「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

おからでシヤムパン Long Good-bye 2024・07・08

2024-07-08 05:39:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、また 内田百閒さん

 ( 1889 - 1971 )の随筆「 御馳走帖 」( 中公

 文庫 )の中から「 おからでシヤムパン 」と題

 した小文 の一節 。シヤムパン は 、シャンパン 

 のこと 。かつては シャンペン と呼ばれていた

 ような気もする 。漢字表記だと 三鞭酒 だとか 。

  引用はじめ 。

 「 お膳の上に 、小鉢に盛つたおからとシヤム
  パンが出てゐる 。
   シヤムパンはもう栓が抜いてある 。抜く時
  は例のピストルの様な音がして 、抜けた途
  端にキルクの胴がふくれるから 、もう一度
  壜の口へ差し込む事は出来ない 。だからあ
  らかじめ代りの栓を用意して 、杯と杯の間
  はその栓で気が抜けない様にする 。さう一
  どきに 、立て続けに飲んでしまふわけには
  行かない 。
   お勝手で家の者がごとごと何かやつてゐる
  が 、お膳の前は私一人である 。だれも相手
  はゐない 。猫もゐない 。尤も猫がゐたとし
  ても 、お膳の上がおからでは興味がないか
  ら 、どこかへ行つてしまふだらう 。
   相手がゐなくても 、酒興に事は欠かない 。
  コツプを二三度取り上げる内に 、すつかり
  面白くなつて来るから面白い 。頭の中がひ
  どく饒舌で 、次から次へといろんな事がつ
  ながつたり 、走つたり 、不意に今までの
  筋からそれたり 、それたなり元へ戻らなか
  つたり 、そこから又別の方へ辷つたり 、
  実に応接にいとま無しと云ふ情態になる 。
  傍にだれもゐない方が面白い 。
   シヤムパンの肴におからを食べる 。
   おからは豚の飼料である 。豚の上前をは
  ねてお膳の御馳走にするのだから 、いつ
  でも食べたい時に買ひに行けばあると云ふ
  物ではない 。少し遅くなると 、もうみん
  な豚の所へ持つて行つてしまつて 、豆腐
  屋の店にはなくなつてゐる 。その以前に
  馳けつけて 、少少お裾分けを願ふ 。
   おからは安い 。十円買ふと多過ぎて 、
  小人数の私の所では食べ切れないので 、
  この頃は五円づつ買つて来る 。
   五円のおからでも 、食べ切るには三晩か
  四晩かかる 。
   冷蔵庫から取り出したのを暖めなほした
  のよりは 、矢張り作り立ての方がうまい  。」

 「 盛つた小鉢から手許の小皿に取り分け 、
  匙の背中でぐいぐい押して押さへて 、固
  い小山に盛り上げる 。おからをこぼすと
  長者になれぬと云ふから 、気をつけてし
  やくるのだが 、どうしても少しはこぼれ
  る 。その所為か 、いまだにいろいろとお
  金に困る 。
   小皿のおからの山の上から 、レモンを搾
  てその汁を沁ませる 。おからは安いが 、
  レモンは高い 。この節は一つ九十円もす
  る 。尤も一どきに一顆まるごと搾つてし
  まふわけではない 。
   酢をかける所をレモンで贅沢する 。それ
  でおからの味は調つてゐるが 、醤油は初
  めから全く用ゐない 。だからおからの色
  は真白で 、見た目がすがすがしく 、美し
  い 。
   私は食べてよろこんで賞味する方の係で 、
  作る側の手間 、手順 、面倒は関知する所
  でないが 、大分骨が折れる様である  。」

 「 お膳の上のおからに戻り 、箸の先で山を
  崩して口に運ぶ 。山は固く押さへてある
  から 、箸の先に纏まつた侭で 、ぼろぼろ
  こぼれたりはしない 。又レモンの汁が沁
  みてゐるので 、おからの口ざはりもぱさ
  ぱさではないが 、その後をシヤムパンが
  追つ掛けて咽へ流れる具合は大変よろしい 。
   そろそろ頭の中が忙しくなるにつれ 、そ
  もそも豚は人の余り物を食ふ立ち場にゐる
  筈なのに 、今はかうしてそのお初穂を私
  のお膳に割愛してくれた 、と考へた 。更
  に溯れば 、おからは人間が食ふ豆腐のかす
  の余り物かも知れないが 、豚は豆腐とおか
  らとどつちを選ぶだらう 。私が豚だつたら 、
  おからの方をいただく 。さうだらう 、豚
  諸君 、おからの方がうまいね 。おからの
  成分は豆の皮であり 、何物によらず皮の
  すぐ裏側はうまいにきまつてゐる 。」

