ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

お盆以降

2014-09-09 05:00:00 | 田舎

退職して2年以上が経ち、受信料を払いもしていないのにNHKの朝ドラを見るのがクセになってきています。退職したての頃は朝からテレビを見る癖も無かったし、ハローワークを始め、いろいろ用事もあったので、実際にテレビを見る暇もあまりなかったのですが、だんだん当時放映されていた『梅ちゃん先生』をチラチラ見るようになりだし、次の『純と愛』はオモロないなぁと思いながらもほぼ毎日見るようになったし、次の『あまちゃん』は最初から強烈なイメージだったので興味を持って見たし、次の『ごちそうさん』はオモロないと思いながらも『あまちゃん』からの惰性で見ていたよう気がしていました。今放映されている『花子とアン』もほぼ毎朝見ていますが、習慣によって見るようになってからですが、ヒロインが嫌いなタイプと好きなタイプが順番に出てくるようになってるような気がするのです。『純と愛』の夏菜のような顔は嫌いだし、『あまちゃん』の能念玲奈は好きですし、『ごちそうさん』の杏は嫌いですし、『花子とアン』は好きなタイプです。『ごちそうさん』が何故、嫌いな奴がヒロインなのに視聴率が高かったのか、きっとあのキムラ緑子演ずる意地悪な義姉が面白かったのかも知れません。まぁ、書きたかったのは私の好みの事ではありません。『ごちそうさん』も『花子とアン』も明治末期から昭和の太平洋戦争へ突き進んでいく時代を描いていますが、戦時中の様子を比べると前者は国策としての戦争が描かれていないのに対して、後者は国家が国民に対してどのようなことをしてき、国民に戦争へ動員したのかが少しなりとも描かれています。宮崎龍介や白蓮のような反戦思想の持ち主も重い役柄で登場します。籾井会長のNHKですから反戦ドラマとしては作ってはいないのでしょうが、戦争はいけないという作者の思いは伝わります。

             

15日、A竹君たちが帰った後、三男たちがBBQをすると言っていた河内さんへ行ってみました。到着したのは2時頃でしたが、河原でBBQをしていた痕跡は三男たちだけのようで、毎年のように河原に遊びに来ている人も多くはないように思えました。水かさが増して流れも急になっていたので、御神体の清暑島へ泳いで行く者もいません。

       

流れが早くて、一緒に来ていた小学生が流されると危ないと思い、丁度干潮時だったので姫の地磯のタイドプールで磯遊びをすることにしました。タイドプールはカニや貝、魚が見れて、来ていた小学生は大喜びでしたが、磯焼けが激しく、カメノテなどは渡れない磯にしかありません。橋の下のコンクリートも割れ落ちていて、地震でもあったのかと驚きました。

             

お盆が過ぎて20日になっても、まだまだ橋杭岩には観光客が絶えません。橋杭に来たのはただただスタンプを押しに来ただけでしたが、曇っていたお盆のころより天気が良く、空気が透明だったので、写真を撮っておきました。ただ道の駅の2階に上がると、冷房も効いてなく、物凄く蒸し暑く、2階の部屋には誰も座っていません。ベランダに出ると涼しく感じたぐらいです。

             

1月に受けた手術に対して高額医療費費への補助金が増額されるかも知れないと通知があり、25日まで24年分の収入を書いて投函するよう指示されたので、23日に帰ることにしました。三男が車に乗って帰ったので、私は電車で帰らなければなりません。朝10時20分紀伊姫駅発の電車に乗ると、いつもワンマンカーの電車には女性の車掌が乗っていて、何処まで行くのかと切符を売りに来ました。いつもはこんなことがなく不審に思ったので、「何処で降りるか決めてない」と答えると、「この電車は田辺までしか行かない」などと何処まで行くのかとは関係無いようなことを言っていましたが相手にしないでいると、さっさと行ってしまいました。私はいつもと違う行為なので不審に思ったのですが、相手は私の事を不審に思ったのでしょうね。

               

姫を出た時は晴天では無いものの晴れていましたが、白浜付近まで来ると雨が降り出しました。雨の降る紀伊田辺駅で10分ほど待たされた後、御坊行の電車に乗り換えたのですが、乗った途端いつもと雰囲気が違います。何となくレトロな雰囲気、これもお盆の催しだったのでしょうか。田辺~御坊間は高速道路なら印南を経てすぐですが、電車では印南を越えてからどれだけ停まるかというぐらい駅がありました。御坊で5分の待ち合わせで和歌山行の電車に乗り換え、土曜日だったからでしょうか、何とか座れたぐらいで結構人が乗っていました。和歌山で7分待ちで天王寺行きの快速に乗りましたが、座れません。この時は天王寺まで行こうと思っていたので、列車の前方に乗ったのですが、停車駅を聞いた時、三国ヶ丘で南海電車に乗り換えて帰ろうと思ったのですが、途中日根野で関空からの電車を後ろに連結したので、三国ヶ丘で乗り換えるなら後ろの方に乗らないと南海電車まで遠いことを思い出しましたが、決めた通り三国ヶ丘で乗り換えました。紀伊姫から天王寺までの運賃が4000円、三国ヶ丘で降りると3670円でした。南海電車の方は260円ですから、天王寺まで行くより安くついたのでした。でも家に着いたら4時でしたから6時間もかかってしまったのでした。今回は往きも帰りも時間がかかった帰省でした。


