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日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

あけましておめでとうございます

2019年01月04日 | 雑感日記
新年、あらたまって何か書くようなブログでもないし、果たして定期的に読んでくれている人がいらっしゃるのか、はなはだ心許くもある。ただキーボードを打つ口実として、年に一度のこの機会を乱用してみようか、などと。

「新年の誓いは無意味」みたいな一節を、とあるカジュアルな自己啓発系の本で目にした。それはその通りだと思う。「新年の」「今期の」みたいな時期に寄りかかった宣言って、それ自体が自己充足的な性格を伴っている気がする。ある意味、「誓いを立てる仕事」みたいな面が。そういえば中学生の頃、夏休み前に一日の計画を立てて先生に見せるのだが、「お前のは計画のための計画で実現性がない」みたいなことを言われたなぁ。もうあまり覚えていないけれど、お前は合格ラインギリギリの難関校受験生かというくらい、無理矢理勉強の時間を詰め込んでいた。全然やらなかったけど。

さっき「カジュアルな自己啓発」と書いたけど、最近の流行として語り口はマイルドで大きなことを目指さない、少しだけ自分の生活の質を上げていこうというようなジャンルが増えているのだろうか。なんか「あなたにも無理なくできるダイエット」みたいですね。

生き方に上手い下手があれば、自分はかなり低レベルな気がしていて、こういったノウハウが気になるタイプのくせに、なんか違和感が捨てきれない。ま、見苦しいというか、潔くないというか、それをエライとか思ってはいないが、なんか「効率」という物差しをもってこられるのが苦手なようだ。結局のところ、自分がいかにシステムにフィットするか、という視点を脱しきれていない気がする。

まあそれは、昔のあの手の本には根性論や無茶苦茶な夢物語を駆動力とするものが多かったので、その反動というか、反省という流れもあるのだろう。でも「飽きる」という機能を考えると、また妙な精神論が跋扈しそうな気配もあって、ちょいと気になる今日この頃。

ほどほど、って難しい。それがもっとも大人な態度じゃないんだろうか。とりあえず今年は、大人のほどほどを目指します、と言ってみたりする。
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