つまり居眠りをしている猫の身体はケチに徹しています。身体をなるべく動かさずにエネルギーの消費を最小化します。何もすることがないときは何もしない。ただ眠る。身体のこの機構は自然の見事な傑作です。賞賛すべきです。しかし眠りをほめる人はあまりいません。
ケチに徹することが美しいならば、居眠りをしている猫は美しいはずです。居眠り猫の姿は美しいのか?日光東照宮の木彫眠り猫は左甚五郎の傑作といわれていますが、特に美的であるとの評価はないようです。
どうも、居眠りは、なまけものであるとか、軽蔑されることが多く、美しさにつながる捉え方はされません。民話「眠れる森の美女」では、眠り姿が美しいとされて、有名画家が描いています。しかし、この姫は眠り姿だけが美しいのか、それとも、もともと美しい人が眠っただけなのか?
後者とされているようです。
ケチを徹底すれば、何もしないことに行きつく。動けば消耗する。だから眠っている状態が消耗最低という点でケチの究極になるでしょう。
眠りという状態はエネルギーの基底状態ですから安定はしています。安定の美しさはある。不動の物質を見るときのようです。絵画彫刻など不動の物質を見て、美しいと感ずるところからすれば、眠りが美しくないとはいえません。しかし、感動するほどの美しさを感じるものであるのか?
直線の美しさに似ています。単純、エネルギー最小が極まっている。しかし、まあ、ありふれているということで、感動が大きいという場合はあまりなさそうです。