大きな物語を強力に敷衍して軍隊と警察の内部を洗脳しようとしても、短期決戦ならばともかく、現代世界の空気にさらされた兵士は自国防衛に専心する敵国の軍と対峙する膠着戦線での大きな活躍は期待できません。
問答無用の軍事侵略を実行しようとしても、自国内の軍事機構と兵站のための産業を恣意的に再編成して実戦に使えるシステムに置換することからして無理があるでしょう。政治組織、軍事警察機構および公私企業とのバランスでようやく平衡を保っている現在の権力構造を急激に改変しようとすれば、その隙に政権が崩壊してしまいます。
そうであるから軍事侵略ではなく経済侵略という語が使われます。つまり営利目的を持つ私企業が国家エリートと密接に協力して他国内で開発を進める形がとられます。
重商主義を目指した初期のオランダ東インド会社がそうであったように、この国の対外進出に資本的経済的野心以上の大義はなく、横溢する資本の国外への拡大システムの一環というべきでしょう。
そうであるとすれば国旗が高くひるがえることはない。大義に殉ずるほどの国民の熱狂はありません。語られているその大きな物語は、営利目的の日常の継続でしかありません。
強大国の大権力者といえども現代では安易に優越願望を満たすことはできません。つまりあからさまな侵略や支配はできない。昔のような武力侵攻はできません。
歴史の流れは終わった。あるいは少なくとも大きく変わった。だれもが恐れしたがう大権力者はどこにもいません。
