今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「漢字制限論者カナ文字論者が文部省の内外にいて、戦中戦後のごたごたを奇貨としてまずルビ全廃に成功した。ルビのおかげで読めた漢字が読めなくなった。それならその漢字の使用を禁じればいいと、当用漢字を千九百前後に限った。使いたければ、ゆ着捕そくのように書かざるを得なくした。
次いで送仮名を改めること再三再四に及んだ。以前は取締るでよかったものを取り締まると書けと命じた。受付を受け付けと書かせた。小学校では受け付けと書かなければ×である。受け付けと書くなら漢字はいらない。誰しも仮名で書くほうがいいと思う。カナ文字論者の思うつぼである。
何事でも政府案なら反対する新聞が反対しなかったのは、戦前の新聞は総ルビ付だったからである(のちぱらルビ)。ケシ粒大の漢字の全部に仮名を振るのは大仕事である。その全廃に賛成したのは国語のためではない。自分のためで新聞は区々たる自己の利益のために一国の言語を売ったのである。活版の時代はすでに去って今は写真植字の時代である。写植ならルビを振るのはお茶の子だが、誰も振ろうとしない。
ここに哀れをとどめるのは新聞雑誌の校正係で、記者も作家も誰一人立ち居振る舞いなんて書いてないのに、一々直しているのである。その規則は朝令暮改なのに改められるつど従う。
およそ自分が信じてない規則に従って直して終る一生とはいかなる一生であるか。私は気の毒に耐えないのである。新聞雑誌の校閲部が全員立ってストしないのが私にはけげんである。
けれども人の心は怪しいもので、生涯不毛な仕事に従っているとそれに耐えられなくなって、一転して執筆者の文字遣いの旧式また不統一をとがめるようになるのである。とがめて僅かに鬱を散じるようになるのである。」
(山本夏彦著「オーイどこ行くの」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)
「漢字制限論者カナ文字論者が文部省の内外にいて、戦中戦後のごたごたを奇貨としてまずルビ全廃に成功した。ルビのおかげで読めた漢字が読めなくなった。それならその漢字の使用を禁じればいいと、当用漢字を千九百前後に限った。使いたければ、ゆ着捕そくのように書かざるを得なくした。
次いで送仮名を改めること再三再四に及んだ。以前は取締るでよかったものを取り締まると書けと命じた。受付を受け付けと書かせた。小学校では受け付けと書かなければ×である。受け付けと書くなら漢字はいらない。誰しも仮名で書くほうがいいと思う。カナ文字論者の思うつぼである。
何事でも政府案なら反対する新聞が反対しなかったのは、戦前の新聞は総ルビ付だったからである(のちぱらルビ)。ケシ粒大の漢字の全部に仮名を振るのは大仕事である。その全廃に賛成したのは国語のためではない。自分のためで新聞は区々たる自己の利益のために一国の言語を売ったのである。活版の時代はすでに去って今は写真植字の時代である。写植ならルビを振るのはお茶の子だが、誰も振ろうとしない。
ここに哀れをとどめるのは新聞雑誌の校正係で、記者も作家も誰一人立ち居振る舞いなんて書いてないのに、一々直しているのである。その規則は朝令暮改なのに改められるつど従う。
およそ自分が信じてない規則に従って直して終る一生とはいかなる一生であるか。私は気の毒に耐えないのである。新聞雑誌の校閲部が全員立ってストしないのが私にはけげんである。
けれども人の心は怪しいもので、生涯不毛な仕事に従っているとそれに耐えられなくなって、一転して執筆者の文字遣いの旧式また不統一をとがめるようになるのである。とがめて僅かに鬱を散じるようになるのである。」
(山本夏彦著「オーイどこ行くの」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)