TRASHBOX

日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

1492年のマリア/元祖AIとエロティシズム

2017年05月23日 | 読書とか
舞台は1490年のスペイン。セニョール・クリストバル・コロン、今は一般にはコロンブスの名で知られる男が新大陸を目指して策を巡らせていた時代だ。物語の重要なモチーフとして登場するライムンドゥス・ルルスや、その発明になる「円盤機械」の下りを読んでいて、これはAIのメタファーに違いない、と興奮していたら、あっさり後書きに記述があった……。ま、著者の背景を知る読者なら、皆んなそう感じても不思議はないよな、と最後は平熱に戻って本を閉じた。

でも、そんなことは関係なく、読ませてくれる一冊だ。著者の小説は、いわゆる文化人や知識人が試みとして書く「小説なるもの」とは全く違って、きちんと自分の足で立っている物語だ。西垣氏は、ある意味では「二刀流」なのかもしれない。ちょっと興味深かったのが、小説の本筋とはあまり関係ないけれど、時折スパイス的に描かれるセクシァルな描写。例えばルルスらの道中、廃墟となった街で出会った女や、ヒロインのマリアが意中の恋人アロンソを救うため、欲望の渦が巻いた男の視線を受ける様子など、なかなか「エロい」描写が文学的に成立している。これ、結構物書きとしては難しいことで、食と色をきちんと書ける力量のない作家は多い。例えば誰とは言わないが「ウルトラ・ダラー(って言ってるのと同じだ……)」の中のその手の描写は、いやー、読んでて赤面しちゃいました。

話を戻すと(何から?)、「普遍」という視点への考察や、冒頭で述べたAIが象徴する人間の知性に対する思いは、著者にとって重要なテーマのはずだ。それを小説というフォーマットに定着させる力は素晴らしい。ただ欲を言えば、もうひと膨らみがあれば……それはもしかしたら、脇役(といいつつ相当重要な位置にいるが)のロドリゴ・サンチェスや、周囲の人物の厚みと遊び(ハンドルの遊び、と同じニュアンスで)にかかってるのかもしれない。言ってみれば、計算式が向かう道筋とは異なる脇道が見せる世界観だろうか。こうなると「サイバーペット」も読んでおきたいなぁ。
1492年のマリア
西垣通
講談社

コズミック・マインド/最高の知性が持つセンチメンタリズム

2017年05月14日 | 読書とか

実はこの小説を読もうと思ったのは、著者の西垣通氏への関心からだった。西垣氏は、日本のコンピューターサイエンスの黎明期から第一線で活躍されている方だ。東京大学の教授等を経て現職は東京経済大学の教授。現在も、AIなど最新のテクノロジーについての鋭く、そして思索に富んだ論を発表されている。氏のシンギュラリティについての懐疑的な視点などに疑問を呈する見解もあるが、科学だけではなく哲学的な視点(フランスへの留学もされている)を併せ持ったその知性は、間違いなく日本の高みに立つひとりと言っていいはずだ。

主人公の朽木庸三は優秀なエンジニアで、出向先の地銀でシステム構築のプロジェクトリーダーとして活躍していたが、その大手銀行との合併によるシステム見直しのあおりを受け、別の小さな事業所に配置転換された。実質、左遷に近い待遇だ。そしてその理由は、文脈上社内政治的なものであると言えるだろう。

ちょっと地味に驚いたのだが、主人公の寂しげな日常の描写は、切々としていてリアルだ。子供は独立し、妻に先立たれた定年間際の男が、夕食にいつも近所のコンビニ弁当を食べる姿など、著者自身の華々しいキャリアとの落差が大きい。もちろん作家として筆をとる、あるいはキーボードに向かう以上、そこは驚くポイントではないのだが。全体を通じ、タッチとしては硬質だが、同時に必要な情感を併せ持った氏の文章は、著者の背景を必要としない自立した「文学」にほかならない。

ちなみに氏のご尊父は俳人で明治大学教授でもあった西垣脩氏で、どこかで通氏本人も書かれていたと思うが、「文系の家系の出身」でもある。

ストーリー自体は、このシステム見直しに関する不可解な出来事を軸とする、ある種のミステリー構造。「技術者の覚悟と矜持」という言葉が心に残った。著者は、ややもすると技術の進展が忘れがちな、人間性という価値を問うているのではないか。


コズミック・マインド
西垣通
岩波書店