今日の「お気に入り」は 、今 読み進めている
本の中から 、備忘のため 、抜き書きした 文章 。
物語の中で 、「 くびじろ 」と呼ばれる老練 、
老巧な 大鹿 が 登場し 、主人公の原田甲斐は 、
飛び道具ではなく 、弓矢と手斧と山刀だけで 、 弓矢も飛び道具?
山中深く 、この大鹿 を狩ろうとする 。
その老鹿との対決を前に 、原田甲斐が 、
ひとり野外に宿泊し 、腹ごしらえをする場面 。
今でいうキャンプ飯 。
引用はじめ 。
「 薄焼 ( 小麦粉を練って伸ばし 、醤油で
焼いたもの ) をひと口 、それから焙った
猪の肉を歯で噛み千切って 、ゆっくり
と噛み 、乾した杏子の一片で味を添え
た 。猪の肉は時間をかけて焙るから 、
脂肪とたれがよく肉にしみこんでいる
し 、しこしこした薄焼の甘味と 、少
量の杏子の酸味とで 、噛めば噛むほど 、
濃厚で複雑な味が 、口いっぱいにひろ
がるのである 。甲斐はそういう食事を
好んだ 。それが鹿の焙り肉であれば申
し分はない 。猪や兎の肉でも悪くはな
いが 、韮と葱と人参を刻みこんだたれ
で 、味付けしながら気ながに焙った鹿
の肉ほど 、甲斐にとってうまいものは
ない 。それはいつも 、想像するだけ
で 、口いっぱいになる唾がはしるくら
いであった 。
―― おれは間違って生れた 。
と甲斐は心のなかで呟いた 。けもの
を狩り 、樹を伐り 、雪にうもれた山
の中で 、寝袋にもぐって眠り 、一人
でこういう食事をする 。そして欲しく
なれば 、ふじこやなをこのような娘た
ちを掠って 、藁堆(こうたい)や馬草の
中で思うままに寝る 。それがおれの望
みだ 、四千余石の館も要らない 。伊
達藩宿老の家格も要らない 、自分には
弓と手斧と山刀と 、寝袋があれば充分
だ 。
―― それがいちばんおれに似合って
いる 。
そのほかのものはすべておれに似あわ
しくない 。甲斐は口の中の物を噛むの
を忘れ 、ややしばらく 、どこを見る
ともなく 、ぼんやりと前方を見まもっ
ていた 。
彼はやがて首を振り 、『 ああ 』と
意味のない声をあげ 、そしてまた喰べ
つづけた 。二枚目の薄焼を取りあげた
とき 、うしろのほうで 、鹿のなき声
が聞えた 。 」
引用おわり 。
ひとは 、思うようには 、望むようには 、生きられない
ものらしい 。
「 くびじろ 」の角にかかり 、原田甲斐は負傷する 。
甲斐負傷のことを聞き及んだ 伊達兵部少輔 のコメント
が 、面白い 。仮に 同じ話しを聞かされたとして 、ラ
スボスの 酒井雅楽頭 なら 、甲斐への疑心をいよいよ
募らせるところ 。
引用はじめ 。
「『 船岡の話しは面白かった 』
―― はあ 。
『 あの男が鹿の角にかけられたとい
うのは面白い 、いつもとりすました 、
煮えたか焼けたかわからないあの男が 、
ははは 、ばかなやつだ 』
―― いかにも 。
『 ばかな男だ 、こんど会ったら顔を
見てくれよう 、こともあろうに鹿の
角にかけられるとは 、ははは 』 」
引用おわり 。