TRASHBOX

日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

川嶋敗れる!―WBCスーパーフライ級暫定王座決定戦

2006年09月18日 | 格闘のお時間
「負けたら引退」―こう宣言して試合に臨んだ川嶋選手。その覚悟には敬意を表するが、どうもこの種のコメントに俺は危なっかしさを感じてしまう。かつて第一線を退いていた猪木が坂口と組んでのタッグマッチに臨んで、勝算の低さを懸念するレポーターに対して「試合する前から負けることを考える奴がいるか!」と一喝したことがあったが、勝負においてはそれが正解だと思う。侍の魂を引き合いに出し、またトランクスにもその文字を入れていた川嶋だが、侍が負けるときは死ぬときで、そこには引退というチョイスはない。

その辺は川嶋の(というかある種日本人選手に共通する)生真面目さ、一本気なところの表れなのかもしれない。その一本気が2ラウンド目のダウン後の大振りにつながったのだろうか。ミハレスのダメージを考えれば、相手を見ながらじっくり仕留めることもできたのにと残念でならない。

いい試合でした―解説のガッツ石松のコメント通りだと思う。しかしプロのファイターは「いい試合」をするだけでは十分ではないし、一瞬見えた勝機をものにできなかったという点では批判(純粋にボクシング上での)もあるだろう。後半のパンチは、疲れも出てきたのか一発狙いの強打ばかりで当たる気配もなかった。

それでも俺は、最後まで川嶋を応援せずにはいられなかった。声をあげながら打つパンチはかなり流れ始めていたが、彼の執念は真っ直ぐとどいてきた。試合後の川嶋は、戦前のコメントどおり引退を表明。彼の試合を見たのはテレビで2、3戦ほどだけど、熱いボクサーだったと思う。ともかくは、お疲れさまでした。

途方に暮れて、人生論 / 保坂和志

2006年09月16日 | 読書とか
俺は「ポジティブ思考」や「前向きな姿勢」という言葉に、どこか人に尻を叩かれているような違和感を覚えてしまう。その奥に「そうでない者は脱落者である」というささやきが聞こえる気がして、結局は誰の意志の押しつけなんじゃないか、というような。

「いまここにいること」を肯定する、まったく新しい人生論―これはこの本の帯の文句である。「ポジティブ」という点でとらえればこれほどポジティブな本はない。しかしそれは人生に希望を持ち日々切磋琢磨する、といったタイプのポジティブさではなく、「ありのままを肯定するために、その意味を徹底的に考える」というプロセスの上に成り立っているものだ。世間的ポジティブにどこか思考停止の匂いがするのと正反対に、そんなこと考えても意味ないじゃん、というぐらい執拗に。

だからトピックのいくつはなかなか消化しがたく、哲学の解説書を読んでいるような気分になることもある。しかし著者の具体的な経験からポツリポツリと語られる事柄はじわりと沁みてくる。

たとえば、少ない仕送りとバイトで暮らしながら、大学院で平安朝の文学を研究している女子学生の話。(正確には彼女を取材したテレビ番組を見て、という内容なのだが)レポーターに「なんでも好きなものを食べに行こう」と言われて「白玉ぜんざいが食べたい」と答えた彼女は、「東京では一度も食べたことがなかった」とうれしそうに食べているうちに「私は生まれてくる時代を間違った」と言い涙が止まらなくなったという。地味ではあるが好きな研究をして、慎ましやかに暮らす人間が「生きにくい」社会という世の中の捉え方には、忘れものに気づいたような感覚を抱かされた。

また久しぶりに集った仲間の集りで、普通は世間話レベルの近況報告をするであろう場面で難病の子どものボランティアをしていると話し始めた医者の話。それはいわゆる「空気が読めない」行動だったかもしれないが、それを期に皆が真剣な話をすることができた、というエピソード。そのままこなれた会話を続けていれば、それは記憶にも残らない時間になっていたかもしれない。

目的もなくふらふらすること、曖昧であることなどの値打ち(価値って言いたくないんだよな、この場合)を説き続ける著者ではあるが、その肯定ぶりは「人間はみんな素晴らしい」みたいな無責任なものではなく、かなり渋みが強い。でもその渋みが、不思議にスカッとする読後感につながっているのか。「最近、なんか違うな」と形にならないモヤモヤを感じていたら、おすすめかも。

PRIDE無差別級グランプリ決勝戦

2006年09月10日 | 格闘のお時間
時間遅れの地上波さえ見られなくなったプライドだが、今回のカードも見逃せない。再戦となるミルコとシウバや、ジョシュとノゲイラの「異種」グラウンド対決。そして久々のショーグンやハリトーノフなど、いてもたってもいられない…ということでまたまた新宿3丁目のスポーツバー、クラブハウスに出かけていった。テーブル席はとっくに売り切れだったので(早く気がつけば予約しておいたのに…)立ち見は覚悟のうえだ。

試合レポートを書くつもりはないが、観戦していて感じたことことなど。まだ西島はサイボーグのチョークでおとされてレェフリーストップ。西島はボクシング出身といっても、間合いを詰めていくタイプの総合の打撃を覚えないと厳しいなぁ。ミドル級あたりでじっくりやってはどうだろう。

