今日の「 お気に入り 」は 、内田百閒さん
( 1889 - 1971 )の随筆「 御馳走帖 」( 中公
文庫 )の中から「 列車食堂 」と題した小文 の
一節 。
引用はじめ 。
「 つひこなひだ 、所用があつて 、と云ひ
たい所だが 、用事はなかつたけれど 、大
阪へ行つて来た 。用事のない者は汽車に
乗せないとは云はない様だから 、忙しい
人にまぎれて 、澄まして乗つて行つた 。
用事はなくても 、お金を分別して 、支度
をして出かけたのだから 、どう云ふわけ
で行く気になつたかと云ふ事を考へつめる
事は出来る 。それを強ひて云へば 、暫く
振りで 、汽車ぽつぽに乗りに行つたので
ある 。
さう云ふわけで 、車中もひまで退屈だか
ら 、頻りに食堂へ出入した 。汽車に揺ら
れて腹がへつたわけではなく 、お酒や麦
酒が飲みたいからなので 、だからきまつ
た食堂の時間を避けて食堂車のお邪魔をし
た 。 」
「 初めて特別急行と云ふものが出来て 、一
二等編成の『 富士 』が走り出したのは 、
何年頃の事であつたか 、年代の記憶ははつ
きりしないけれど 、当時の宣伝ポスタアに
紅茶を注いだ紅茶茶碗の絵がかいてあつて 、
特別急行は非常に速いけれど 、揺れないか
らお茶も茶碗の縁をこぼれないと云ふ説明
がついてゐた 。
特別急行『 富士 』には医務室があつて列
車医が乗つてゐるから 、進行中に気分が悪
くなつた人は申し出てくれとか 、列車長と
云ふのもゐると云ふ宣伝であつた 。列車長
と云ふのは後で考へると 、専務車掌の事だ
つた様に思はれる 。腕に列車長と書いたき
れを巻いたのは後まで続いた様だが 、列車
医の方はぢきに姿を消したのではないかと
思ふ 。尤も私がその御厄介になつた事もな
く 、何しろ部外の素人のうろ覚えだから余
りあてにはならない 。
『 富士 』は特別急行と云つても 、それ
からずつと後に出来た超特急『 つばめ 』
程速くはなかつた 。だから『 富士 』の
食堂の紅茶がこぼれなくても当り前かも知
れないが 、昔の『 つばめ 』は今の『 つ
ばめ 』や『 はと 』と同じ速さで走つた
けれど 、食堂車ではソツプを出した 。矢
つ張り線路の所為ではないかと云ふ気がす
る 。」
引用おわり 。
その昔 小学生だった頃 乗った 超特急「つばめ」 は 、大阪・東京間を 、
8時間50分で 、飛ぶように 、走っていた記憶があります 。
近時記憶が飛ぶ頻度が増えて来た 、ような気がする 、今日この頃 、
気のせいばかりじゃないようで 。