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「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

現美人ともと美人 2005・09・19

2005-09-19 05:55:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「私は人間とそれに準ずるものにしか興味をもたない。俗に景を叙して情を述べるというが、私が景を叙すのは情を

 述べるためで、人事に関しない景色なら私は見ない。見れども見えない。その代り人間なら老若男女どんな人でも見る。

 それに準ずる禽獣も、人間と同じレベルで見る。どんな美人も例外ではない。むろん美人として注目するが、べつに

 老若男女の一員として、また禽獣の一員としても見る。

  その目で見ると美人は、現美人ともと美人に分れる。もと美人たちは残念に思っている。もと美人には、若いときは

 さぞかしと察しられる美人と、察しられない美人とがある。顔だちがよかったり姿がよかったりすることによって美人

 だったひとは、二十年たってもその面影があるから、周囲がそれを言ってくれる。

  言われて改めて見れば、いかにもそうだったろうと若者たちにも思われて、うなずくものがあるからもと美人は満足

 するのである。いっぽう今は全くその痕跡をとどめない美人は、水分によって美人だったひとで、このたぐいは水分が

 蒸発してしまうと美人だった面影をとどめない。

  自分がもと美人だったことは、他人が言ってくれて自分が打消して、はじめて体裁がととのうのである。水もしたたる

 というから水分といったが、ホルモンといってもいい。ホルモンがみなぎって、あふれて、美しいひとがある。それは

 男にも女にもあるが、ながくは続かない。せいぜい四、五年である。昭和五十四年現在、私たちはそれを大竹しのぶと

 いう女優に見る。彼女はぴかぴか輝いている。

  以下は一般論で、大竹嬢のことではない。ホルモンによる美人は、その輝きが去ると、、もうだれも彼女が美人だった

 ことを知らない。知っているものは言ってくれない。言っても誰も信じないから言わないのに、意地悪して言ってくれない

 と彼女は思う。たいていの女は、それを忘れようとして忘れるが、忘れかねて若いときの写真をいつも胸に秘蔵している

 老女がある。機会をうかがって見せるのである。見せられた客は、実物と見くらべてあっけにとられ、あとで仲間とざん

 こくな笑いを笑う。けれども、彼女は女のなかの女なのである。それを笑う資格あるものは男にも女にもないのである。

  『欲望という名の電車』という映画は、タイトルの意味がよく分らないのでかえって記憶されている。ヴィヴィアン・

 リーの扮した女主人公はもと美人で、思う男と逢引きするときはいつもきまって夜である。その容色の衰えを見せまいと

 して、暗い席を選んで坐る。あとで男に捨てられるとき、『お前がおれと、いつも夜しか会わなかったわけがわかったよ』

 と女は言われるのである。

  ヴィヴィアン・リーが、いま美人からもと美人に転じたのはいつだったのだろうか。まだ若い彼女の顔の下にひそかに

 老女の顔の準備がととのって、それが表面に出たがって、せめいでいるのを見て監督は彼女を選んだのだろうか。」


   (山本夏彦著「恋に似たもの」文春文庫 所収)








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