この神社が雷公神社という名称なのは、海金剛の駐車場にある案内板で知っていました。
読み方は『なるかみじんじゃ』、どこにも『なる』『かみ』と読める字はありません。元々は鳴神神社と書いていたのかも知れません。
私自身としては『いかづちのきみじんじゃ』と読んでみたい。
でもここに来て、『雷公神社』とは何処にも一言も書いてありません。
鳥居にも社殿にも何も書かれてないのです。
境内には狛犬も置いてありませんでした。
賽銭箱は社の中にありました。
社殿の中を覗いてみても、何を祀ってあるのか・・・サッパリ判りません。
社殿の左側に小さな祠が二つありましたが、これも何を祀っているのか判りません。
境内から海を眺めるとこんな感じです。
階段を下って来た道ではなしに、車で来れる道で帰ってみることにしました。
鳥居を通り過ぎてから撮った景色ですが、海風に晒されていない方は、未だ少しは朱さが強いですね。
この奥の左側から私は出てきました。
ここがキンカンを売っていたおばあさんが言っていた三叉路ですが、おそらく車で通ったら通り越してしまっていたと思います。
こういう道は三叉路とは呼ばないでしょう。
三叉路は3つの道が交差するところです。ここは「横道があるから、そこを左に曲がって、すぐ左に曲がる」と教えてくれないと判らないと思います。
串本大橋から来たら、その電柱のあるところを右に曲がります。
まっすぐ行くと日米修好記念館や海金剛です。
道は案外広かったです。
読み方は『なるかみじんじゃ』、どこにも『なる』『かみ』と読める字はありません。元々は鳴神神社と書いていたのかも知れません。
私自身としては『いかづちのきみじんじゃ』と読んでみたい。
でもここに来て、『雷公神社』とは何処にも一言も書いてありません。
鳥居にも社殿にも何も書かれてないのです。
境内には狛犬も置いてありませんでした。
賽銭箱は社の中にありました。
社殿の中を覗いてみても、何を祀ってあるのか・・・サッパリ判りません。
社殿の左側に小さな祠が二つありましたが、これも何を祀っているのか判りません。
境内から海を眺めるとこんな感じです。
階段を下って来た道ではなしに、車で来れる道で帰ってみることにしました。
鳥居を通り過ぎてから撮った景色ですが、海風に晒されていない方は、未だ少しは朱さが強いですね。
この奥の左側から私は出てきました。
ここがキンカンを売っていたおばあさんが言っていた三叉路ですが、おそらく車で通ったら通り越してしまっていたと思います。
こういう道は三叉路とは呼ばないでしょう。
三叉路は3つの道が交差するところです。ここは「横道があるから、そこを左に曲がって、すぐ左に曲がる」と教えてくれないと判らないと思います。
串本大橋から来たら、その電柱のあるところを右に曲がります。
まっすぐ行くと日米修好記念館や海金剛です。
道は案外広かったです。
確かに見せる・魅せるための写真は難しいと思います。
アマチュア・プロを問わずカメラマンのように時間をタップリとって、納得するまで写せばいいのでしょうが、なかなかそんな余裕はありません。
阿野木漁港への道はもう少し先ですよ。
昨日はイレギュラーな時間のコメントでしたね。
いままで携帯のカメラで適当に写真を撮ってましたが、最近「見せる」画像とは難しい物だと思い出しました。
鳥居の赤と海の青のコントラストが最高です。
すばらしい~!