哲学の科学

science of philosophy

なりゆき(2)

2024-05-22 | その他


この谷の北側中央に大養寺という浄土宗の寺があります。現在、保育園の正面でもあり、クリスチャン・ディオールの店舗とも向かい合っている小さな寺院です。江戸時代には我善坊谷東部に広大な境内を持っていて、桜田通りに面した山門の両側に門前町を作っていたそうです。明治以降、衰退して民家の並びに交代していましたが、今回の再開発で立派な寺院建築に復活しました。
我善坊谷の北側は麻布台ヒルズ一階よりさらに高い台地になっていてそこに林野庁所有のホテル麻布グリーン会館(一九六七―二〇〇〇)がありました。一九九〇年代、宇宙開発事業団と宇宙科学研究所の合同前、所属機関を超えて月探査計画の検討会が頻繁に開かれていました。
麻布グリーン会館での会合の後、前の喫茶店で鶴田浩一郎先生(後宇宙科学研究所所長)と研究組織をうまく進める話をしていた記憶があります。
麻布グリーン会館は二〇〇〇年代になると取り壊されて、アークヒルズ仙石山森タワーが建てられました。
実は、筆者は竣工直後からこのビルに住んでいて、もう十年以上になります。東日本大地震直後の不動産パニックのためか当時新築の高層ビルはどれも廉価で分譲されていました。
隣接の保育園が我善坊谷崖上にあり、孫が通っていて迎えに行かされました。断崖絶壁の崖には武骨な金網フェンスが続いていました。今回麻布台ヒルズ開発で、一帯は外苑東通りと地続きの平面になっています。
保育園の隣は書道塾を持つ書壇院で大きなガラス戸に向かって小学生が習字をしています。書壇院の始祖吉田苞竹の居宅であった吉田苞竹記念会館を含む公益財団法人書壇院は我善坊谷の中央付近にありましたが、再開発で現在地に移転しました。
移転前の場所は、現在エスカレーターで降りる麻布台ヒルズマーケットになっていて、食品、野菜の買い物客でにぎわっています。市場原理からいえば、書道塾とは桁違いの当然の収益率でしょう。 
麻布グリーン会館の西側、公務員宿舎跡地には六本木ファーストビルが建てられ、ここにJAXA傘下のリモートセンシング技術センターが入居していました。このセンターの発足時、一九七四年ころ、筆者は当時の上司、土屋清先生(千葉大学教授)に引きずられて米国地球観測衛星の画像処理研究をしていました(アーツ1号撮影のデータ処理で伊勢湾の疑似カラー画像取得/日本初)。
発足時のセンター準備室は六本木の明治屋ビルの五階にありましたが、ろくなコンピュータがなかったので浜松町の宇宙開発事業団本社まで外苑東通りをバスで往復していました(このころは電車通勤)。







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