goo blog サービス終了のお知らせ 

哲学の科学

science of philosophy

ファースト・デートの存在論(4)

2024-06-29 | その他




文化によるその様式の継承が他の動物種の反射的メカニズムよりも効率的で安定的であったが故に、それはフェロモンなど他のメカニズムを退化させ、言語の概念化で人類に実装されました。
その存在感は「対の理論 theory of pairing(拙稿82章『付き合いの存在論』)」として人類文化の無意識な下層に埋め込まれています。
古典文学をみれば(西暦九〇〇年前後「伊勢物語」)、(一〇〇八年 紫式部「源氏物語」など)物語は生来、男女があらゆる困難をかいくぐって一夜の逢瀬を求める語りとなっています。
男女が近づき対を作り結合する。これが対の理論の根幹をなしている。家族の基礎となり国を作っていく。世界中そうでしょう。その初めに来るファースト・デートの存在論はかく重要です。

個人にとってのファースト・デートの成功は、人類の大いなる快挙です。たとえば月面の足跡(一九六九年)。ニール・アームストロング「この小さな一歩は人類の大いなる飛躍だ That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind.」 
ファースト・デートが成功したとしても、それは二人だけの小さな記憶をつくることでしかない。「いつの日にか 僕のことを想い出すがいい ただ心の片隅にでも 小さくメモして(一九八一年「セーラー服と機関銃」来生えつこ)」
結果は、ただの小さいメモで終わるかもしれないし、あるいは数世紀にわたる一族の始りかもしれません。■



















(97 ファースト・デートの存在論  end)





自然科学ランキング
コメント

ファースト・デートの存在論(3)

2024-06-22 | その他

ペアの相手は結果的に決まる、とも言えるけれども最初から決まっている、とも言えます。選ぶともいえるし選ばれるともいえる。追いつ追われつ、ともいう。
古来、この世は男と女、どの時代でも、どの男女でもまったく同じように近づき、寄り添って生きて死んでいきます(西暦九〇〇年前後「伊勢物語」)。森で出会う動物の雄と雌のようです。本能がそうさせるから当たり前である、と私たちは先生に教わって納得します。
しかし確かに、動物は求愛し交尾する精巧なメカニズムを備えている。効率的な生殖様式の獲得に成功した遺伝子ゲノムだけが現代に残っています。
形態は多種多様、進化と環境に適応した精巧な様式だけが私たちの目に見えています。動物のそれは、本能に基づいている、といわれるようになりました。
人間も動物である、という納得によって自分たちの存在の何かが分かるような気がします。
ただし人間に本能は不要でした。言語と模倣による学習が生殖の様式を文化として継承できたからです。人類において求愛と交尾の様式は文化として継承されていきます。








自然科学ランキング
コメント

ファースト・デートの存在論(2)

2024-06-16 | その他

ファースト・デートの存在論を語る場合、語る価値があるとすれば、その最初の部分、つまり、なぜ初めから相手にひきつけられるのか?拙稿54章「性的魅力の存在論」で語った魅力の存在論です。

一瞬どう見えるか、が問題です。一瞬で脳裏(視覚野)に焼き付く。その前に動眼神経が動き瞳孔が開いてしまう?視床の反射が最初に来る、でしょう。
男も女も女の身体が美しく見える、というのが拙稿の見解です(拙稿54章「性的魅力の存在論」)。女の額は丸い。骨盤は胸郭より広い。性的二形を作る差異は一瞥で感知できます。女がここに存在する、と感覚で分かる。軽く柔らかい、と分かる。
その差異を美しいと思えるように人間の感受性は作り込まれています。しかし美しい花にはとげがある。つまり触りたくなる、という事実があります。薔薇には棘がある(No rose without a thorn)。直感で分かる。
棘を厭わず触れるか?触れたものをどうするか?

