先週末の旅行、
空港と街との間はバスで移動した。
旅自体は、とても素晴らしかった!
でも書こうとしているのは、
その話ではないのですよ。
街が素晴らしかったぶん、
移動中の郊外の風景が、
よそ者には寂しく見えた。
町として放置されたような、
地方の幹線通り沿い。
どんなに道路がきれいでも、
その伽藍堂な空気は重い。
どんな設備を作っても空しいだけだ。
ファンシーな喫茶店など、以ての他。
痛々しくて、見ていられない。
でも、唯一、これなら大丈夫と思った。
何の変哲もない、ラーメン屋さん。
決して今どきの「こだわり原理主義」ではなく、
取り柄は量の多さ、みたいな感じがいい。
アメリカのど真ん中で出くわす
無神経なダイナーのように(行ったことないけど)、
武骨なラーメン屋だけが、
終わってしまった、というか始まってもいない
町に根を生やすことができる。
なんていうか、孤独の最後の砦。
だから僕たち日本人は、
ラーメンが好きなのかもしれない。
たぶん食べてる間は、寂しくないのだ。
空港と街との間はバスで移動した。
旅自体は、とても素晴らしかった!
でも書こうとしているのは、
その話ではないのですよ。
街が素晴らしかったぶん、
移動中の郊外の風景が、
よそ者には寂しく見えた。
町として放置されたような、
地方の幹線通り沿い。
どんなに道路がきれいでも、
その伽藍堂な空気は重い。
どんな設備を作っても空しいだけだ。
ファンシーな喫茶店など、以ての他。
痛々しくて、見ていられない。
でも、唯一、これなら大丈夫と思った。
何の変哲もない、ラーメン屋さん。
決して今どきの「こだわり原理主義」ではなく、
取り柄は量の多さ、みたいな感じがいい。
アメリカのど真ん中で出くわす
無神経なダイナーのように(行ったことないけど)、
武骨なラーメン屋だけが、
終わってしまった、というか始まってもいない
町に根を生やすことができる。
なんていうか、孤独の最後の砦。
だから僕たち日本人は、
ラーメンが好きなのかもしれない。
たぶん食べてる間は、寂しくないのだ。