけになる。少額ですが月会費をとるものも多くあります。
こんなに便利になりますよ、とか、かなりお得になりますよ、とか、皆さんお使いですよ、などと言われる、つい登録したくなります。しかし待てよ。取捨選択して入会したりしなかったり、会費が高いからやめたり、とかばかり毎日しているのはいかがなものか?
提供されるシステムに参加したりしなかったり思い悩む毎日でよいのか?投資したり消費したり参加したり変更したりやめたりが個人として重要な活動であると思っていてよいのでしょうか?
昔の人もガマの油を買うか買わないかで悩んだりしたでしょう。それは楽しいことでもあるが買った後それほど役に立たない。いずれ捨ててしまうものです。買うか買わないか、その判断に使う思考エネルギーの無駄、ともいえる。
クリエイティブでない。自分の頭で考えだすものがない。身体を動かして作るものがない。タップする指だけは動かしますが。指だけの生活、これはデジタル(原義は指 拙稿80章「デジタルその魅力と退屈」)の罠ではないのか?
同年配で、インターネットは一切していません、という人がいます。それも立派。だがさぞ不便でしょう。ランプに頼る生活ですかね。しかし老い先短いのにいまさら変な新しい文化を学ばされるのはうんざり、ということでしょう。
この気分は納得できます。
今の生活でまったく不便はしていない。昔から比べればずいぶん便利になっているし、毎日同じような繰り返しで楽々と楽しく暮らしているから、これ以上便利になったり面白くなったりする必要がない。それより新しいことを覚えるのは面倒だ、となるでしょう。









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