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「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

いかなる星のもとにわれ生れけむ 2005・09・30

2005-09-30 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「  囚われの醜鳥(しこどり)
    罪の、凡胎の子
    鎖は地をひく、闇をひく、
    白日の、空しき呪い……

 昭和初年に死んだ文士葛西善蔵(かさいぜんぞう)は、その弟子の嘉村磯多(かむらいそた)にこう口述した。嘉村は怪しんで凡胎の子とは何かと聞いた。それまで寝そべっていた葛西はガバとはね起きて『凡人の胎内から生れ出た、どこの馬の骨とも分らぬ、おれたち下司下郎のことだ』と言い放った。
 そのとき葛西の双眼には、涙に似たものがあったという。どんな男でも顧みてこの思いをしないものはないだろう。
 私は電車のなかで、若いが少しも美しくない女を見ることがある。若くも美しくもない女を見ることがある。その車輛のなかの女が、全部そうであるのを見ることがある。
 そこへ十人並の女が乗りこんで来ると、ちらとあたりを見てその女はひそかに得意である。けれども次の駅でその女よりもう少し美しい女が乗りこむと、今度はその女が得意である。男たちはもう前の女を見ない。さらに次の駅でもう少し美しい女が乗りこむと――きりがないからやめるが、さっきからそれを見ていた若くも美しくもない女たちの胸中はどんなだろう。
 戦後の子は人はみな平等だと教わって育ったから、器量や才能が平等でないことを認めたがらない。だから『星』と言って騒ぐ。星なら舶来だから信じる。かくて星占いに関心のない女はない。それが男に伝染したのが『天中殺』のたぐいだろう。
 いかなる星のもとにわれ生れけむ――という。この嘆きを嘆かないものはない。それかあらぬか易者の前に立つ男女は跡をたたない。」


   (山本夏彦著「やぶから棒」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)
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