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4 コメント

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なんとなく ()
2014-09-10 10:54:27
今回の朝ドラを見ながら 「う~ん、戦争を描く機会が多くなってきたなこの頃は」と思ってました。専業主婦の特権のように言われて久しい朝ドラ、それに最近はまっているようなぼんくらさんの感想は 確かだと思います。梅ちゃんのまえにも井上真央の「おひさま」で出征シーンはあったし家族が従軍医師として戦死したと思います。現代の戦争を知らない世代に向けてなのかはわからないけど、見ていてこんな私でも嫌な時代の始まりを感じます。

私は「あまちゃん」の主役が嫌いだったので観てません。あのぼぅっとした造られたイメージと、鼻づまりかよ!と思う声にはいらっとします。花子の吉高由里子も嫌いなタイプです。ぼんくらさんとは逆の好き嫌いのようですね。あ!でも井上真央も堀北真希も吉高由里子も≪小栗旬≫と共演してますね。「ごちそうさん」は主役より脇の出演者がよかったからね・・・と言うか、大阪が舞台の朝ドラは観てしまいます。「純と愛」も、見ているうちについ見てしまいましたね。
ところで私は女子の必須本?と言われる「赤毛のアン」を読んだことがありません。たぶん小学生時代に江戸川乱歩の少年探偵団シリーズにはまっていたからで、空想の翼も閉じられていたんですね。
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久しぶりですね (ぼんくら)
2014-09-19 21:46:29
私がブログを綴るのも、貴女がコメントをくれるのも・・・まぁ、貴女は介護のことで忙しいこともあるのでしょうが、私は楽を決め込んでしまっていて、最後に会った時に「書きなさい」と言われたことも棚の上、元々ですが自分のブログもなかなか見に行くことがありません。

籾井という問題発言が絶えない会長の元で、現総理の思い通りにはさせないとするドラマはNHKではなかなか作れないのかも知れませんが、『ごちそうさん』よりは今のドラマの方が国民にとってどれだけ精神的な負担を与えられたかは描かれていると思っています。白蓮は花子に子供たちを戦争に駆り立てたと怒りましたが、花子のような立場の人、立場より考えかも知れませんが、当時としては仕方がなかったのだろうし、子供に夢をという信念は正しいと私は思っています。ただ世の中の誰もが国の戦争へと突き進む、今から思えば愚かな国策に賛意を送る時代に、花子は竿を差せなかったのだろうけど、本当に子供たちのことを考えたら、サッサと辞意を表明して欲しかったなぁと自分で思う所が、籾井会長の意に沿っているような気がしてなりません。まぁ事実なのでしょうから、仕方がありません。

私も男子ですから必須本ではないかも知れませんが、『赤毛のアン』は読んでいません。小学生の頃は何を読んでいたのか覚えていませんが、中学生になった頃は『名探偵コナン』ならぬコナン・ドイルのミステリー物や宇宙探検物など海外文学ばかり読んでいました。勿論、少年サンデーや少年マガジンは毎週読んでいたのです。私の当時の人生の模範となったのは、ちばてつや氏の『ハリスの旋風』の主人公・石田国松だったのかも知れません。そんなの知らないでしょ!
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詳しくは ()
2014-09-21 21:24:04
詳しくは知らないけど♪どんがんどんがらがった国松様のお通りだぃ ・・・あとは忘れた テレビでやっていたのは覚えています。それは雑誌よりだいぶ後だったのかもしれません。『ハリスの旋風』の≪ハリス≫ってなんでしょ?

ちばてつや氏は「俺は鉄平」も描いてましたか?学生時代コミックを読んだと思う。なんか「チンチロリン」とサイコロをお茶碗で転がしているシーンがあって、子供漫画に博打?と思いましたね。間違っているかもしれませんが

私も花子は ラジオのおばさんをもっと早く辞めるのかと思ったんですが、仕方なかったんでしょうね・・・。
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ハリスは・・・ (ぼんくら)
2014-09-26 05:21:52
チューインガムの会社だったと思います。スポンサーだったんでしょうね。ただチューインガムの会社の名前をタイトルに使用しただけなら、バカみたいですが、国松はハリス学園という学校に通っていたのです。

当時中学生ですから、私と同じくらいの年齢だったので、国松も実際に生きておれば私と同じくらいの歳になっていますが、当時のまま弱い者の味方でおれば、弱い者いじめ・強い者(金持ち)のための政治には、憤慨しているんじゃないかと思うと、ちばてつや氏には年老いた国松爺さんを描いて欲しいと思いますね。
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