ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

小林にあった祠

2010-10-15 05:00:00 | 大阪にて
小林3丁目という地域を任され、二車線道路2本で隔てられた地域を3箇所に分け、東から西へと順に地図を埋めていきます。

             

一番西側の地域の入口にこの宝塚神社参道という大看板がありました。この辺りではさぞかし大きな神社なのだろうと拝察されます。一度行ってみなければなりますまい。

                  

順次西へと歩くと1丁目と4丁目の境にちょっとした祠が建っていました。中は暗くて見えないかとも思いましたが、覗いてみると案外明るい。お地蔵さんが二体並んでいます。

                  

格子の窓にレンズを入れて撮っているので、二体を1枚に納めるのは無理、別々に撮りましたが、中の雰囲気は出てないかもしれません。

                  

祠の横、道の交わる所に道標が建っていました。読めるのは右の行が“武庫山平林寺聖・・・”左が“本堂釈迦尊薬師佛・・・”平林寺というお寺が何処かにあるのでしょう。でもこの道は宝塚神社の参道なのです。

                  

こちらは何と書いてあるのか、読めんなぁ。その平林寺の位置が書かれているのかも知れません。

                  

違う筋にも祠が・・・この辺り祠が沢山ありますが、どれもこれも撮るわけにも参りません。この祠は傍らに彼岸花がさいているので季節感がありますし、後に植わっている木の葉が、不動明王の火焔に似ているので残しておきました。

            gooリサーチモニターに登録!

小浜

2010-10-14 05:00:00 | 大阪にて
1週間の串本・姫の生活を3週間引っ張って、今回の田舎での記事は昨日でおしまい。今日からまたくだらない職場での記事が始まります。

一昨年の7月に伊孑志という逆瀬川近くの街に行っていたことがありました。今回はその近く小林という街に来ています。小林は普通“こばやし”と読みますが、ここは“おばやし”と読みます。

             

阪神尼崎からバスに揺られて小一時間、国道2号線を走り、武庫川の手前で北へと進路を変え、伊丹市を翳めて運賃210円で宝塚の少し手前、小浜というバス停で降ります。

そこから南へと歩き武庫川を渡ります。この橋の西側が宝塚、遠目からでも独特の街並が分ります。南の方角に甲山、真っ直ぐ歩けば西宮に至るのです。

             

小浜のバス停はややこしい、行きはバス停を降りれば道なりに歩けるのですが、帰りは歩道橋を渡らねばなりません。この先の交差点で信号を渡ると、コの字型に信号を渡ってこなければバス停には来れません。

             

この歩道橋は昭和45年3月に完成しています。私が働いてきた年月をこの歩道橋も何らかの役目を果たしてきたことになります。私はあと1年半で定年を迎え、お役御免となる訳ですが、この橋はまだまだ働かなければなりません。

             

最初このバス停に来た頃、一昨年の夏のことですが、アメリカの大統領にオバマなどという人がなるなんて、全く思いもしなかったのですが、このバス停の名前と同じ名前の人が大統領になったのですね。といっても、このバス停の名前が“オバマ”なのか“コハマ”なのかは知りません。

             

昔は宿場町だったようで、その名残が残っているのでしょうか。この古い案内板にある館や地蔵さんを観に行かねばなりません。

            gooリサーチモニターに登録!

ドラゴンフルーツ

2010-10-13 05:00:00 | 田舎
なんとも派手な紅色の実、ドラゴンクエストならぬドラゴンフルーツっていう果実、どんな木になっているのか全く知りません。実が白いのもあるようです。

串本のオークワで売ってたのを自宅のお土産用に買いました。勿論、串本産です。生産者の誰かの名前まで書いてありました。

             

この皮の文様が龍の鱗に似てるから、この名前が付いたようです。

             

こちらはきっと上側、額から切ったのでしょうね。

             

こちらがお尻だと思います。

             

果実としての見た目はキウイみたいに種が散在しています。食べ方もキウイに似ています。スプーンできれいに実を掬い取ることが出来ます。

             

美味しいか?と聞かれたら、「うん、とっても」とは言い難い、甘味が少ないようです。水分は結構あります。これでもっと甘かったら、きっと売れるでしょうね。

ドラゴンフルーツならぬドラゴンボール、『龍玉』ですが、今浅田次郎の『中原の虹』がやっと文庫本になったので読み始めています。『蒼穹の昴』の主人公だった春児の兄・春雷の話で始まっていますが、張作霖が龍玉を求めるところから動き出します。龍玉は中国読みで『ロンユイ』、ドラゴンフルーツはどう書いて、どう読むんでしょうね。

            gooリサーチモニターに登録!

