さて、言語が私たちの間で共有される仕組みは、具体的にどのようなものなのか? 少し詳しく調べて見ましょう。
工学的に見た場合、人間の言語活動は、一種の情報伝達システムです。しかし、データ通信のように文字や数字自体を伝達するのではなくて、視覚と聴覚を通じて運動形成プロセスを、人から人へ伝播する。そうすることで、言語は、私たちにとって重要な情報の意味内容を圧縮して効率よく伝達できる。
目の前に馬がいないとき、馬という言葉が通じない外国人に、馬のことを伝えるにはどうすればよいか? 紙と鉛筆を準備して、上手に馬の絵を描けば、通じるでしょう。しかし、時間がかかる。それよりは、ジェスチャーで、手綱を握って馬にまたがって走る動作を見せれば、手っ取り早い。
そもそも、言葉を使わなくても、人間は、視覚聴覚で、他の人間の動作を観察することで、その動作を作り出すその人の内部状態を感知する。この現象を、二人の人間の間で内部の運動形成プロセスが伝播する、とみなすことができる。まず、その伝播の仕組みを詳しく見てみましょう。
二人の人間を考えて、A、B、と名をつける。Aの内部の運動形成回路がある運動信号を形成する、とする。その信号はAの神経細胞の電位変化パルスとなって運動神経経路に沿って遠心的に伝播し、目標筋肉の電位を変化させることで筋細胞の分子を収縮させて身体の変形や移動を起こす。Bは、Aの身体の変形と移動、その表情や視線の変化、あるいは手足指の屈伸、など身体の外形変化を見たりそれが発する音を聞いたりする。
Bは、Aの運動によりBの視覚、聴覚に発生して求心的に伝播する感覚信号を情報処理して、(拙稿の見解では)過去に学習した身体運動‐感覚受容シミュレーションを自動的に想起し、自分の運動形成回路を無意識のうちにそれに共鳴させる。その結果、Bの内部に、Aが実行した運動形成プロセスを真似てなぞったように組み立てられた身体運動‐感覚受容シミュレーションによる仮想運動の信号が発生する。この仮想運動は、Aが実行した運動形成プロセスのコピーといえるが、正確な複製ではない。相当量の情報は失われていて、その代わりに多くの雑音が加わっている。それでも、実用上、役に立つ程度のイメージとしては伝わっていく。
この仮想運動は、(拙稿の見解では)、脳内の神経活動だけで完結する場合は少なくて、身体全体の機構を巻き込む。つまり、シミュレーション形成を引き金として脳と身体末端との間で信号のやり取りが始まる。さらには、身体が接触する外部環境、たとえば、地面、建物など構造物、道具、風景、他人の姿、動作、音声、画像、文字、などなど、と情報をやり取りする。
脳におけるこれら仮想運動の形成は、自律神経系と身体運動系の神経活動による微弱な筋肉緊張(たとえば、手に汗を握るとか、むかつくとか、つばを飲み込むとか、鼻の穴を広げるとか、眉間にしわを寄せるとか、目が笑うとか、貧乏ゆすりをするとか)を引き起こすことで体性感覚にフィードバックされる結果、感情機構を駆動する。
自分の身体が反応することによる体性感覚の変化によって、BはAの運動形成過程の存在感を感知する。同時にBは、Aが不安、あるいは安心、あるいは、快、不快などを感じていることを感知する。Bの内部で、感情機構の反応はさらに、次の仮想運動シミュレーションを呼び出して次の感情反応を引き起こす。仮想運動と感情とのこのサイクルは回り続ける。このような神経活動により、Bの脳は、Aの脳がした活動を引きついで、それを擬似的に再生して経験する、といえる。
この現象は、AがBの運動の外見を、視覚聴覚で観察することで脳神経状態を表す情報がAの脳からBの脳に伝播した、とみなすことができる。実際は正確な運動のコピーは作れず、多くの錯誤も含んで変形したシミュレーション信号が作られるのですが、これを一応、運動信号の(仮想的な)伝播といってよいでしょう。私たちが、目と耳で見えて聞こえる相手の身体の変形と運動を知覚することだけで、この伝播は行われる。
たとえば、Aが腕を組むと、それを見ているBの頭の中で自分が腕を組む身体運動‐感覚受容シミュレーションが作られる、というような例です。Bの脳内には、このとき、腕を組むという仮想運動の形成に伴う体性感覚や自律神経系の反射を通じて感情機構の反応が発生する。この仕組みで、Bは、腕を組んだAの気分が理解できる。たとえば、Aが腕を組んで頭をそらした姿勢をとるのを見たBは、直感で「Aは、私に不信感を持っているらしい」と感じる。
ここまでは言語を使わない運動の伝播機構ですが、(拙稿の見解では)人間は言語を使う場合でも基本的にはこの機構を使っている。話し手の脳内で、言語は、その内容に対応する仮想運動(仮想の身体運動、憑依運動、注目運動など)の形成回路を使って形成される。聞き手の脳内で感知された言語は、自動的に対応する身体運動‐感覚受容シミュレーションを呼び出す。そのシミュレーションが、仮想の憑依運動や注目運動などを呼び出す。こうして、言葉に対応する仮想運動が話し手から聞き手へ伝播する。