第2試合は、いきなりメインイベント級のミルコ対シウバ…結果としてはミルコがハイキックでKO勝ちをおさめるのだが、緊張感の高い試合だった。コンディションの違いが出たのかもしれない。(徐々にシウバの衰えを感じるようでちょっと寂しくもあった)

続く第3試合も準決勝、ジョシュ対ノゲイラ。ジョシュのディフェンスは上手く体力的にも勝っていたが、やはりスルスルっとポジションを作るノゲイラの技術は素晴らしい。ただもうひとつキメのシャープさに欠ける印象もあった。2対1の判定でジョシュというのは微妙なところだが、店内は大盛りあがり。彼のプロレスラー臭に魅かれるファンが多かったようだ。ところでたまたま居合わせた客に聞いたのだが、彼(英語の感じからするとアメリカ人だと思う)が前日関係者と食事をしたところ、ノゲイラは怪我をしていて100%の状態ではなかったとか。もしかしたらその辺も影響したのだろうか。

その後の試合で言うと、ハリトーノフとアレキサンダーは、皇帝弟アレクの上達ぶりが目についた。逆にいうとハリトーノフってこんなもっだっけ?という印象も。テヒョン対モラエス、中村対中尾ははっきり言ってレベルに達してない。ショーグンの踏みつけはあいかわらずエグイが、負けたスネークも今後期待できる選手だ。アローナもしっかり(というかオーフレイムのファイターとしての線の細さが目についた)勝ったが、なんかつまんないだよな、このスタイル。

そして決勝。ジョシュの試合巧者ぶりが発揮されるか、と思ったらミルコの破壊力の前にまたも敗れてしまった。今回のミルコは体調も戦略(パンチを中心に試合を組み立て、寝技では防御に徹してスキを作らない)もベストではなかったのだろうか。それでもヒョードルの試合の「つえーっ!」というインパクトには至らなかったが、再戦は楽しみだ。

なんとなく地上波放送中止という痛手を乗り越えつつある感じのするプライド。これを期に新しいビジネスモデルを作りあげていくべきだし、そう動きつつあるのだろう。(WOWOWが降りた後のリングス崩壊をふと思い出したのだけど)今後の目玉は11月のUFC(シウバ敗戦でちょっと心配だが)、そしてヒョードルとミルコの決戦。またこの店に来ることになりそうだ。しかし4時間の立ちっぱなしはさすがに辛い。(ときどきしゃがんでたけど)ここの食べ物(フィッシュ&チップス)とかなかなか美味しいのだが、ひとりで立ち見では頼む余裕もなし。次回はじっくり飲み食いしたいなぁ。

絶望と希望の半世紀/ポスト・デジグラフィ

2006年09月09日 | ♪&アート、とか
この2つは、いずれも東京都写真美術館の展示。「絶望と…」は世界報道写真50周年記念展として催されたもの。出展された報道写真の数々はどれも歴史に残るものばかりだ。俺も目にしたことのあるものが多かったのだが、あらためて写真の事実を伝える力を感じた。そこには、当時の雑誌がメディアとして持っていたパワーも加味していたのだろう。ライフ、タイム、アサヒグラフ等々の記事は、真実を求める人々の心情に沁み込むように入っていったのかもしれない。

現在情報のスピードという点では、世界はほぼリアルタイムでつながっている。しかし自分たちは本当に物事を知っているのだろうか。パレスチナやダルフールのみならず、世界各地でいまなお続く出来事の実感はディスプレイ上で伝わっているのだろうか。報道に必要なのは、テクノロジーだけでなく伝える側の意思なのではないかと思った。(もちろんそれが公正な視点に基づいていることが前提なのだけど)

「ポスト…」の方だけど、スンマセン、もうひとつよくわかんないんですよね、俺。ひとつひとつの表現の意義や面白さは感じるんだけど、こういったものをデジタルだということでひと括りにしてしまうところがどうも馴染めない。そこに新しいムーブメントがあるのはもちろんなのだけど、制作者の個が見えてこない感じがピンとこない。こんな俺ってアナログ?(否定しないけど)

「ぱない」

2006年09月06日 | 気になるコトバたち
仕事先のナイスなお姉さまKさん(注:俺より全然若いです)と流行り言葉の話などしていたら、「某代理店のいけてる営業クンとご飯に行ったら『この味、パナイですよ!』て言われてわからなかった」とのこと。同じく全く意味不明の俺が尋ねると、「ぱない→半端じゃない」てことだって、へぇーっ。

先日もひと回り以上年下のお得意さんと某焼肉店にご一緒したのだが、おすすめのホルモン(これは最高!)を食べて反射的に「やべぇ!」と叫ばれた体験を思い出した。もちろん意味はわかっていたが、その身についた使い方にへぇーっとしたのだ。

でも「ぱない」に至っては聞いただけでは意味不明。いろんなの考えつくなぁと思ってネットに打ち込んでみると、なんと2001年くらいからその言葉についての記述がある。しかもその前身(?)の「はんぱない」はかなり普通に流通している模様。今度はへぇーっ、いうより「えーっ!」て感じである。

もしかしたら俺の知らないところで生まれて消えていく言葉というのが、結構あるのかもしれない。(まあそうだろうな、リアルに接触する人の幅は限られているし)そう考えると、ふと出あった「ぱない」がなんかいとおしいような気もする。自分じゃ使わない(使えない)と思うけどね。