ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

谷風岩五郎の墓

2010-10-28 05:00:00 | 大阪にて
首地蔵を見学し終えて、きっと西宮街道だと思える道を南下します。と、すぐにこの谷風関のお墓がありました。聞いたことのあるような、無いようなそんな力士です。NHKも3月の大阪場所では近辺の力士を取り上げたらいいのにとは思いますが、なにぶん相撲放送は何もすることの無い土日にしか見れないものですから、そのような放送がなされているのやら私には分りません。

          

今から138年前にあの皇大神社境内で大相撲が開催されたと書かれています。大相撲の定義は何なのでしょう。年に六場所、場所が決まって開催されているのが大相撲と呼ばれる由縁では無かったのか?その合間に地方で行われるのは巡業です。明治時代には何処で力士が相撲を取ろうと、大相撲と呼んでいたのでしょうか。この表記には少し疑問が残ります。

四股名が『若の柳安太郎』って、「わかのやなぎ」と読んでいたのでしょうかね。いや「わかのりゅう」だったのかも、「りゅう」の方だったら「龍」や「隆」の字が相応しいような気がします。現在では「柳」の字を四股名に使ってる力士は居ませんが、なよなよしているようで、足腰が強くしなやかで負けないイメージもありますね。

                  

そのまま街道を下っていると、電柱にこんな看板を見つけてしまいました。どれ位前のものでしょう。国鉄民営化は1987年、それより以前に貼られたものには違いありません。尼崎の駅も様変わりしていますし、きっと現在ではこの会社は無いのでしょうが、無くなれば貼ったものは剥がせよと思うのです。でもそんなきちんとすることが出来ないのが、この手の輩。
こうやって電柱に勝手に広告を貼る会社も後を絶ちませんが、そのようなことを出来なくするためにも電柱を撤去して、電線を地中に埋める計画に拍車をかけて欲しいものです。そうなればせっかくの写真にも電柱が写りこまなくなります。

             

そのまま先に進んで元の小浜のバス停に到着しました。見えている横断歩道の先を上っていったのでした。

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