人間Aが、実際には腕を組んでいない場合に、言葉を使って「腕を組みたい」と言うと、それを聞いた人間Bは自分の腕を組みたくなる、という例です。Aの脳内の仮想運動形成→言語形成→発音→Bの言語聴取→Bの脳内の運動形成→仮想運動→体性感覚フィードバック→感情機構、というルートで運動形成活動が他人に伝播する。話し手が「腕を組みたい」と言葉でいうと、聞き手の脳内で、言葉に対応した特定の(この場合、腕組運動の)身体運動‐感覚受容シミュレーションが呼び出されて、聞き手が腕を組みたい気分になる。歌を聞くと身体が踊りだしてしまうのと同じです。つまり、よくいわれるように、言語の意味を身体で理解する、ということです。
人類の言語現象について、安易に通信理論のアナロジーを使うと、本質を見誤る危険がある。気をつけなければならない点は、聞き手の脳内で言語が理解される過程です。これは通信理論でいうデコーディング(再生、解凍、暗号解読など)にあたるが、原型の情報が正確に復元されるデジタル通信のような可逆過程ではない。話し手が言葉を組み上げるきっかけとして作られた(原型の)仮想運動がそのまま聞き手の中で再生されことはない。
言語現象では、擬人化というフィルターを通った物事だけが伝えられていく。つまり、話し手の脳内に起こった仮想運動が、(拙稿の見解では)共鳴運動を引き起こして擬人化による物事への注目が起こる場合にだけ、その共鳴運動は言語化される。この場合、擬人化された物事は主語を引き起こし、その共鳴運動が述語を引き起こす。
こうして、主語述語の形式で物事の動きとその内的感情の集団的共鳴を表現する(擬人化による)仮想運動が、聞き手の脳内に新たに作り出される。主語述語の形式で聞き手に伝えられる言語表現は、聞き手の脳内で、物事のシミュレーションとその内的感情の仮想共鳴運動に変換される。聞き手の脳内で形成されるこの仮想運動は、集団共鳴による強い存在感を伴うので、はっきり意識に残り長期的に記憶される。
同時に、話し手も自分が発声した言葉の聞き手になるので、言葉を形成する仮想運動は、同様に話し手の意識にも残り記憶される。物事は口に出すことではっきりする、あるいは、明確な思考は言語でなされる、という私たちの経験は、(拙稿の見解では)ここから来ている。
このような過程を経て言葉は話されるので、はじめに話し手が言葉を組み立てる前に形成していた仮想運動は、言語という型にはめ込まれることで、制約された共鳴運動の組み合わせに変換されている。言葉が発声された後では、話し手も聞き手も、言語化された集団的共鳴運動を意識し記憶する。言語化以前に話し手が形成した原型の仮想運動は記憶されにくく、言語化された後の共鳴運動は記憶されやすい。
物事は口に出すことではっきりするが、そのとき、口に出せない部分は欠落していく。言語化される前に私たちが漠然と感じている、いわゆる形容しがたい感覚あるいは感情(原型の仮想運動)は、言葉を口にすることで消え去っていく。
正確な言葉には主語がついてきます。「くみちゃんが腕を組みたい」という言葉を聞くと、聞き手の脳内には、くみちゃんという人物に注目し憑依する仮想運動シミュレーションが呼び出される。話し手が注目しているものに聞き手の注意を導く役割の言葉が主語ですね。話し手は、指差しや顔向けや視線による指示によって、一緒に注目したい物事へ聞き手の注意を誘導する。そのとき、しばしば話し手は、同時に声を発して指示を強調する。こういう場合、物事のカテゴリーを音声で言い分けると、指示に便利です。このために、名詞が作られてきた。名詞の使い方が皆に共有されると、目の前にそのものがなくても、分るようになる。聞き手は、くみちゃんとはあの子のことか、と分る。
こうして言葉を使うときは、話し手はまず「XXが(くみちゃんが)」と名詞を叫んで、聞き手の注意を促す。これが主語としての名詞の使い方です。「XXに注目せよ(くみちゃんに注目せよ)」、あるいは「これから話し手の私はXX(くみちゃん)に憑依して述語を述べるから、聞き手のあなたはその述語に対応する身体運動‐感覚受容シミュレーションができるように準備せよ」という意味です。
次に「○○する(腕を組みたい)」という述語が来る。これは運動を表す。(拙稿の見解では)話し手は、群の集団運動と共鳴する脳の神経回路を働かせて、それに連結した音節列として述語を発声する。聞き手がこれを聞くと、集団運動に共鳴する運動形成神経系が活性化されて、無意識のうちに共鳴運動が起こる。つまり聞き手の中で、話し手が使っているのと同じ群行動を追従する場合に使う集団運動形成回路が自動的に活動する。こうして述語が伝わる。それから瞬時に主語と連携して文を作る。