(106 インターネット嫌い begin)
106 インターネット嫌い
さすが同年配ではインターネット好きは少数で、むしろコロナ以来、テレビづけ、一日中テレビ、という人が多いようです。少し昔の老人は、年がら年中、新聞を読んでいましたから、老人の生活が、あまり変わったとは言えません。
筆者も十年くらい前までは、新聞をよく読んでいました。その後、新聞は購読をやめ、五年くらい前からテレビも見なくなりました。老人はインターネットなどするはずがない、と思い込んでいましたので、七十代後期になって、自分がテレビからインターネットに移動するとは思いませんでした。
新聞は読まなくなると、捨てるのが面倒で、月料金も惜しいので買わなくなりました。テレビは(NHK以外)無料なので、捨てていません。社会への窓と思って、数日に一度か二度、覗いています。怪しげな窓ではあります。
近頃、テレビは、ますますつまらなくなった、と思っています。自分が老化して世の中への興味がなくなったのか、テレビ業界が劣化したのか、定かではありません。
テレビは勝手に見せたいものを映してくる。広告もつまらない連呼式がしつこい。インターネットも履歴が記録されて、見たがるもの、あるいは見せたいもの、をかなりしつこく見せに来ます。
近頃は、インターネットも嫌なところが多くなって、勝手な画面が飛び出してきてうんざりします。やめようかと思いますが、テレビに戻るのも嫌だし、新聞は、もう、うんざりなので困っています。新しいAIなどあまり試していませんが、どうせもっと悪いものだろうと思えるので、期待していません。まず、無料であったり、ごく安価な料金であったりするところが怪しい。だましの姿勢が透けて見えます。スポンサーから、あるいは商品やサービスを買ってもらって広告主から収入を得るシステムなのでしょうが、民間商業競争の劣化が激しくなっています。戦争や革命がない現代では、過当競争による資本主義の欠陥が大きくなる一方なのでしょう。かといって、政府事業ではだめなのは、前世紀の社会主義や官僚主義の経験で分かりすぎています。医療やAIなど新しそうな技術にも、すぐには希望を持てません。何か明るい話はないでしょうか?
インターネットでは、YouTubeが、技術も中身もよくなってきています。視聴者が急増していますから、いいものも出るが、悪いものは極端に劣化したものも増える。幼稚なびっくり動画や怖そうな脅し画面などが、当然、はびこっています。個人がよく見るものを多く提供するシステムになってきましたから、自分の趣味が悪くなければ、提供される動画はあまり劣化しません。うっかり面白がって低質なものを続けてみていると、おかしなテーマが増えてきます。しまったと思って、履歴を消去したりします。
報道番組や、政治、経済は、かなり程度が落ちて、見るに堪えないので、しかたなく、英語のMSNなど見ます。こちらの視聴頻度に併せてくるらしく、歴史ものとか、武力紛争などの記事が上がってきます。美人の顔、形が意味もなく出てくるので、それもクリックしていると、ファッション記事まで上がってきます。デザイナーごとのファッションショウの定番も見苦しくはないですが、どれも実にマンネリの時代を反映しています。
ポルノビデオもたまにのぞきますが、今世紀に入ってますますマンネリ化しているようで、前世紀がよくできた時代だったと分かるのが残念です。
こんなマンネリの定型化した文章なら、AIでも書ける。AIのほうがましなものが書けるでしょう。ひょっとして、これ本当にAIが書いているのではないか、と思えます。
写真であってもAIが、もっともらしく修正します。切り貼りなど得意でしょう。そうなると、ふつう程度の能力の記者や作家は、AIのような記事を作るようになってしまう。いや、もう、それでよし、となってきていて、いつAIに取って代わられても、だれも気付かない、となってしまいそうです。インターネットは、すべてAIが作る。テレビも、新聞も、雑誌も、もちろん広告も、AIが作ってしまいます。いつそういう時代に切り替わったのか、私たちは気が付かない。のかもしれません。
私たち、マスコミの消費者は気をつけなければなりません。