庭の花

2010-10-12 05:00:00 | 田舎
まるまる1週間、釣りを主に楽しんだ日々も過ぎ、25日の帰阪の日となりました。昨日の雨は止み、朝から上々の天気です。

持ち帰った竿やリール・バッカン類は一応洗ったのですが、雨が降っていたということもあり、雨に晒しておけば塩分も余計に抜けるだろうと、一晩雨に晒しておきました。

朝早くからその竿を拭いたり、濡れたものを干したりと、結構忙しい時間を過ごしました。

             

庭の奥まったところに赤と黄色の二重の花が咲いています。遠くから見るとオレンジの花が咲いているように見えます。

扉が開いているのは人一人が入れるような狭い納屋、釣り道具はここにしまってあります。カギはかかっていませんが、盗まないようにして下さいね。             

             

雑草のように見えますが、近寄ると花は結構きれいです。

             

何という名前なのでしょうね。

             

物干し竿に干してあるのはカッパ、これも10年以上経っているので、防水効果も低下してしまい、防水スプレーを十二分にかけておかないと、役に立たちません。カッパはこの間に後2枚買ってありますが、このカッパが一番カッコイイのです。一応みんなゴアテックスです。

隣の木に掛けてあるのはスカリ、木は桃の木ですが、実がなったのを見たことがありません。
                         
                  

このサボテンは黄色い花が咲くはずなのに、赤い花が咲いてるぞと思い、近寄ってよく見れば、他の種類の花の蔓がこのサボテンに巻きついて、花を咲かせているのです。蔓を巻く草木は生命力が強いような気がします。

この間甲子園球場の一角を通ったのですが、新装成った球場にも少しだけ蔦が生え始めていました。

             

この花も赤と黄色の二色で、植えた人はこのような色合いが好きなのかも知れませんね。

             

こちらのサボテンには正真正銘、黄色い花が咲き始めようとしています。

             

もう少し開くときれいなのですが・・・そうこうしていて、帰阪の途についたのは11時を回ってしまいました。この天気ならもう一日釣りをと思いたいところですが、未だ波は残っていたことと思います。

            gooリサーチモニターに登録!

貰った焼酎

2010-10-08 05:00:00 | 田舎
三男のお友達であるT中君、なかなか釣りも達者です。三男は自分の方がよく釣ると思ってる節があるのですが、見ていると釣りに対する取り組み方、真剣度が違うように見受けられます。

こちらに来る度に焼酎を持ってきてくれるのですが、近くに住んでいるのでおみやげに持ってきてくれてるというのはちょっと違う、やはりお礼という意味でしょうか。

でも別段私が彼に何かをしてあげてるわけではないので、少し心苦しいのですが、いただけるものは遠慮せずにいただくのが私の主義なわけで、特に酒類については完全のその主義であります。

右に置いてある『虎の子献上』は、今年のGWに持ってきていただいたものです。容器に工夫が感じられませんが、結構美味しい・・・というより、味が無いのです。要するに焼酎特有の匂いや臭みが感じられません。

             


芋焼酎を飲む人はその独特の匂いや臭さを褒めようとしますが、初めて飲む人には抵抗があります。麦や米の焼酎だって同じこと、初めて飲む時は抵抗が・・・って、考えてみればビールも清酒も最初は抵抗があったですね。こんなものは飲めんと、でも酔ってくるうちに抵抗無く飲んでしまうのが、人類に脈々と流れている慣習なんですね。

GWに貰ったのが未だ少し残っているので、今回貰った左側に置いてある『吟醸』は未だ封も切っていません。やっぱり上等な焼酎はすぐ飲んでしまうのは勿体無い。

真ん中に置いている陶磁器の容器は、この瓶だけを自分で買ったものです。焼酎を陶磁器に入れておくとまろやかになるとか・・・1升1000円チョイの安い紙パックの焼酎をこの瓶に移し替えて飲んでいます。まろやかになってるのかどうか、そんなことはお構いなしに飲んでいます。

            gooリサーチモニターに登録!