身体がすでに進んでくれれば理論はついてくる。ふつう対の理論がついてきます。
拙稿では男女一組という存在感を仮に「対の理論 theory of pairing、源流は共同幻想論(吉本隆明1968)」といいます(拙稿82章「付き合いの存在論」)。男女の対という観念は、つまり、男や女という観念よりもずっと根源的に存在する。世界は男女の対でできている。この相手と対がつくれる、と思えるかどうか、でしょう。そうでないならば進みません。
ファースト・デートの存在論もそれです。どの理論に基づいているのか?とにかく身体は近づいていく、世界によくある一対になろうという衝動。言葉では、付き合いとか、パートナーとか、実にいろいろな言い方をしますが、結局よくあるペアリング(拙稿82章「付き合いの存在論」)のことです。 

抽象的には「個別的な人格性を放棄して一人格を成そうとすることの同意。そのことによって実体的自己意識を獲得する」(一八二一年 フリードリヒ・ヘーゲル「法の哲学」第一六二節)となります。言葉とは関係なく結局それを目指します。
理論はさておき、ペアリングは日常的に誰もが理解しています。ラブホテルで脱いだ二人の下着をペットボトルに詰めて川に流す話(二〇〇三年 平野啓一郎「高瀬川」)。市の予算でデートを支援する交際支援給付制度。古代の神話。
プラトン(紀元前四二八頃~紀元前三四七頃)の著作にある球体人間アンドロギュノスは、男女二体に分割されてしまったので片割れを求め続ける。古来の謎です。










自然科学ランキング
コメント

ファースト・デートの存在論(1)

2024-06-15 | その他

    
     97  ファースト・デートの存在論


ファースト・デートというものがあったはずですが、覚えていません。なにごともファースト経験というものはあるはずです。
いつのまにか始まってしまった、ということかもしれない。真珠湾攻撃というものは、計画して、準備して、やめようと思うこともできましたが、結局は確信して実行されました。

筆者二四歳ころ、はるか昔のことですが、真鶴にドライブしました。次の休みにどこか遠出しようと決めたのは、日時を決めて出かけた初めだったと記憶しています。それがファースト・デートといえるかどうか、定かではありません。
決めた日の夜、路上駐車でファースト・キスをしたことは覚えていますが、翌朝起きてみたらその車がない。盗まれていました。施錠を忘れたのでしょう。
三日後、予定の日曜日、彼女が弟の車を借りてきてくれて、それで西に向かいました。

岩の海岸で手作りの弁当を食べたような記憶はありますが、よく覚えていません。ニットの感触ははっきり覚えていますからそれに集中していたのでしょう。

できる限り近づいていきたい。ファースト・デートは、なぜあるのか?動機のようなものを抽象すればそういえるでしょう。
近づければさらに近づく。相手が逃げなければ成功。休みなくさらに進む。それも成功すればさらに進む。野心家の人生ゲームに似ています。希望は正のフィードバックによって加速されるからです。 

接近という現象は、対象物が作る視角の拡大速度が大きくなることで自覚できます。視野に占める対象物の存在が間断なく増大すれば成功です。ハンターの原理。獲物を襲う捕食動物のメカニズムです。
視角拡大が加速されると、ついには対象の視角が視野より大きくなり、他のものが見えなくなります。さらに接近が強まると、視野は飽和し視覚は使えなくなります。
接触が始まるしかない。接触も極限まで進行すると、感覚空間全体が対象にめり込んでしまう。埋め込まれ融合します。 

この状況では、いわゆるソーシャルディスタンスは意味をなさなくなっているので、人間関係の世界、つまり言語で語り得る世界は消えていて、体性感覚の世界になっています。
私とかあなたとか、人間が得意な言語表現の世界は消失しています。ここで語ろうとしても小説もダメ、アニメも動画もダメ。比喩を使う詩は断片的に有効ですが、あまりうまくいきません。
動物の世界ですね。記憶もしっかりとは残りません。夢のようになります。それはつまり、人に語る必要がないからでしょう。

詩人は永遠を語る。地球と太陽の関係を語る。そのスケールになれば語れるかもしれません。

また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去つてしまつた。(一八七三年 アルチュール・ランボー「永遠」中原中也訳)

