今日の「 お気に入り 」 。備忘の為の抜き書き 。
ラテン語の「 悪い言葉 」ほか 。
ラテン語を公用語として採用している国は「 バチカン市国 」のみらしい 。
バチカンでは 、どなたが「 Mentula es ! 」「 Stultus es ! 」と仰るのかしらん 。
引用はじめ 。
「 Sane ineptus es ! サネ・インエプトゥス・エス お前は本当にバカだ !
Abi pedicatum ! アビ・ペディカトゥム クタバレ !
Mentula es ! メントゥラ・エス FUCK !
Stultus es ! ストゥルトゥス・エス バカ野郎 !
Sane coleus es ! サネ・コレウス・エス ふざけるな !
Sacer esto ! サチェル・エスト 呪ってやる ! 」
(* ̄- ̄)
「 Tempus fugit , amor manet .
テンプス・フジト 、 アモル・マネト
時が去ろうとも 、愛は残る 。 」
( ´_ゝ`)
「 空を飛ぶ鳥をご覧なさい 。鳩も雀もひばりも 、みなそれぞれの羽ばたき方
で空を飛んでいるのです 。人間だって 、同世代だからといってみなが同じ
ことをしているわけではありません 。
ひとりひとり皆それぞれの歩幅があり 、それぞれの羽ばたき方があります 。
あなたは我が道を進めばいいだけです 。大切なのは 、『 昨日の自分よりも
成長すること 』です 。そして 、自分の歩くスピードや動きを少しずつ把握
していくことです 。
学びとは 、頭の中を知識で満たすことではなく 、自分だけの歩き方や動き方
を学ぶことではないかと私は考えています 。では私たちが今日 、人生という学
校で学ぶべき歩みとは何でしょうか? どんな行動と羽ばたき方を学ぶべきで
しょうか? 」
「 In omnibus requiem quaesivi , et nusquam inveni nisi in Angulo cum libro .
私は世の至るところで安らぎを求めたが 、どこにも見当たらなかった 。
ただ 、部屋の片隅で書物とともにいるときを除いては 。
―― トマス・ア・ケンピス ( Thomas a Kempis , 1380 – 1471 ) 、
ドイツの修道者 、神秘思想家 」
( ´_ゝ`)
「 Post coitum omne animal triste est.
ポスト・コイトゥム・オムネ・アニマル・トリステ・エスト
すべての動物は性交後にゆううつになる 。 」 ・・・ omne は言い過ぎ 、ホモサピエンスの半分くらいにしか当てはまらないらしい
「 最後の『 エスト est 』を説明する前に 、私は学生たちに 、
この est だけは必ず覚えなさいと伝えています 。
est は 、英語の動詞でいうところの “ is ” だからです 。
つまり 、英語のbe動詞だと思えばよいでしょう 。私たち
は 、日常的に est の動詞原形をよく目にしています 。韓国
で人気のタバコの銘柄で親しまれている『 エッセ ESSE 』
とは 、まさに est の動詞原形です 。 」
「 『 期待した瞬間 』が過ぎ去ると 、人間は絶望する 。 」
「 この名句は 、ギリシャ出身の医師・哲学者である
クラウディウス・ガレヌス ( Claudius Galenus 、129 〜 199
※ 201年や217年死亡説もあり )の言葉です 。
ガレヌスはローマ時代の剣闘士 gladiator の外傷治療専門医
だったとも言われています 。そんな彼が残したこの一文は 、
法医学のみならず宗教学でも引用されるのですが 、その意図は 『 大
きく期待した瞬間が過ぎ去った後に 、人は 、自分の力ではどうにも
できないもっと大きな何かを逃したような虚しさを感じるものだ 』と
いうものです 。 」
( 出典:ハン・ドンイル著「 教養としての『 ラテン語の授業 』
―― 古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流 」
本村凌二監訳、岡崎暢子訳 ダイヤモンド社刊 所収 )
引用おわり 。