「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・07・27

2013-07-27 14:50:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、佐野洋子さん(1938-2010)のエッセー「死ぬ気まんまん」より。

 「 死ぬことが間近になったら、死んだらお金はかからないということに気がついた。

  部屋をぐるりと見わたすと、全部買ったものばかりである。茶碗から箪笥、横に壁が見えた

  から家も買ったのである。

   もらった花が不思議なバラ色をして暗く咲いているが、これもくれた人が買ったのである。

  私はぎょっとした。私は金のためにずーっと働いていたのだ。

  すべての時代貧乏で、コロッケ一ヶを半分ずつ食べたが、コロッケも五円だった。買いに

  行く時はいていたつっかけも買ったのだ。

   私は一生どれくらい金をつかい稼いだのだろうと思うと、当り前のことは不気味でうす気

 味悪いことだった。

  私の周りの人も皆働いているが、趣味でお金はいりません、と働いている人はいない。

   私は自由業で年金がないから、九十まで生きたらどうしようと思ってチビチビ貯金をして

  いた。国民年金もないのである。十年くらい前、社会保険庁に行って、けんかをして、

 『そんなものいらんわ』とけつをまくっちゃったのである。けつをまくったわけは、窓口の

  男がくさっていたからである。あゝ窓口がくさっているってことは、この組織全体がくさ

  っているとわかった。私は卒業した時から自由業だったから、国民年金は払っていたので

  ある。

   窓口の男は、私が領収書を一枚持っていったら、二十年前の分全部領収書を持って来いと

  言う。二十年分はコンピューターに入っているが、それ以前のは領収書を持って来なくち

  ゃだめだと言った。

 (その時、そちらにも控えがあるはずだと何で言わなかったのか、自分でもわからない。)

  そしてその男は言ったのだ。明らかにバカにした態度で腰をひねって、そこに腕を置き

 『全部もらったって、たいしたことないよ』

  私は許さない。お前は公務員だから何十万ももらうのだろう。それは私らが納めた税金

  だろが。

  そして今の騒ぎである。ホラネ、あの時からそれ以前から、くさっていたのだよ。

  浮いた年金の中に私のも浮いていると思うと、社会に参加している気がして晴れがまし

  い。

   チビチビ貯金も死ねばいらないのである。

   ガンが再発して骨に転移した時、お医者は、死ぬまでに治療費と終末介護代含めて一千

  万円くらいだろうと言ってくれた。

   ほぼ七十歳くらいで、私は金がかからなくなるはずである。

   私は抗ガン剤は拒否した。あの全く死んだと同じくらい気分の悪い一年は、そのために

  一年延命しても、気分の悪い一年の方が苦しいのである。もったいない。そうでなくて

  も老人につき進むのは身障者につき進むことである。

   七十前後はちょうどよい年齢である。まだ何とか働け、まだ何とか自分で自分の始末は

  できる。

   私はとてもいい子で生きて来たにちがいない。神様も仏様もいるのである。そしてちゃ

  んと私に目を留めてくれたのだ。」

(佐野洋子著「死ぬ気まんまん」光文社刊 所収)


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