Elle est retrouvée !
— Quoi ? — l’Éternité.
C’est la mer allée avec le soleil.
大学生のころ、新宿で観た『気狂いピエロ』(Pierrot Le Fou ジャン=リュック・ゴダール監督 一九六五年)。主人公が爆死した煙を高空から俯瞰したエンディングでこの詩が流れます。フランス語で覚えたばかりの句だったので印象に残っています。
この詩の影響で、デートというならば夕日と水平線を見なければいけない、と思い込んでいました。一緒にそれを見るために、伊豆の西海岸、堂ヶ島に一泊でドライブに行きました。海の見える部屋をとれたか、夕日のとき晴れていたか、覚えていません。 







自然科学ランキング
コメント

なりゆき(4)

2024-06-01 | その他




江戸時代から明治、大正、昭和、平成と家並みが残っていた我善坊谷は、都心再開発の波にのまれ地底に消えました。谷底に作られた巨大な駐車場は常時閑散としていますが、新設のブリティッシュスクールの下校時には、保護者の送迎車で満車状態になります。■


















(96 なりゆき  end)





自然科学ランキング
コメント

なりゆき(3)

2024-05-25 | その他


再開発では幹線道路の水準レベルは変化しません。変えてはいけないでしょう。しかし幹線道路に囲まれた部分は、なるべく平らにするほうが便利です。麻布台ヒルズの場合、元が深くえぐれた崖地であったため、過去に存在した地形は消えました。埋め立てられた地下には歴史があったはずですが、いまやだれもそれを語りません。
麻布台ヒルズ敷地で未完成の西端部分、レジデンスB建築現場西通路、つまり我善坊谷が麻布通りに突き当たるT字路の南側はゆきあい坂と言われていてⅤ字型にくびれていました。
坂の途中に二〇一七年まであったニコラスピザは戦後高度成長期六本木の夢のあととして知られていましたが、今回の再開発でついに消えました。いまではだれもそこにあったことを知らないでしょう。拡幅された麻布通りの地の底に埋もれているはずです。
前世紀のアメリカ文化を象徴するピザの老舗でその店主、米海兵隊退役のイタリア系アメリカ人、ニコラスさんは往時、六本木のマフィアと呼ばれ、闇の世界の顔役だったそうです。







自然科学ランキング
コメント

なりゆき(2)

2024-05-22 | その他


この谷の北側中央に大養寺という浄土宗の寺があります。現在、保育園の正面でもあり、クリスチャン・ディオールの店舗とも向かい合っている小さな寺院です。江戸時代には我善坊谷東部に広大な境内を持っていて、桜田通りに面した山門の両側に門前町を作っていたそうです。明治以降、衰退して民家の並びに交代していましたが、今回の再開発で立派な寺院建築に復活しました。
我善坊谷の北側は麻布台ヒルズ一階よりさらに高い台地になっていてそこに林野庁所有のホテル麻布グリーン会館(一九六七―二〇〇〇)がありました。一九九〇年代、宇宙開発事業団と宇宙科学研究所の合同前、所属機関を超えて月探査計画の検討会が頻繁に開かれていました。
麻布グリーン会館での会合の後、前の喫茶店で鶴田浩一郎先生(後宇宙科学研究所所長)と研究組織をうまく進める話をしていた記憶があります。
麻布グリーン会館は二〇〇〇年代になると取り壊されて、アークヒルズ仙石山森タワーが建てられました。
実は、筆者は竣工直後からこのビルに住んでいて、もう十年以上になります。東日本大地震直後の不動産パニックのためか当時新築の高層ビルはどれも廉価で分譲されていました。
隣接の保育園が我善坊谷崖上にあり、孫が通っていて迎えに行かされました。断崖絶壁の崖には武骨な金網フェンスが続いていました。今回麻布台ヒルズ開発で、一帯は外苑東通りと地続きの平面になっています。
保育園の隣は書道塾を持つ書壇院で大きなガラス戸に向かって小学生が習字をしています。書壇院の始祖吉田苞竹の居宅であった吉田苞竹記念会館を含む公益財団法人書壇院は我善坊谷の中央付近にありましたが、再開発で現在地に移転しました。
移転前の場所は、現在エスカレーターで降りる麻布台ヒルズマーケットになっていて、食品、野菜の買い物客でにぎわっています。市場原理からいえば、書道塾とは桁違いの当然の収益率でしょう。 
麻布グリーン会館の西側、公務員宿舎跡地には六本木ファーストビルが建てられ、ここにJAXA傘下のリモートセンシング技術センターが入居していました。このセンターの発足時、一九七四年ころ、筆者は当時の上司、土屋清先生(千葉大学教授)に引きずられて米国地球観測衛星の画像処理研究をしていました(アーツ1号撮影のデータ処理で伊勢湾の疑似カラー画像取得/日本初)。
発足時のセンター準備室は六本木の明治屋ビルの五階にありましたが、ろくなコンピュータがなかったので浜松町の宇宙開発事業団本社まで外苑東通りをバスで往復していました(このころは電車通勤)。