 「 郷里の町外れの土手道に 、五右衛門をゆ
  でる様な大きな釜を据ゑ 、しじみを一ぱ
  い入れてぐらぐら煮立てた 。
   いいにほひがするので起ち止まつて見て
  ゐると 、その内に釜の中へ棒を突つ込み 、
  煮上がつた蜆を引つ搔き廻して 、貝と中
  身を別別に離した 。
   同じ事を何度も繰り返してゐるのだらう 。
  すでに身と貝殻とを別別にしたのが道ばた
  に積んである 。
   それでどうするのかと思ふと 、うまさう
  な剥き身を空俵に詰め込み 、豚の飼料に
  するのだと云ふ 。
   勿体ないと思つたが 、中身は余り物であ
  つて 、いらないから豚にやる 。いるのは
  殻の方で 、近くに出来たセメント工場に
  殻を売るのが目的であつた 。豚のおから
  の上前をはねる様に 、しじみの剥き身の
  上前を失敬して来ればよかつたが 、昔の
  話で残念ながら間に合はない 。 」

  引用おわり 。

  セメントに蜆の貝殻を混ぜて 、石灰の嵩を増したんだろうか 。

  初耳だ 。

  昨晩は 、七夕の夕べ 。大河ドラマも中休みで 、テレビは開票

 速報などやっている 。人は やらなくてもいいことばかりやって 、

 やらなくちゃいけないことを 、どうしておろそかにするんだろ 。

  毎日通ってる高齢者施設の共有スペースの小さいセンター・テー

 ブルの上に 、小さなプラスティック水槽が置いてある 。その中に

 「 ツノガエル 」が鎮座ましましている 。めったなことでは び

 くとも動かない 不思議な小動物 。水とわずかな食べ物だけで 、

 じっと 静かに 忍耐強く 生きている 。見習いたいものだ 。

 「 ベルツノガエル 」という種類の 南米にルーツを持つ両生類で

 あるらしい 。たまに動き 、啼き声もあげるとか 。長く生きる

 と不思議なものを見ることができる 。二十分ばかり見つめてい

 たら 、何かの拍子に 一瞬 びくっと動いた 。施設の職員は啼き声

 を聞いたこともあるという 。なぜか「 エリザベス 」と名付けら

 れた この ツノガエル 、啼いたからには オス に違いない 。

  深夜の高齢者施設に響くメスを呼ぶオス蛙の啼き声 、思うだに

 孤独で シュールな風景 。夜勤の職員は さぞや 肝を潰したこと

 だろう 。

  南米 ベネズエラ の 首都カラカス の 夏の夕べ 、小鳥のように

 涼やか「 ピー 、ピー 」と啼く カエル の声を思い出した 。

  30年以上前の 音 の記憶 。 日本の河鹿蛙🐸とは違う 、もっ

 と高い 、澄んだ声だった 。

 ( ´_ゝ`)

 ( ついでながらの

   筆者註:「 ベルツノガエル( Ceratophrys ornata )は 、

        両生綱無尾目 Ceratophryidae科 ツノガエル属

        に分類されるカエル 。 」

       「 エリサベト(ヘブライ語 : אֱלִישֶׁבַע / אֱלִישָׁבַע‎ /ギリシ

        ア語 : Ἐλισάβετ / ラテン語: Elisabeth / 英語 : Elizabeth ,

        Elisabeth /ドイツ語 : Elisabet, Elisabeth /ロシア語 :

        Елисавета)は 、新約聖書の登場人物で 、洗礼者ヨハネ

        の母 。名前は ヘブライ語名 エリシェバ (Elišéva)が

        ギリシア語に転訛したもので 、エリザベス(英語)、

        エリザベート、エリーザベト( 教会ラテン語 、フランス

        語 、ドイツ語など )といったキリスト教圏でポピュラー

        な女性名の由来である 。エリシェバのエリはヘブライ語

        で『 わが神 』、シェバ は『 誓い 』『 維持 』を意味し 、

        エリシェバとは『 わが神はわが誓い 』『 わが神はわが

        支え 』という意味になる 。」

       以上ウィキ情報 。) 

 

 

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