ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

ベルギー王立美術館展

2007-06-18 05:00:00 | 大阪にて
雲ひとつ無い晴天に恵まれた日、中ノ島の国立国際美術館を訪れました。

ベルギー王立美術館展を鑑賞するためです。

     

土佐堀川の流れる筑前橋から西方向を眺めたら、次の橋は常安橋、私が痛い目にあった橋です。
右隅にチョコッと見える薄茶色の建物はロイヤルホテルです。

     


開場まで時間があったので、流れる水を動画に収めてみました。

     




10時の開館と同時に入場、あまり混雑も無く楽に観ることが出来ました。

展示の最初の頃は公爵だの伯爵だの人物画か宗教画が多く、暗いものが多いのですが、最後の方はかなり近代的なものもあり、絵として面白いものもありました。

先日見たギメ展の日本の浮世絵などと比べると、浮世絵が何かを訴えようとしているのではなく、構図とか配色に重きを置いているのに比べ、洋画は暮らしぶりや何かを訴えようと試みているのがよく判ります。

     

展示場ではカメラを向けることは出来ませんが、ここは休憩所、TVではここに絵画を運ばれてくる様子を映していました。修復している映像も見せていました。

       

これが国立国際美術館の入口、私はこの近くで28年間働き、以後10年程度経っていますが、ここで働いている当時はこの建物はありませんでした。
この敷地は昔の阪大の後地、隣の科学館は以前からありましたけどね。

         

帰りに私の骨折した地を訪れてみました。
この坂道の何処かで滑ってしまったのでした。

  


雁の橋

2007-06-15 04:50:00 | 読書
いきなり最初から切り合いのシーンで始まる。

篠山藩から京を抜けて奥能登を目指す3人組を篠山藩の刺客2人が襲い掛かっている。3人は8歳の小栗雅楽助、中間の弥助、付女中の伊勢、雅楽助の父頼母の命で奥能登に隠棲する叔父平左衛門を訪ねる途中、追っ手に襲われたのだった。

弥助が切られ、伊勢も深手を負ったが、そこに立花師木屋権左衛門が現れ窮地を脱し、更に広島藩京都留守居役・桃田庄兵衛一行が刺客を切り捨てる。

通りがかりの富山の薬売り・菊蔵が伊勢の手当てをし、伊勢は一命をとり止める。

偶然にも桃田庄兵衛は権左衛門の立花の弟子であった。

権左衛門は雅楽助を丸坊主にして北陸の山中温泉へ連れて行くと言い出し、伊勢は菊蔵が面倒を見る事になった。

       

旅の途中、権左衛門の人柄に魅せられた雅楽助は弟子入りし八十助という名を与えられ、立花の道を目指すようになる。

山中温泉では東山屋という旅籠にお世話になるが逗留費用の心配は無用だった。

菊蔵の世話ですっかり回復した伊勢だったが、一つ屋根の下で暮らしていくうちに男女の深い関係になっていった。

権左衛門はその才能の余り、池坊を破門された身だったが、池坊の方でも権左衛門の復活を恐れ、山中温泉に平沼陣十郎という刺客を放っていた。

ある日、山へ散策に出た権左衛門主従は陣十郎に襲われ、権左衛門は切られ、八十吉は崖から落ちてしまう。

       

東山屋や村人の懸命の捜索で八十助は助け出され、沈痛な面持ちの八十助は立花師として自立しようと決めるが、時を経てどうしてよいのか判らなくなってしまう。

その時、東山屋の包丁人頭政吉から料理も立花も工夫次第、人間性が現れるものと諭され、八十助は包丁人になる決意をする。

伊勢と深い仲になった菊蔵だが、それを知った能登の女房が子供を道連れに自殺した。菊蔵が能登に帰った後、伊勢は自分の行為を悔い、自らの顔を火箸で焼いて四国へと遍路の旅に出た。

めきめき料理の腕を上げていった八十助は京に戻り小栗家の秘密を打ち明け、信濃松代藩の料理人になる決意を述べ、その役目についた途端・・・

クライマックスは一番最後、読んでからのお楽しみに。

そうそう山中温泉では医王寺というお寺が出てきますが、私のBlogにも医王寺があったのです。


黄色い花

2007-06-14 05:40:00 | 大阪にて
最近、武庫之荘への道を歩いていると、やたら黄色い花が目に入ります。

これはJRの尼崎駅前にも植えてあった。

写真は山手幹線(通称・山幹通り)で撮ったもの、大西町から南武庫之荘に至るまで、ずっとこの花が植えられています。

     

雄しべが長くて変わった花です。
茎1本の先に一つの花しか付けないので、葉の割りには花が少なく感じます。

     

枯れてしまったのもあります。

     

ヒペリカム・カリシナムですか?

