言葉遊び的考察ではあるけれど、「あんなこと言われたら引くわー」とかの「引く」と
「○○推し」の「推し」の心理的な背景は近いんじゃないだろうか。
「推し≒押し」という前提で考えると、今の時代は「好き/嫌い」ではなく
「押す/引く」という距離感の取り方が好まれているように感じるのだ。
その違いは、前者(好き/嫌い)という感情がある程度のコミットメントを伴う一方で、
後者(押す/引く)は第三者的な立ち位置を維持できことだ。
感情を発露するシステムとして「コスパ」が良いというか。
ただこれ、良し悪しとかではなく、変化への観察として捉えたい。
そういうあり方を要請している世の中への対応であり、
これもまた「生存戦略」のひとつではないだろうか。
そして今の疑問は、「推し」を極めると「好き」になるのか、ということ。
おっと、宇佐美りんさんの『推し、燃ゆ』をまだ読んでなかったぜ。
「○○推し」の「推し」の心理的な背景は近いんじゃないだろうか。
「推し≒押し」という前提で考えると、今の時代は「好き/嫌い」ではなく
「押す/引く」という距離感の取り方が好まれているように感じるのだ。
その違いは、前者(好き/嫌い)という感情がある程度のコミットメントを伴う一方で、
後者(押す/引く)は第三者的な立ち位置を維持できことだ。
感情を発露するシステムとして「コスパ」が良いというか。
ただこれ、良し悪しとかではなく、変化への観察として捉えたい。
そういうあり方を要請している世の中への対応であり、
これもまた「生存戦略」のひとつではないだろうか。
そして今の疑問は、「推し」を極めると「好き」になるのか、ということ。
おっと、宇佐美りんさんの『推し、燃ゆ』をまだ読んでなかったぜ。