「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

だから何なんだ? Long Good-bye 2024・07・29

2024-07-29 05:49:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」 。

  最近読んだ 村上春樹さん ( 1949 -   ) の随筆「 村上朝日堂は

 いかにして鍛えられたか 」( 新潮文庫 )の中に 「 空中浮遊

 はすごく楽しい 」というタイトルの小文がある 。

  その冒頭に こんな一節がある 。

 「 夢というものを普段あまり見ない 。とはいっ
  ても 、学者の説によれば世の中に夢を見ない
  人は一人もいないそうだから 、実際には僕だ
  って人並みに夢を見ているのだろう 。でも朝
  起きたときの僕の頭には夢の記憶がほとんど留
  まっていない 。自慢じゃないけれど僕はもの
  すごく寝つきが良くて 、REM睡眠の泥沼で
  鰻みたいにそのまま朝までこんこんと眠ってし
  まうので 、たとえ夢を見たとしても 、その記
  憶はあたかも砂漠に柄杓で水を撒くようにする
  すると虚無の中に吸い込まれていってしまうら
  しい 。夢としてもせっかく苦労して手を替え
  品を替えカラフルな面白い話を繰り広げている
  のに 、『 朝になったらまったくなんにも覚え
  ていないです 』じゃ立つ瀬がないだろうなと
  いう気がする 。僕だって小説家の端くれだか
  ら 、その気持ちはよくわかる 。申し訳ないと
  も思う 。でも覚えられないものは覚えられな
  いんだからこれはしかたないですよね 。」

  さらに引用を続けると 、

 「 でも空中浮遊の夢だけは例外である 。僕は
  昔からよく空中浮遊の夢を見るし 、この夢だ
  けはどれも不思議なくらい鮮明に覚えている 。
  夢の中では 、空中に浮かぶことはとくに難し
  いことではない 。ぴょんと跳ねてそのまま空
  中に留まっていればいいのだ 。特別な筋肉を
  使うわけでもないし 、精神を集中させるわけ
  でもない 。だからちっとも疲れないし 、い
  つまででも浮かんでいられる 。」

 「 空中に浮かぶといっても 、そんなに上には
  あがらない 。高くあがってせいぜい地上一メ
  ートルくらいである 。理由はわからないが 、
  高いところに上がりたいという気持ちがわい
  てこないのだ 。地上五十センチくらいのとこ
  ろに 、欲も得もなくふわふわと浮いているの
  が 、いちばん妥当な空中浮遊のあり方である
  ように僕は感じる 。」

  筆者もこのパターンの夢を子供のころからよく見ていた記憶

 がある 。ドローンがそこかしこを飛ぶようになってから 、こ

 の十年くらいは見ないが 、以前は定期的に見ていたような気

 がする 。村上さんの空中浮遊と違って 、筆者のは 、両の手を

 目いっぱい左右に広げ 、空高く飛翔する 。鳥のように翼をバ

 タバタと羽ばたかせるわけでもなく 、疲れることもなく 、ス

 ーパーマンのように 、ただ飛ぶのである 。「 地上五十センチ

 くらいのところで 、欲も得もなくふわふわと浮いている」だけ

 で 夢見心地 の 村上さんの空中浮遊 と異なり 、筆者のは 、ひ

 としきり飛んだ後 、自宅(らしきところ)の ベランダ(らし

 きところ)に戻って来るのが 、昔よく見た夢のパターンであ

 る 。

 ( ´_ゝ`)

 「 だから何なんだ? 」って話なんですけれど

 ( ´_ゝ`)

  夢の権威は 「 バーッと上がる夢を見るのは 、子供なんです

 わ 。大人はまず見ません 。 」とおっしゃられているそうだ 。

 してみると 、六十歳になっても 空高く飛ぶ夢をみていた筆者

 は 、アダルトチルドレン ? こんな言葉を流行らせた人  、昔

 いらっしゃいましたっけ 。

 

コメント
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