自然科学ランキング
コメント

なりゆき(1)

2024-05-11 | その他


(96  なりゆき  begin)




96  なりゆき



去年の暮れオープンした麻布台ヒルズの森JPタワー(325 m)は現在、日本一高いそうです。建て替え前には郵政省本省のビルがあり、それがJPというビル名に残されています。一九六九年に郵政省が霞が関に移転した後、同年新設の宇宙開発事業団(現JAXA)が入居していました。 第一期の新入社員として入社した筆者は最上階六本木側窓際の席に座らされていました。予算を作る企画課という部署で水野さんという係長の机の横でした。
向かいの有名レストランキャンティの並びにあった藪そばで、昼飯を食べていました。中華蕎麦屋もあり、水野さんは辛いほどいいと言って、担々麺を食べていました。
飯倉片町交差点の角にクレージーホースというサパークラブの派手な看板があって、入ってみたい思っているうち、半年後に、浜松町の世界貿易センターという当時日本一の高層ビルができて引っ越しました。パリのキャバレー・クレイジーホースには数年後出張で行くことができました。
郵政省の東にはソ連大使館(現ロシア大使館)があって、江戸時代に狸が穴を作っていたという脇の狸穴坂を南に下ると、新装開店のスパゲティ屋などあってランチに利用していました。
現在麻布台ヒルズ一階のあたりは旧郵政省ビルの駐車場で、職員用駐車パスがもらえたのでマイカー通勤をしていました。昼には麻布十番の更科に行きました。当時の麻布十番通は駐車禁止ではなかったのでしょう。覚えていませんが。
旧郵政省ビル駐車場先の北側裏は断崖で、梯子のような急階段で下に降りられました。現在の麻布台ヒルズ中央広場のあたりです。ここは現在地下四階まで駐車場になっていますが、その最低部あたりが元の地面で、東西方向にのびる深い谷でした。南北幅百メートルくらいの細長いその土地にごく普通の一戸建てやアパートが立ち並んでいました。
江戸時代、ここは我善坊谷と呼ばれ、先手組火付盗賊改の同心たちが住んでいたそうです。
この谷の東端、八幡神社下あたりに永井荷風の妾宅があって、六本木一丁目駅近くの自宅(偏奇館)から谷底を歩いて通っていたようです。徒歩二十分くらいです。






自然科学ランキング
コメント

あとがき(書きかけ)

2010-09-23 | その他

 

あとがき

 

二十一世紀が始まって数年したころ筆者は還暦を迎えました。何を感じたのか、何かささやかな新しい習慣を始めたいという気分になったのでしょう。生まれて初めてゴルフクラブを握って練習場で振ってみました。それは意外と続いて今まで月一回くらいの頻度でラウンドする仲間に恵まれています。

ブログも始めてみました。もちろん初めてでしたが、これも無事習慣化できて、この拙稿になっています。ブログといっても、日記風のものを書くことは好きでもないし続けられるはずがないので、その一年ほど前の数か月の入院生活中に書き溜めたエッセイ風の文章を少しずつアップロードしてみました。それを第1章と称して進めていくと、書き溜めた分が毎日減っていくので不安になり、まじめに書き足して章を繋いでいったところ、今日に至り、長々となってしまったものが拙稿です。