こちらもよく似た感じの花です。

     

花弁は5枚、雄しべはそんなに長くはありません。

     

キンシバイでしょうか?別名ヒペリカムとあるサイトもありました。

と言う事は、この2種は同種。どちらもオトギリ草科のようです。
オトギリ草・・・弟切草・・・ゲームがあった。怖いなぁ。

     

早く枯れてくれ!


甲子園球場

2007-06-13 05:40:00 | 大阪にて
今季初、11日久々にプロ野球を観るため、阪神甲子園球場に足を運びました。
勿論タイガースの応援ではありません。ホークスの応援で3塁側アルプススタンド20段目1番2番の席です。が、周りはタイガースファンだらけ・・・

試合開始当初は向かいの太陽がまぶしく、とても見難い。レフトの金本は照明塔の影の中で守っていました。

     

私の前もラッキーセブンの風船飛ばしの時はこれです。
四面楚歌とはこのことか。

しかし試合は1-0でホークスの勝利、前日の鬱憤を晴らしました。

     


あまりうまく撮れてないのですが、動画をUPしてみました。
クリックしてみてください。

これを撮影したときは、もうだいぶ酔うとったのです。

     

9回最後のタイガースの攻撃だと思います。ランナーが1塁にいます。この後2アウト1・3塁まで粘るんですがね。
下柳投手も怒りたくもなりますわな。その気持ちよう解ります。

     

負けて『六甲おろし』を歌えずに引き上げざるを得ない阪神ファンの人たち・・・
9回に1点を入れられてから、しきりに私の頭を撫でとった後ろの列のオバちゃんはどこへ行きよった。さっさと逃げて帰ったな。

     

もう電車に乗ることも出来ない阪神甲子園駅・・・JR甲子園駅は遠いし、結局次の鳴尾駅まで歩いて帰りました。

負けとったら、甲子園駅からさっさと帰れたのになぁ。



山道の花

2007-06-12 05:30:00 | 田舎
初夏に古座に向けての山道を走ったのは初めてでしたが、いたる所にこの白い花が咲いていました。

     

鹿と雉に出合いましたが、咄嗟のことで写真には撮れません。

土曜の夕方からは雲行きが怪しくなってきていました。
水平線が僅かながら丸みを帯びています。

     

アシカとドウネを見に行ってみました。
写真をクリックしてみて下さい。天気の良い日と比べてどうですか?
人影が大きく見えますね。

潮御崎神社の入口に咲いていた花です。

     

鮮やかなピンク色です。
何という花なんでしょう?

     





あれから咲いた花Ⅱ

2007-06-11 05:00:00 | 田舎
先々週土・日に百合の花を採りにはるばる姫の家に行きました。

もう咲ききっていましたが、かろうじて蕾の残るものをいくつか持って帰ることが出来ました。

     

あいにく雨模様でしたが、雨露に濡れる花は写真にもってこいなのかも知れません。

     

ほんとに沢山の百合が咲いていました。

  

アジサイはもう少し時間がかかりそうです。

  


夏に咲くと思っていたサボテンも、もうすぐ咲きそうです。

     

     

コンクリートの隙間から可憐な花が力強く咲いていました。

     

GWにK君が撮ってくれてたスミレも大きくなって・・・

     

写真をクリックしてみて下さい。

夾竹桃

2007-06-08 05:20:00 | 大阪にて
夾竹桃の花が咲き始めました。夏の到来です。

夾竹桃は尼崎市の『市の花』だそうです。

  

は敷地外からの侵入でしたが、この夾竹桃は敷地内に咲いています。

  

白い夾竹桃は従来あまり見られませんでしたが、ここ尼崎では彼方此方に咲いています。

   

   

白とピンクは花びらが全く違います。白は花びらが5枚で一重ですが、ピンクは花びらが6枚あって二重になっています。

名古屋でウロウロしていた頃、夾竹桃の大木がある家を見て、見事に花を咲かせているので、この木を見直しました。

         

内庭にあるビワが沢山実をつけています。

かなり昔から植えていたせいか、背が高い。
どうしたら実を採ることが出来るのか?採らないともったいない。

       

カメラで撮るのは簡単なんですが・・・

       

滝の拝

2007-06-07 06:00:00 | 田舎
滝の拝に関連していくつかBlogを綴ってきましたが、肝心の滝の拝をテーマにして書いてこなかったので・・・

右の階段状の所を鮎が遡上していきます。

        

