「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

抜く 2007・10・22

2007-10-22 08:40:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、茨木のり子さん(1926-2006)の「抜く」と題した詩一篇。

  抜いたと感じる瞬間がある
  抜こうと思っているわけではないのに
  追いかけているわけでもないのに
  人を抜いたと感じる瞬間の いわんかたなき寂しさ

  父を抜いたと感じてしまった夜
  私は哭いた 寝床のなかで 声をたてずに
  枕はしとど
  父の鼾を隣室に聴きながら

  そういう瞬間を持ってしまう自分が
  おお とても 厭!
  どうみたって その人より 私が
  たちまさるとは真実おもえないのに

  しかし否むことは出来ないのだ
  それは啓示のように
  まるで誰かの居合抜きのように
  見せられてしまう幾つかの断面だった

  いつの日か
  私もまた与えることができるだろうか
  甥や姪らに 年若い友らに
  このような刹那を

  抜いたときには 確かにわかる
  けれど
  抜かれるときには わからないらしいのだな

  

  (思潮社刊「茨木のり子詩集」現代詩文庫 所収)

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