 

カニは甲羅に似せて穴を掘る。身に余る大穴を掘るカニがいたとしても、穴ごと波に消し去られてしまうだけでしょう。掘るべき人が掘った穴以外は、すぐに消し去らなければ砂浜が穴だらけになって困ります。

しかし現役を引退する年齢にもなり、同時にたまたま長患いをして数ヶ月にわたる入院をした頃から、そろそろいいかな、と思うようになりました。若いころ、年寄りが墓参りに熱心なのを見て笑ったものです。人生の終わりを感じると、人間は帰るべきところを探すようになるのでしょうか。病床の脇机にパソコンを横向けにして、ポツポツと打ちはじめたものが拙稿の下書きです。風呂に入れず、毎日、ベッドの上で妻に身体を拭いてもらいながら、人生の幸福について考え、感じるところを書きはじめました。人生と科学の関係については、若い頃から興味はありましたし、現代に生きてきた以上、直接、あるいは間接的に、現代哲学や現代科学の長年にわたるユーザーではあるわけなので、それなりの意見を述べてみたいところもあります。

 

隠居ともいえる身になれば、興味のままに、どの話にでも好き勝手に入り込み、青春に戻って無邪気に大それた言葉を語ってみても、人生の余興として許されるのではないか、という気にもなってきました。

最近、老眼が進んで、細かいものがよく見えなくなったからでしょう。人生も哲学も科学も、単純な輪郭だけが、かなりはっきり見えるような気分になってきました。

近い将来、旧来の哲学が霧消したあと、まったく新しい哲学と科学が、同時に再発生するのではないでしょうか。かつてニュートンの時代、科学は哲学から派生しましたが、今度は、むしろ最先端の科学から、まったく新しい哲学が派生する。そしてそれは科学と一体化したまま、哲学の科学とでもいうか、あるいは単に基礎科学とでもいうのか、そういう方向へ行くのではないか、という予想を持つようになりました。

そしてそれはたぶん、高尚な学問からというよりも、私たちが日常感じている、科学の存在感と個人の生活感覚とのギャップのあたりからヒントが見つかってくるのではないか、と思ったわけです。昨今の書籍にも、拙稿の狙ったそういう予想を上手に語った話を読んだことがありませんでしたから、気楽な身を利用して、その面白そうな所にチャレンジしてみようかな、という遊び心もありました。

 

○○はなぜあるのか? 存在論といわれる哲学のテーマであり、また「なぜ人間はそれがあると思うのか」あるいは「それがあると思うということはどういうことなのか」と問えば、認識論でもある。認識論は現代の認知科学につながり、また脳の進化論につながる。また、拙稿の見解によれば、脳神経活動の集団的共鳴による存在感の進化でもある。ここで弁証法を使えば、この人類特有の存在感覚、これがすなわち、メタな論法としての存在論にもなるといえる。この思考法を、さまざまの存在にあてはめて考えてみる、という遊びに、延々とはまり込んだわけです。

学問の実績を主張する論文ではありませんので、既存の諸学説との連関を述べることは省略し、筆者の独創ないし独断と偏見だけを思いつくままに書き下したという形をとりました。けだし独創と思い込んでいるのは本人だけで、所詮、凡庸な老脳にミューズが舞い降りるわけもなく、古今東西の先哲の著作から無意識のうちに影響を受けてできあがった発想の羅列にすぎないでしょう。もともと独創を主張するつもりで書いたものでもなく、哲学の伝統に繋がる何らかの位置を主張するつもりもまったくありません。ただ折に触れ、自ら思いついたように感じられた風変りな発想を、徒然なるままに書き下すことが楽しかったというだけです。

 

ブログ原稿が適当に溜まったところで表題をつけて紙の本にしています。自宅本棚の最上部に並べておくとナルシスト気分で背表紙をながめることができますが、まずめったに見ませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ⓒ Tsutomu Iwata 2007-2017

 

 

 

コメント

文献