南武庫之荘を越えて武庫之荘本町に行くこともあるのですが、どこをどう通ったのか・・・この神社が何処にあったのか思い出せなくて、磐長姫神社と名前が判るだけ、尼崎市お得意の説明文がありません。
鳥居や社殿よりこちらの方が信仰の対象になりそうです。
狛犬と狛犬の間を相対して一直線に樹が鎮座しています。何か曰くがありそうです。
尼崎にはこのように至る所に水路が見られ、柵や蓋をしてないところが多くて、夜など酔っ払ってはまってしまう人がいないかと心配です。
今でこそ阪神工業地帯の中心的存在ですが、この水路の多さは昔は田んぼや畑ばかりの地だったことが偲ばれます。
もう少し先を行くと、何やらモダンなお寺。
いかにも電線が邪魔ですが、それが現代的なのかも。
お寺の傍らに不動明王、上に出世が付いています。
出世を叶える不動明王など、仏教の教えにあるのですかね。
右の紙に『誤りを素直に認めない頑固さが向上を阻んでいる』と教示されています。誰に言ってるんでしょう。出世を望む輩に薀蓄をたれているのでしょうね。
あまりよく読めませんが、天保6年に大阪天満の法輪寺に建立したものを1963年に寺と共に武庫之荘に移ってきたとあります。
天保6年といえば災害や飢饉がひっきりなしに起きていた頃で、人々は出世などとは無縁の暮らし振りではなかったかと思うのですが・・・ましてや米経済の破綻による商人の台頭で武家社会の方も屋台骨が揺らいできており、田沼時代に逆行したような賄賂の横行、大奥の権勢の増大など経済と社会の危機の中、片方では自らの努力によらない『出世』が氾濫していたのかも知れません。
そのような『出世』を助ける明王などまっぴらなのですが。
鳥居や社殿よりこちらの方が信仰の対象になりそうです。
狛犬と狛犬の間を相対して一直線に樹が鎮座しています。何か曰くがありそうです。
尼崎にはこのように至る所に水路が見られ、柵や蓋をしてないところが多くて、夜など酔っ払ってはまってしまう人がいないかと心配です。
今でこそ阪神工業地帯の中心的存在ですが、この水路の多さは昔は田んぼや畑ばかりの地だったことが偲ばれます。
もう少し先を行くと、何やらモダンなお寺。
いかにも電線が邪魔ですが、それが現代的なのかも。
お寺の傍らに不動明王、上に出世が付いています。
出世を叶える不動明王など、仏教の教えにあるのですかね。
右の紙に『誤りを素直に認めない頑固さが向上を阻んでいる』と教示されています。誰に言ってるんでしょう。出世を望む輩に薀蓄をたれているのでしょうね。
あまりよく読めませんが、天保6年に大阪天満の法輪寺に建立したものを1963年に寺と共に武庫之荘に移ってきたとあります。
天保6年といえば災害や飢饉がひっきりなしに起きていた頃で、人々は出世などとは無縁の暮らし振りではなかったかと思うのですが・・・ましてや米経済の破綻による商人の台頭で武家社会の方も屋台骨が揺らいできており、田沼時代に逆行したような賄賂の横行、大奥の権勢の増大など経済と社会の危機の中、片方では自らの努力によらない『出世』が氾濫していたのかも知れません。
そのような『出世』を助ける明王などまっぴらなのですが。