どんどろの森 Ⅱ

2010-10-07 05:00:00 | 田舎
今年のGWに行った『どんどろの森』、古座川町の役場の人が展望台に登れば、また違った一枚岩が眺められると言っていたのを覚えています。

23日の釣りから帰って暫く休んでいると、陽が差してきたので天気も回復すると思い、一枚岩目指して車を走らせたのですが、古座川を遡っているとまた曇り始め、洗濯物は大丈夫かいなと思いながらも引き返しません。

             

洞尾橋を渡って一旦『どんどろの森』の広場まで車で行き、引き返して展望台への上り口を探します。案内板には展望台への道は3本描かれていましたが、何処にもその表示がありません。

鮎の簗漁の仕掛けを作っている人が川原にいました。これから鮎はオチに入るのですね。 

             

車を川側の端に停めて、少し歩くと登り口らしき階段が見つかりましたが、正直言って「これがホンマに道やろか?」と疑いたくなるほど、草が生い茂っています。手前に1台車が停まっていましたが、おそらく展望台に登る人のものではなく、簗漁の人のものだと思いました。

             

所々にこうやって階段を造ってくれてるので、展望台への道やと確信して登りました。

             

道ばかり見ながら歩いていると気が付きませんよ。道の途中で右側に一枚岩が現れます。確かにこういう角度から一枚岩を眺めるのは初めてです。でもここが頂上ではありません。道は未だ続くのです。

                  

しかし一枚岩からはどんどん遠のいていきます。一応道が無くなるまで歩いてはみましたが、そこは展望台というようなものではありません。別段何も見るべきものが無いのです。

             

何度かこのように違った方へ降りる(登ってくる)道に出会いました。

一枚岩を眺められる場所がベストですよ。それより上へは行く必要を感じられません。

            gooリサーチモニターに登録!            

仲秋の名月

2010-10-06 05:00:00 | 田舎
今年の仲秋の名月は9月22日だったようです。23・24日は曇天で月は出てなかったけど、22日の夕暮れはたまたま満月に出会えたのです。時間は6時過ぎですから、未だ少し明るいのですが、まん丸な月が東の空に浮かんでいます。

観月するという風流が私にはありませんから、夜中に空を観ることは無いし、TVも写らない部屋で独り飲んでいると、7時頃にはもう眠くなってくるので、余計に外へ出ることもありません。

             

ですから、この夜の満月がどれ位のものだったのかは分りませんが、夕方の月はこんな風だったです。

望遠10倍でこれ位です。肉眼で見るのと同じぐらいの大きさ、結構ブレてしまい何枚も撮りました。

真ん中に月を撮ることは難しいです。

日本の旗は白地に赤のものより、この青地に白の方がいいなぁ。日の丸はどうもあの血生臭い戦争を思い浮かべるし、侵略された国々が日本の旗を恨んでいるかと思うと、どうでしょう、ここら辺りで国旗を替えてみる気はありませんでしょうか。せっかく政権交代したのですから、決断してもいいのでは?でも系列からすると、同じ穴の狢ですし、斬新に政治を変えるというような感覚は無いのでしょうね。

            gooリサーチモニターに登録!

彼岸花

2010-10-05 05:00:00 | 田舎
猛暑には閉口した方々も多かったろう今年の夏でしたが、9月18日に田舎に帰った時も少しは楽に過ごせるかと思いつつもまだまだ暑く、いつになったら涼しくなるのやらと、恨めしい思いで釣りをしていました。

ところが、あの雷がゴロゴロと鳴った23日を境にして、いっぺんに涼しくなりましたね。『暑さ寒さも彼岸まで』とは、ホントによく言ったものです。

             

姫川の土手に咲く彼岸花、みんなが帰った翌日(9月21日)に撮影したものです。それまで全く彼岸花を見かけなかったのに、急に茎が伸びて蕾を付けていました。

             

赤い蕾が無かったので気が付かなかったのか、それとも急に蕾と共に茎が伸びたのか、其処のところはよく解らないのですが、前日まで全く彼岸花のことなど考えてなかったのでした。

             

これがその翌日(9月22日)の撮影です。これまた早い成長です。ほぼ同じ所から撮っていて、全く同じ株なんですよ。

             

彼岸花はサクラなどのように暑さ寒さくを感知して咲き始めるのではなくて、日照時間を感知して咲くのだということを何かで読んだことがあります。それなら毎年同じ日に咲くんだろうと思うのですが、今年は何故だか少し遅いような気がします。             
             

そしてこれが23日の撮影、もう満開ですね。でもよく見ると2枚目の写真でも右側に小さな芽が伸びてきています。そしてこの上の写真では、その芽の伸びたものが2枚目の写真の開きかけの状態になっています。ということは、2枚目の写真で見つけた茎はもうその2日前頃には、少しは伸びていたということですね。

             

