西宮の小曽根町での仕事を終え、次は宝塚の伊孑志(いそし)という街にやってきています。
阪急電車の逆瀬川駅で降りて、10分程度歩きます。
伊孑志の街には昼食をとる所も暑さを凌いで休憩する所もありませんから、駅前に数棟あるアピアのビルに戻らねばなりません。
七夕当日7日の月曜日、アピアで休憩しようと入館すると、七夕飾りの竹にいろんな願いが書き込まれた短冊がぎっしりと吊るされています。
健康とか幸福や合格を願う短冊が一般的ですが、若い人なのでしょう、恋人に巡りあえるようにとか、スポーツで勝利を等の願いもチラホラ。
中にはこんな世相を反映した短冊もありました。
少し前はこんな願いを七夕の短冊に書く人はいなかった。若者にとっては切実な願いですし、政府もこのまま就職できない若者が増えたら将来の我が国はどうなるのかぐらい解ってそうなものですが、無策です。
このホールは2階にあったので、3階に上がって撮ってみることに。下のほうに短冊は集中しています。
先の方には何も書かれてない短冊ばかりでした。
これはお願いではありません。妄想かも知れません。
「息子が自宅に帰れますよう・・・」これを書いたお母さん、切実さが伝わります。
我が社も50歳で定年を希望しない者には、全国への配転を強行しますが(その是非を問う裁判も進行中)、ひょっとしてこのお母さんの息子さんは我が社の社員かも知れません。
阪急電車の逆瀬川駅で降りて、10分程度歩きます。
伊孑志の街には昼食をとる所も暑さを凌いで休憩する所もありませんから、駅前に数棟あるアピアのビルに戻らねばなりません。
七夕当日7日の月曜日、アピアで休憩しようと入館すると、七夕飾りの竹にいろんな願いが書き込まれた短冊がぎっしりと吊るされています。
健康とか幸福や合格を願う短冊が一般的ですが、若い人なのでしょう、恋人に巡りあえるようにとか、スポーツで勝利を等の願いもチラホラ。
中にはこんな世相を反映した短冊もありました。
少し前はこんな願いを七夕の短冊に書く人はいなかった。若者にとっては切実な願いですし、政府もこのまま就職できない若者が増えたら将来の我が国はどうなるのかぐらい解ってそうなものですが、無策です。
このホールは2階にあったので、3階に上がって撮ってみることに。下のほうに短冊は集中しています。
先の方には何も書かれてない短冊ばかりでした。
これはお願いではありません。妄想かも知れません。
「息子が自宅に帰れますよう・・・」これを書いたお母さん、切実さが伝わります。
我が社も50歳で定年を希望しない者には、全国への配転を強行しますが(その是非を問う裁判も進行中)、ひょっとしてこのお母さんの息子さんは我が社の社員かも知れません。
残骸が浜に打上げられてます。
古座川ではどうでしょう?河口なら流してるかも知れませんが、上流ではそんなことはしていないと思います。残骸を見たことがないからです。
初盆も、川は流さないみたいですね。
流すマネだけして、あとは燃やします。
ところが、海のほうはまだ流してます。
古座なんかどうなんでしょう?
流してます?
七夕の飾りは翌日には完全に撤収されてしまい、全く名残がありません。
少し寂しい想いです。
子供の書いた短冊なんかおもしろかったです。内容は忘れちゃいましたが、「○○になりたい」系でした。
「それ、職業ちゃうやろ!」
と思わず突っ込んでしまいました。
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