滝の拝にかかる橋。橋の南側から撮っています。      



滝の拝は古座川の支流・小川(こがわ)の上流にあり、初めて訪れた人はこの奇岩に驚きます。
こちらは橋の上・北側の小さな滝の壷にあたる所。
    

       

こちらが南側の様子です。
鮎釣りをしている人がいるのですが、判りますか?
友釣りではなくて、引っ掛け釣りです。

       

北側を遠くまで見た様子、こちらも鮎釣りをしている人がいますが、コチラの人は友釣りをしています。

     

ツルツルの岩に丸い穴、ツルツルの岩は川の流れでこうなったと説明がつくのですが、どのようにして丸い穴がここそこに出来たのか不思議です。

     

橋を渡ったところに小さな祠がありました。

 

せっかくですが、何て書いてあるか判りかねます。

        金(こん)ぴらさんの由来
水・農・薬など命の神さまとして信仰されています。
1828年讃岐の国から御神体をお迎えして、ここから見える金ぴらの森にお堂がありました。(文章としてつながってない)
明治の頃、堂守りの根木賢助が夢のお告げを受けて占を受けた末、ここへ御遷宮したといわれています。
         紀伊の国東牟婁郡(旧)小川村
            金(こん)ぴらさん
       皇紀二千六百五拾二年六月九日吉日

皇紀2652年は今から15年前ですから、15年でこんなに読めなくなるようなものを作ったことになります。

後半は・・・   伝記   滝の拝太郎
大昔 沛太郎が大小のくぼみを岩に九百九十九掘りました。千壷目に深い壷を掘りに這入ったきり出てこなかったそうです。滝の沛の人達は遺言通りの五輪の塔を建てました。塔のひな型をほりつけた面を下側にした岩が川底に沈んでいます。
由来と伝説の里はなしを根木直温氏の語りの通りに之を書き一句添

地蔵さんもじっときき入る里はなし
                万福天水蓮

       

伝記ですからこの丸い穴がどのようにして出来たのかの科学的な説明ではありません。

     

駐車場の上に変わった案内板がありました。
沢山の滝があるものです。ついでに地図も書いておいてくれたら良かったのに。





誰だっ!これは?

2007-06-06 05:10:00 | 大阪にて
我社から北西に向かって(実際には西に向かって、北に向かって、また西に向かう)歩いていくと、尼崎市立尼崎工業高等学校と尼崎市立尼崎産業高等学校が一つの敷地に建っています。

  

門の奥にチラリとピッチングをしている銅像が見え、「誰じゃろ?」と思い、守衛さんに頼んで写真を撮らせてもらいました。

       

胸にTigersの文字、背番号は11です。
A級欠番・・・いや永久欠番、『村山実』さんでした。

私の記憶ではもうちょっと太っとったと思うのですが・・・

       

でも何故彼がこの高校の玄関でみんなを出迎えているのか?    

ここには書かれていませんが、学校法人住友工業高等学校は現尼崎市立尼崎産業高等学校なんですね。
住友財閥はいくらでもお金が有り余ってたんでしょうね。工業高校を尼崎市に譲り、前述の慶沢園も大阪市に譲っています。

ちなみに小学校は下坂部小学校だとか・・・そちらにも銅像があるかも?

字が小さくて、よ~く見ないと判らないのですが、被安打数と奪三振数が共に2271で同じなんですね。
これは偶然なのか?計画的だったのか?

       

石鹸

2007-06-05 05:20:00 | 大阪にて
我が家ではお風呂に入る時、石鹸を花王のホワイト・バスサイズを使っています。
泡立ちが良いのと、大きなサイズが少しだけど長持ちするのです。

退院した頃、阪神尼崎の商店街のとある薬局でこれと同じものを180円ぐらいで売っていたので、安いなぁと思い買っておきました。
それも底をついたので同じものを探していたのですが、みんな高いのです。
どこでも400円を上回ります。

若王子からの帰り道、HOMESというホームセンターがあるので、探したら318円だったので、「高いけど100円安いから買っとこ」と思い実行に移したのでした。

       

ところが、尼崎駅の近くまで帰ってきて、ふとドラッグストアを覗くと・・・何と!158円で売っているのです。

       

2つ買ってもまだ2円安い!!

返しに行くには、遠すぎるし、重すぎる。

損したと思う気持ちにもめげずに後2つ買って、合計3つ重さに負けず家まで持って帰ったのでした。