今、柳田國男の『遠野物語』を読んでいますが、『遠野物語』本編ではなくて、付属されている随筆に『草の名と子供』と題する文章が載っており、その中に『狐の剃刀』という項があります。“キツネノカミソリ”とは奈良県北部で呼ぶ彼岸花の呼び名だそうで、摂津の多田地方では“カミソリグサ”と呼んでいるとあります。岡山や広島、紀州熊野地方では“狐草”や“狐花”などとも呼ばれ、同じ紀州の田辺では“ゴウラバナ”と呼んでいると書かれています。

いずれにせよ、70年位前に書かれた随筆であり、私はそのような呼び名を覚えてはいません。ひょっとしたら聞いたことがあったのかもしれませんがね。

            gooリサーチモニターに登録!

バッカン

2010-10-04 05:00:00 | 田舎
去年の春にバッカンを買い換えた話を載せましたが、やはりサイズが大きすぎて、旧のバッカンやバケツ等の荷物入れになっています。そして、とうとう10年来使ってきたバッカンが、どうしても使い物にならなくなってしまい、そのバッカンより一回り小さいバッカンを購入しました。今は半日ぐらいしか釣りをしないので、オキアミも1.5kgしか買わないので、旧来のような大きさのバッカンは要らないのです。若い頃は3kgのオキアミを2枚使っていましたけどね。

             

これが古いバッカンですが、留め金が外れてもなんとか取っ手の形状で引っ掛かってたのですが、もう無理、取っ手を持って提げると外れてしまいます。反対側も同じような状態、もうバッカンとしての役割はお役御免です。

             

いやいや、ホントは瞬間接着剤でひっつけようかとも考えたのですが、ちょっと無理そうですし、いくらで買ったか忘れましたが、投資した分はもう十分回収できているのですし、年寄りを酷使するものではありません。

そうこう考えて、新しいバッカンを串本大橋の手前の『三平』というエサ屋で買ったのですが、小さいエサ屋ですから品揃えも少なくて、何処のメーカーのものかも分らずに買ったのが、どうも間違いだったようです。

             

このバッカン、いつまで経っても直方体にならないのです。買った時は折り畳んであるのですが、普通のバッカンなら使い始めると、折れたところはすぐに真っ直ぐになるものですが、こいつはこの通り。四隅にエサが溜まって、杓でオキアミを掬うのがとても厄介・面倒なのです。

一応最終の片付ける際にいろんなものを詰め込んで、無理矢理直方体に立たせてきたのですが、次回の釣行の際にはどうなっていることやら、又こんな状態なら再び新しいものを買わないといけません。

            gooリサーチモニターに登録!

ムスタファ・ ケマル・ アタテュルク騎馬像

2010-10-01 05:00:00 | 田舎
1度では、いや2度3度聞いてもなかなか覚えられない名前です。トルコがオスマン帝国と呼ばれていた頃、列強諸国によって分割統治されていた困難な時代に抵抗運動の指導者となり、トルコ共和国を作り上げた人。トルコといえばアジアの西の果てというイメージですが、この人の欧化政策の下でヨーロッパの政策を積極的に取り入れ、国家としての西欧化に成功しています。

             

樫野の灯台下から帰ってくる時に撮ると斜め後から見ることになります。確か5月に来た時は工事の最中でした。その時も写真を撮ったはずなのに、見当たりません。そして、今は灯台官舎の修理をしているので、そのための小屋が2軒並んでいます。官舎の修理って?確か無人だったような気がしてるんですけど。

そうそう見当たらない写真が姫のパソコンの中にありました。書き加えたのでここを見てくださいね。

             

天気が悪くてあまりうまく撮れていませんが、雰囲気は分りますよね。今度いい天気の日に写したいと思います。

          

この案内板でこの人のことが少し分りますね。革命家です。

                  

同じ騎馬像でも、川西池田の駅前にあった源満仲の像よりカッコイイではありませんか。

             

駐車場から歩いて来るとこんな風景なのですが、この像の対面に碑が建っているのが判りますか?

                  

『御野立所跡』とあって、実は昭和天皇がここへ来て、茶を飲んだわけですね。昭和天皇は戦争には反対であったような書物をよく見かけるのですが、事実として戦争を遂行した責任者ですから、そういう人の碑がこの偉大な革命家と同一場所に並ぶというのも私にすれば妙な感じがするのです。

この像の下に『国に平和、世界に平和』というトルコ共和国の標語が掲げられているのですが、昭和天皇の碑と一対になるのは合点がいきません。

            gooリサーチモニターに登録!