マスメディアもインターネットも現実を語ることによって現実を作っていく。作っていきたい。声高に語る人が無責任だと言い切ることもできない。
責任があるはずのエリートは現実を語るつもりがない。声高に語る人は現実を作っているという自覚を持たない。善意のアジテーターといえます。意図的なプロパガンダをしているつもりはないでしょう。それでもそれだからこそ現実は、こっくりさんのように、作られていきます。
マスメディアであるいはインターネットで、学校や集会で、現実を語る人々はなぜ現実を語るのでしょうか?
興味深いことは、どの現実を語るのかに関わりなく現実を語る人は繰り返し毎日のように現実を語ってやめない、ということです。
テレビのアナウンサーのように、あるいはジャーナリスト、記者、評論家のように、それを職業にしている人たちが多い。職業あるいは準職業として、日々それに励んでいるようにみえます。
新聞記者、放送記者は新聞紙面、テレビ画面で自分のスクープ記事が大きく現れ、読者視聴者が話題にしてくれることが生きがいで働いています。それが特別記事や特別番組になったり記者会見を引き起こしたり国会で質問に出たりすれば最高でしょう。
大成功した場合、その報道が発展して「・・・問題」と名付けられる社会問題になったり、「・・・現象」と呼ばれる流行ワードになったりします。
問題は、その働きがその場限りの成功を目的にしていて、その活動が作り出した現実がその後どう発展するかには無関心な人だけが成功するシステムになっているらしいことです。
