42号線側の入口から清水峠まで10分ほど、入口には浦神駅まで40分と書いてありましたから後30分は歩かなければなりません。たいしたことはありませんが、目標を達成したのに(清水峠を越えることが目標だったわけではないのですが)未だ3倍も歩かなければならないことになるのが億劫です。
地図にも標識にも清水峠と何度も見るので、清水峠がどんな所か期待していたのに、ただ単に清水峠の標識が有っただけだったのには少々拍子抜けでした。串本町の大辺路とは違い、道幅が少し広いのも那智勝浦町の大辺路の特徴でしょうか?かと言っても串本町内の大辺路を歩いてみて比べただけで、田辺から白浜、富田、すさみへと続く路を歩いたわけではありません。
清水峠は「しみずとうげ」と読むのではなく、「しみとうげ」と読むそうです。その訳は海蔵禅寺から登っていくと途中で所々にこういった湿地が見られ、水が滲みるということではないかと思いながら歩いていたのですが、本当の所はどうなんでしょう。
那智勝浦町での大辺路には道標が多く、ここでも標識が無かったら、左への細い道を上へ上がるのか、まっすぐ行くのか迷ってしまう所です。道が分かれるような所では必ずと言っていいほど標識が立っていますし、この道で良いのかと心細くなってきた頃にも標識があるので安心です。
途中石垣があり、昔はこの辺りに人が住んでいたのかとも思われます。畑などもあったようですが、麓からはかなり遠く、水などを運ぶには大変だっただろうと思います。昔はもっと水が滲み出している所も多く、水量も多かったのかも知れません。
急な坂ではありませんが、登ったり下ったり、結構変化に富み、歩いていて楽しい道でした。
見晴らしの良い所に出ると、ウグイスの鳴き声が聞こえ、春を感じます。写真だけでは鳥の鳴き声は聞こえませんから、動画をUPしておきました。
地図には“浦神湾が見える”と書かれている箇所があり、確かに田原側から登って来ると突然右にこの景色に出合い、感動します。でも浦神側から登って来ると、左に湾を見ながら登って来るのでそう感動は無いのではないかと思います。
更に進むと見晴らしが良くなります。板に書かれた“都出て三カ月 無苦集滅この絶景”“熊野古道 大辺路浦神王子”の文字、藤原定家は『明月記』で中辺路を通ったことだとしても都を発って12日で熊野の地を見て感動しますが、ここに書かれている“都出て三カ月”というのは大辺路を歩いたとしても大袈裟、かかり過ぎだと思います。
浦神王子などは聞いたこともありません。大辺路に対する町の思いが大きいのは解りますが、根も葉もないことは書かない方がいいだろうと思います。
この見晴らしの良いところには『津波災害避難小屋』が出来ています。でも未だ電気は来ていません。この大きさで何人ぐらい収容できるのでしょうか。有るに越したことはありませんが、人口の割には小さ過ぎると思うのです。
近くには水道がありますが、誰がこの水道料を払っているのか・・・水が出っ放しなので、勿体ないから止めておきました。そして民家が並ぶ所まで降りてきました。立ち止まったり、ベンチに腰掛けてみたり、写真を撮ったりしたので、入口からここまで50分ぐらいかかっています。
とうとう紀伊浦神駅の西側の『奥の谷踏切』まで降りてきました。ここでも道標があります。左下ですよ。
紀伊浦神駅の裏側を通ります。ツツジの花が見事なピンク、梅の木も実を付け始めています。
やっと海蔵禅寺の旗や鹽竃神社の小山も見えてきました。この日のゴールです。昼食をとってからここまで約1時間半かかりました。
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