今日の「 お気に入り 」は 、先月から読み進めている
本の中から 、備忘のため 、抜き書きした 文章 。
ところどころで 引っ掛かり 、都度 思いが飛ぶので 、
なかなか はかがゆかない 。行きつ 戻りつ 読んでいる 。
山本周五郎著「 ながい坂 」とともに 、若いころ読んで
影響を受けた 本 のひとつで 、書名は「 樅ノ木は残った 」 。
もとは 、1950年代半ばに 、日本経済新聞 に連載され
た新聞小説だそうな 。
今 再読しているのは 、四部構成の電子書籍 。これに慣れ
ると 、活字の小さい 紙の本 は辛くなる 。作家が丹精込めて
書いた本だから 、引用といっても 、コピペ はしない 。
この本をもとに 、数々のドラマが映像化されたが 、得心の
いくものは いまだ ひとつもない 。
引用はじめ 。
「 原田甲斐宗輔は 、自分の居間で手紙を書いて
いた 。彼は百八十センチちかい背丈で 、色の
浅黒い 、温和な顔だちをしている 。濃い眉は
やや尻あがりであるが 、静かな色を湛えた眼は
尻さがりであった 。おもながで 、額が高く 、
その額に三筋の皺があり 、その皺が四十二歳と
いう年齢を示しているようであった 。
甲斐は黙っていると四十五六にみえる 。彼は
あまりものを云わない 、たいていのばあい黙
って 、人にしゃべらせている 。話しをすると
きにも饒舌ではないし 、決定的な表現は殆ん
どしなかった 。彼は稀にしか笑わないし 、そ
れも声をあげて笑うようなことはない 。一文
字なりの 、かなり大きな唇と 、その尻さがり
の穏やかな眼で微笑するくらいであるが 、眼
尻に皺のよる眼のなごやかな色と 、唇のあい
だからみえるまっ白な歯とは 、ひどく人をひ
きつける 。そんなとき彼は 、三十四五にも 、
また 、三十そこそこのようにも若くみえた 。 」
( ´_ゝ`)
「 おもながの 、気品の高い相貌で 、いかにも
政宗の末子らしく 、その眉間には威厳のある
するどさと 、ねばり強い剛毅な性格があらわ
れていた 。甲斐より二つ年下であるが 、見た
ところは甲斐より老けている 。しかし声は細
く 、女性的で 、わかわかしい響きをもって
いた 。 」
「 兵部と雅楽頭の関係は古い 。兵部宗勝は政宗の
第十子で 、母は側室の多田氏であった 。十六歳
のとき父政宗が死んだあと 、兄の忠宗の厄介に
なっていたが 、正保元年 、二十四歳のとき 、
兄にすすめられて江戸へ出て来 、まもなく一万
石の直参大名になった 。直参大名とは譜代と同
格の意味であって 、明くる二年 、従五位下の兵
部少輔に任じ 、同じ四年に立花(左近将監)忠茂
の妹を娶った 。
立花忠茂の夫人なべ姫は 、兵部の兄忠宗の長女
だから 、つまり重縁になったわけであるが 、こ
れらはみな雅楽頭の好意と助言によるものだとい
われた 。」
引用おわり 。
( ´_ゝ`) フー
( ついでながらの
筆者註:これだけ時を経た小説であっても 、誤植と思しき
ものに出くわすのは 、興味深い 。おそらくは 、
作家の原稿から文字起こしをする際の 、ささいな
瑕瑾 。校閲のし洩れか 、敢えて指摘しなかった
忖度 の結果 か ?
気が付いたものを 、二つばかり 。
「 甲斐が起こされたとき 、もう日は昏れて 、
部屋には灯がはいっていた 。彼は知らぬまに
眠った 。その眠りが彼の気力を恢復(かいふ
く)させたようである 。雅楽頭がこの家へあ
らわれたことも 、いまではさして軍荷とは感 重荷?
じられないし 、数日来の心労も軽くなったよ
うであった 。風呂にはいり 、髭を剃り 、着
替えをして出てゆくと 、その座敷には燭台が
並び 、雁屋信助も 、芸人たちもすでにそ
ろって 、酒肴の膳を前に坐っていた 。甲斐
が盃を取ると 、信助が話しだした 。 」
「 『 ではうかがいます 、その証文はどう
いう意味でございましょうか 』甲斐は
杯を置いて 、静かに大和守を見まもっ
た 、『 十年以前 、御側衆であられた
某侯が 、ひそかに同じ趣意の忠告を与
えられました 。僕は三十万石分与とい 侯?
う密約のあることを知って忠告をなさ
れた 、もちろんその証文の他のお一人
は 、天下に並ぶものなき御威勢のある
方です 、しかし 、―― いかに御威勢
並ぶものなき方でも 、六十万石を分割
し 、御自分の縁辺に当る者に三十万石
を分与する 、などということができる
ものでしょうか 』
大和守は屹と歯を噛みしめた 。すると
両の頬の筋肉が動き 、唇が白くなった 。 」
( ´_ゝ`)
引用した文章に出てくる三人 、すなわち
原田甲斐宗輔 ( はらだ かい むねすけ ) 、
伊達兵部少輔宗勝 ( だて ひょうぶ しょうゆう むねかつ ) 、
そして 酒井雅楽頭 ( さかい うたのかみ )
が 、この物語の 主人公 と二人の ヒール ( 悪役 ) 。
酒井侯が 、ラスボス 。ウィキペディアには 、
「 酒井 忠清( さかい ただきよ )は 、江戸時代
前期の譜代大名 。江戸幕府老中 、大老 。上野
厩橋藩の第4代藩主 。雅楽頭系酒井家9代 。
第4代将軍・徳川家綱の治世期に大老となる 。
三河以来の譜代名門酒井氏雅楽頭家嫡流で 、
徳川家康・秀忠・家光の3代に仕えた酒井忠世
の孫にあたる 。下馬将軍 。」
と書かれている 。 ( 邸が 江戸城大手門の 下馬札 近くにあったことから
〈 下馬将軍 〉ともいわれるほど権勢を振るった 、そうな )
因みに 、物語のオーラスで 酒井侯の策謀に
「 待った 」をかける「 大和守 」は 、久世
大和守広之 のこと 。ウィキペディアには 、
「 久世 広之( くぜ ひろゆき )は 、江戸時代
前期の大名 。若年寄 、老中 。下総国関宿藩
主 。関宿藩久世家初代 。武家官位( 名乗り )
は 従四位下大和守 。」
とある 。)