「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2007・10・21

2007-10-21 07:55:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続きです。

 「親子の仲でさえ断絶しているのだから、先祖とは全く関係ないと、漠然と思っている人が多いが、そうだろうか。
 一流会社の若い社員たちは、近くマイカーを買うつもりでいる。ゴルフをするつもりでいる。その細君は、いずれ娘にピアノを、バレエを習わせるつもりでいる。
今日、自動車を買うことは、まず自他の生命に危険である。次いで不経済である。何より往来のさまたげで、はた迷惑だといくら言ってきかせてもきかない。彼は必ず買う。
 団地にピアノを持ちこむのも同じで、うち見たところ、幼児にその才能があろうとは思われない。瓜のつるには茄子はならぬと、いくら遠回しに言ってもきかない。彼女は必ず買う。
 猫も杓子もするゴルフなら、しないほうがいいわけは山ほどあるが、くだくだしいから略す。ただ、駅のホームで尻をひねるのだけはよせ。みっともないと、これまたいくら言ってもきかないのは、これらには、ご先祖の怨みがこもっているからである。
 自家用の車もピアノもゴルフも、戦前から存在した。ただし、昭和初年のマイカー族は、金持か上(うえ)つがたで、しもじもはタキシーを利用するのがせきのやまだった。ゴルフもピアノも同じく金持のものだった。
 だから戦後、月給取にも買える時が到来すると、理も非もない、買わないではいられないのである。
 それでなくて、どうしてカーが、ピアノが、ゴルフがあんなに普及するのだろう。あれは貧しいご先祖の怨みを、今はらしているところだと言えば、私は袋だたきにされる。ご先祖を侮辱するのが最大の侮辱だからだ。けれども、いくら縁を切ったつもりでも、ご先祖はいるのである。ご先祖なんてと笑う人が多いから、何度でも言わせてもらう。
 そのお盆に、迎え火と共に姪夫婦が遊びに来た。生後半年そこそこの赤んぼをつれて来た。私はつくづく見て、この口もとは姪ゆずり、この目つきはその夫うつし、あとは両親、伯父伯母ゆずり――と、そこまでわかったが、それからさきはわからない。見おぼえがあるのに、思いだせない。つまり、今は亡いもろもろのご先祖ゆずりなのである。
 かくて、ご先祖は死なず、こうして赤んぼのなかに出没して、私のなかなる故人とめぐりあう。赤んぼを憎からず思うのはそのせいかと、私は合点したのである。」

   (山本夏彦著「毒言独語」中公文庫 所収)
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