ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

門戸厄神

2010-06-07 05:00:00 | 大阪にて
門戸天神社の丘を降りて、そのまま門戸厄神駅の方へと歩くと、きっと何か見えてくるだろうとタカをくくって、南へと歩を進めます。

確か地図には東光寺というお寺が西側にあって、地図に載ってるくらいやから有名なお寺なのかも知れないと思っていました。

             

南に向かって右手の山腹に鮮やかな赤のお寺のようなものが見え隠れするのですが、どこから入っていくのかよく判りません。

                  

暫く歩くとこの標柱があり、左の柱には厄神明王と彫られていて、ここを入ると門戸厄神に行けるのかと思った次第です。それでもなだらかな坂道を随分歩いたような感じでした。

そしてやっと見つけたのが東光寺の山門、行ってみてやっと分ったのですが、門戸厄神と呼ばれているのは東光寺のことだったのです。

             

こどもの日はとっくに過ぎていましたが、未だ5月も中旬だったので青空に鯉のぼりがはためいていました。

             

山門を抜けると朱も鮮やかなまた山門でしょうか。中央に厄神明王と書かれた大きな提灯があります。

             

朱の山門から見る西宮の市街、ここから東へ1kmも行くと武庫川があり、その対岸は尼崎市や伊丹市になります。武庫之荘昆陽の街も見えているのかも知れません。
『双調 平家物語』を読んでいて初めて知ったのですが、平清盛が福原遷都を言い出した際に朝廷では、福原は狭いので、昆陽野の地も遷都の候補に上がっていたそうです。清盛の頭には都は福原でしかなかったようですがね。

             

厄神とは一体どのような神様なのか、一番下の案内板には愛染明王と不動明王が一体になったものとの説明がありますが、厄と神の間に病を入れると厄病神となってしまって、あまりいい印象ではありません。

             

境内にはお堂がいくつもあり、朱も金も色鮮やかで、毎月19日の縁日には沢山の参詣者があり、きっとお布施が沢山集まるのでしょうね。

          

東光寺と厄神明王の説明ですが、読めるでしょうか?

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