ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

浜寺公園

2014-06-17 05:00:00 | 大阪にて

サッカーのワールドカップが始まった先週の金曜日、早朝から開催国ブラジル対クロアチアの試合が放送されたので観ていたら、モモの散歩が遅くなってしまい、どの犬も散歩が遅れたのかと思っていたのですが、そうでもないらしく、普段出くわす犬とは出会いませんでした。久し振りに青空が戻ったので、「今日こそは」と何処かへ行こうと思いながら、家に帰ってGoogleの地図を見ていると、電車に乗って串本へ帰る際に目にする大鳥大社が目に付いたので、ルートを辿ってみると、浜寺公園南という信号を左折して真っ直ぐ1kmほど走ると突き当りにあったので、これくらいなら自転車で行けるやろと思って、10時に家を出たのでした。

             
                              突き当りのレンガ色の屋根が浜寺公園駅
国道26号線を南下すると、南海本線の堺駅を越えたところからは、旧26号線は府道204号線に名称が変わっています。南海本線の駅名で辿ると、堺の次は湊、石津川、諏訪ノ森の次が浜寺公園ですが、思っていたよりも遠くて、家から1時間ぐらいかかってしまいました。

                    

浜寺公園駅から西へ歩くとすぐに浜寺公園なのですが、自分が若い頃と子供たちが幼い頃はよく浜寺プールに泳ぎに行ったものですが、もう20年ぐらいは浜寺プールには行っていません。駅からの道は昔はもっと狭く、両側に浮き輪とかジュースやかき氷を売る店が並んでいましたが、今は拡幅され両側の店も無くなってしまった模様です。

家から浜寺公園へは南海本線か阪堺線で来れますが、阪堺線は本数が少ないので利用した覚えがありません。阪堺線の浜寺駅前駅は終着駅で、ここより南へは行っていません。

             

浜寺公園に改めて入ってみると広い公園で、松が現在でも5000本以上生えていて、白砂青松の面影を残していて、日本の名松100選にも選ばれているそうです。

                    

公園の西端は浜寺水路になっていて、1年前にここで小型船舶の免許を取りに来たのを思い出します。水路の対岸は埋め立て地ですから、昔は浜寺公園の西はすぐに大阪湾だったようです。今は松が植わっている地域を浜寺公園としていますが、きっと昔はもっと南北に松が植わっていたことでしょう。

                    

一角には野球場やサッカー場も有りますが、芝生は植えられていません。金曜の昼だというのに野球の試合が催されており、審判も雇われているようで、何処かのリーグ戦かトーナメントをしているのでしょう。私たちのソフトボールは日曜でもなかなか人を集めることが出来ないのに、平日でも試合が可能なチームも有るんですね。と言っても私の若い頃の野球チームは職場で結成していましたから、日曜・祭日などに試合は無く、いつも平日でした。私たちは輪番勤務でしたから、試合をこなすために週休や夜勤に変わって貰ったり、2時間とか半日とか年休を取ったりしていました。勿論、会社の近くの公園での開催でした。

             

明治のころは公園内にも別荘が立ち並び、火災から守るために消火栓が設置されていたそうで、製造年度が残るプレートが一つだけ残っているようですが、残念ながらその数字が消えてしまって読めません。消火栓はあちらこちらにたくさん残っています。如何に公園内に別荘や料亭が建っていたかを窺わせます。

             

こちらが浜寺プールの一画、南紀白浜では5月3日だったか海開きをしましたが、大阪では未だシーズンに入っていません。なので未だ開門されていませんが、今はプールの掃除をやっているようです。こんな仕事なら私でも出来そうなのですが・・・


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