同じ産業が過当競争になって、効率化の競争になると、当然、定型化し、マニュアル化して、未熟練ワーカーが低賃金で働ける工程のほうが勝ち残ります。家電、パソコン、スマホ、アパレルから農業、鉱業、漁業まで日本のような高賃金国はだめになっていきます。AIに置き換わるような仕事で高い給料はもらえないでしょう。
マスコミも同じで、楽に記事を書けるようになるほど、質が落ちてきて、面白くなくなるのは当然です。大きな会社が生き残るために保守化して、つまらないコンテンツを量産する。能力のある記者やクリエーターは成長できない環境がシステム化する。そうして全体が沈滞化するけれども、個人はシステムを守るしかないので、システムごとに沈没していく、という図式になっています。沈没するシステムはAIに乗っ取られて、死期を早める。あるいは、死にそうなまま、AIのおかげで延命する。その景色はつまらなくなるしかないでしょう。
将棋は、AIに負けそうではありますが、負けていません。藤井聡太は天才としての戦績を見せています。国民的競技として盛り上がっています。AIに競合する人間能力としても注目されています。
実際、AIに取って代わられて人が消えていく現象は、話としては面白く、よく語られていますが、明快な実例を見ません。自動販売機、鉄道の改札、電話案内、コンビニ会計、など日常生活で出会う風景は、慣れればストレスもインパクトもありません。税務署申告や市役所手続きも、世話係がいて、親切に手伝ってくれますので、問題なし。医療や健康検査もAIが使われているようですが、困ったことにはなっていないようです。見えないところでAIが活用されている人工衛星、交通管制、電力、道路インフラ制御、銀行、警察、軍事システムなどは、日常生活に直接は無関係なので、心配する必要なし。となると、人がいなくなっても通常は大丈夫そう。ただ事故の時が不安、という見えない緊張感が残るくらいでしょう。
電波時計が信用できるか心配、とか、車のノークラッチが怖い、とかいう人はいません。初期のころは、大丈夫かな、という緊張感はありましたが、すぐ慣れる。回りの皆が平気で使っている、となると、その違和感はなくなります。AIは日常風景に溶け込んで、見えなくなります。それで問題はなし。スマホを見よ。ホームドアを見よ。緊張感なしでしょう。ゲームのようなもので慣れてしまえば、AIとの会話など、人格を感じることはありません。ふつうにしゃべっているけれども、鈍感なひとだな、くらいの印象です。気にする気にもなりません。しばらく使っていると、慣れで退屈になり、繰り返して使いたいと思うこともなくなりそうです。
最後の戦争も終わりそうです。平和になると、ニュースは詰まらなくなります。怖いものがなければ、テレビを見る必要もなくなる。まして新聞や雑誌もいらない。本は読む気がしない。となると、友人と雑談くらい、でしょうか?スポーツ、ギャンブル、フィクション、ゴシップ。どれも、繰り返せば、新鮮味はありません。インターネットは、情報を受け渡す。その価値が高いほど、インターネットは面白くなります。
回線や電波で流す情報の中身、つまり音声や文字や動画であるコンテンツがその時の視聴者にとって、面白いか、興味深いか、が問題になります。面白さを競って、視聴者に売りつける。コンテンツの作者、クリエーターのチームは、それで売り上げを伸ばす。あるいは、名声を得てブランドとして名を売ります。チームや会社の場合、リーダーが優秀ならば、何とかなります。そうでない場合、生き残りは難しい。
まずは隣のチームの真似をします。昔は、欧米の真似をしていれば売れる時代もありました。今はそうもいきません。競合社も模倣がすごくうまい。少しでも早く、コスト安く、出し抜かなければ自分が倒れてしまいます。インターネットを駆使して、一日でも早く、新しい、受けそうなテーマをつかむ。すぐ実現するスピードが必要です。それには優秀なスタッフをそろえておかなければなりません。プロジェクトを組んで、新規分野を開拓できれば、すばらしいけれども、なかなか成功はありません。とりあえず、ライバル会社が手を出すものを追いかけて追い抜く。たいていは、そのほうが安全で確実です。
