TRASHBOX

日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

CICADA(シカーダ)@広尾

2010年01月29日 | 食べたり飲んだり

写真がないのが残念ですが、まあお洒落で居心地のいいお店でした。
料理は地中海風、というかタパス的にいろいろと頼めます。
ワインもいろいろ楽しいですが、ここはTYハーバー・ブリュワリーの
グループなので、美味しいエールビールもいただけます。
(どちらもTYエクスプレスという寺田倉庫系の会社の経営)

上手だなと思ったのは、窓が大きくて解放感がある室内に、暗めの照明。
同席のメンバーとリラックスしつつ親密な雰囲気を作れるバランス感は、
日本のお店では珍しい気がする(そんなに知ってる訳じゃないけど)。

いわゆる飲食ビジネス企業が展開するレストランには興味がないのだが、
(ああいう会社の経営者、何故あんな雰囲気?とかは気になるけど)
ここを見ると、他のお店も気になるなぁ。ちょっと暖かくなったら
湾岸あたりに行ってみようかしら。場所などはこちらを。

アメリカの鱒釣り/リチャード・ブローティガン

2010年01月28日 | 読書とか
アメリカの鱒釣り (新潮文庫)
リチャード ブローティガン
新潮社

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期待を持ってページをめくり、残念な気持ちとともに本を閉じる。
……なんだかそんな感じの読書になりました。
もともとは僕の「知ってるくせに読んでない」シリーズの一冊、
高橋源一郎氏と柴田元幸氏の翻訳(藤本和子氏)への絶賛を読んで、
背中を押されて手に取ったのですが。

「アメリカのます釣り」(Trout Fishing in America)の意味するところ
―ある種の人物像なのか、何かの象徴なのか―がよく掴めなかった僕には、
繰り出される「シュール」な言葉は、でたらめに打ち出される音符のように
空気のなかに消えていくだけで、メロディーやリズムを残してくれなかった。

もちろん、いくつかの話はなかなかご機嫌な狂いっぷりで、『砂場から
ジョン・ディリンジャーをひくとなにが残る?』とかは、割と好きでした。

「書き手の自己満足」とは思わないし、意味ありげな余韻は残っている。
「わかるか、わからないか」でいえば、わからない。でも「楽しいか
そうでないか」では割り切れない、不可解な印象が後を引いています。


決して「これが分からないのは云々」みたいな権威的アカデミズムを
を気にしている訳でもないし、「わかんないのがクール」みたいな
アホではないし(と思う)、なんとも割り切れない読後感なのです。

そのくせ、巻末の柴田元幸のコメントを読むと、妙にわくわくさせられたり。
たとえば、こんな一節。

『作品を意味に還元するよりも、まずは一行一行の奇想ぶり、変化に富んだ
語り口の面白さ、その背後に見える憂鬱などに耽溺するよう誘ってくれて
いるように思える小説に出会って、ものすごい解放感を感じたのだった』

また、訳者の藤本和子氏の書評へのコメントも、なかなか。

『ブローティガン的幻想のみならず、すべての幻想の効用と必然性が
あざやかに説かれている。見事というほかない』

なんなんだろう、この感じって?

ある知人の男性、そのエピソードや、傍での会話を聞いている分には
なかなか洒落た面白い、そして人間的にもナイスな存在なのだけど、
いざバーで隣り合ったりすると、なんとも話が噛み合ない。
ちょっとした季節の節目での挨拶や贈り物では、そのセンスの良さに
感服したりするのだけど、顔を合わせても言葉が流れない。
そんな感覚をちょっと思いだしました。

読み手としての力がないのか、あるいは単に合わないのか、
ま、両方あるのかもしれません。ちょっと微妙な迷いとともに、
いつか読み返してみたい気がする一冊でした。

ミート・ザ・ビート/羽田 圭介

2010年01月26日 | 読書とか

今回の芥川賞候補作のひとつ……正直しんどかった。
舞台の空気感に、最後まで馴染めなかった気がする。
携帯小説のプラットフォームで書かれた純文学、みたいな印象。
物語る力は、とてもある著者だと思うのだけど。
「黒冷水」の青臭い冷たさみたいな、異質物の輝きみたいなものが、
僕には感じることができませんでした。うーん。



文学界 2009年 12月号 [雑誌]

文藝春秋

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魚や粋の魚介カレー@築地

2010年01月25日 | 食べたり飲んだり

築地のビル1階、知るひとぞ知る(ずいぶん増えたけど)このお店
今度は地下にカレー部門が進出です。その「魚介カレー」と聞けば、
素通りする訳にはいきません、ということで早速。

で、美味しいです、確かに。ルーというよりもスープと呼びたい感じの
繊細な味作りに、その日の魚や野菜のトッピングをくわえて、ちょっと
贅沢な味覚が楽しめます。でも……なんか気になるところも。

上質の素材で丁寧に仕上げた仕事ぶり。そこに間違いはないと思います。
「築地の魚介カレー」という基準はクリアしていますが、それを超えた
「昼飯」としての存在感を持ちえているか。その辺、ちょっと育ちのいい
新入社員のような頼りなさも感じてしまうのです。

えーい、たかがカレーでつべこべ言うんじゃねぇ!とお感じの貴兄、
そう、たかがカレーという覚悟があるか、そういう感じなんですよ。
カレーに欲しいのは「美味しい」でなく「旨い」と言わせられること。
例えば、ちょっと魚臭くてもOKではないか、とか。素材の良さを
活かしながらも突き抜けた味、食べてみたいなぁ。


老人賭博/松尾スズキ

2010年01月23日 | 読書とか
老人賭博
松尾 スズキ
文藝春秋

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松尾ワールドについては無知蒙昧な俺だが、これは面白く読んだ。
登場人物のキャラクタ―は、わざとらしいのに動きがリアル。
話の展開も、うすうす読めてはいるのにぐいっと引き込まれる。
気づいたら騙されてたけど、まあいいか、楽しませてもらったし……
そんな巧みな詐欺のような印象が残った。あ、これ褒め言葉です。

で、もし気になるところがあるとするならば、前半と後半での
主人公「ボク」の役割というか立ち位置の違いみたいなことだろうか。
後半は活発に暴れる各人に譲ったのだろうか、ようやく「ボク」に
感情移入できるようになったのに、今度は脇に立って語りはじめる。
なんていうか、よく似た別のお話のように感じたというか。
でもそれって、物語が自分で動いているってことなんだろうか。
ともかくノンストップな吸引力は、ダイソン級ではありました。

ところで芥川賞選考委員のコメント「弱者の失敗を笑うタイプの小説。
安全な場所にいる語り手に倫理的に嫌な部分が残る」というのは、
俺に言わせりゃ的外れだ。この発言者が、賭けの対象にされている
小関老人を「弱者」と見ているのなら、それこそ安全な場所からの差別。
皆、賭けて賭けられて自分の居場所を探しているのだよ、先生方。