ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

龍潭寺 Ⅱ

2011-03-31 05:00:00 | 
最初の写真は別として、こちらから入ればよかったと思った参道の入口から、つまり撮った写真の最後から並べてみようと思います。

             

まず入口に龍潭寺についての立て札がありました。読めると思うので再掲はしませんが、井伊家が静岡出身だったとは、初めての見聞です。家康は駿府の出ですから、道理で井伊家は徳川四天王の一角だったわけですね。それでも幕末には朝廷側に立って戦い、言わば徳川家を裏切ったわけです。

『勝てば官軍』という言葉があるように、幕府側が総崩れに陥ったから井伊家、あるいは彦根藩は無事だったものの、負けておればどんなお咎めが待っていたことか。『勤皇の大義』を守ったと言うよりも、先見の明があったのかも知れません。

             

参道に入ってすぐ左に観音立像、佐和山観音と記されています。左の石柱に石田三成云々とあるのが見えています。

                  

石田三成公像と記されていますが、何故この井伊家所縁の龍潭寺の境内に置かれているのかが不思議です。わざわざ三成公と主君を呼ぶような形で座っているのか、佐和山城に因んで設置したのであれば、三成公の『公』の字は要らないはずですし、お寺の参道ではなく、外の広場に設置すればいいのです。

             

三成の幾つ位の像なのでしょう。関が原の戦いに於いて40歳で戦死していますが、おそらく関が原の戦いより2~3年は前のものだと窺えます。未だ若いですが、一昨年のNHK大河ドラマに出ていた人と比べるとブッチャイクですね。

             

参道に沿ってあまり深くない竹林が並んでいます。ここのお寺は石田三成の像といいナンデモカンデモ置きたがる趣味でもあるのでしょうか?右の石ではかろうじて字は判別できそうです(能力の問題で読めません)が、左の石は何か書いてあるのでしょうか。

                  

この碑も意味不明、一番上の字が想像できません。字を彫ってますから旁の上部が欠け落ちたのではありません。明らかにこのように彫ってあるのです。一番似たのは『招』ですが、それにしてもあまりにもバランスが悪いではありませんか。

それでもよ~く見ると一番上だけではなくて、3文字とも旁の部分の上に要る“点”がありませんね。単なる手抜きでしょうか、統一させてるのでしょうか。

平成22年度も今日でおしまい、明日からは新しい年度になりますが、私にとっては格別の1年になりそうです。明日以降、今の職場には先輩と呼べる人は一人も存在しなくなるのです。

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