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『デジタル・ナルシス』―その深淵もまた、あまりに人間的

2017年06月28日 | 読書とか

情報時代(というのも大雑把な括りだが)、その礎を創りあげた6人について書かれた一冊。各項とも初出はかつて岩波書店から発行されていた学術誌「へるめす」に1988から1990年に掲載されたものだが(7番目の「デジタル・ナルシス」のみ書き下ろし)、その内容は今も新鮮だ。

その彼らをどう呼ぶか。天才、偉人、パイオニアなど、どれも合っているようだが、しっくりこない。いずれの人物も「クセのある」キャラクターであることは間違いないが、それを「天才ゆえの極端さ」といったステレオタイプで見ることに、著者はびしっと釘を刺して回る。

フォン・ノイマン、チューリング、バベッジ、シャノン、ベイトソン、ウィーナーの6人。その全員が並外れた知力の持ち主であることは疑いがないが、著者の視線は、それ故に描き出される人間としての紆余曲折を見逃さない。ある意味、常人離れすることでより人間的である、といったパラドックスが見えてくる。

そしてそれは、単に人間描写として興味深いだけではなく、人間が科学技術という代物と向かい合うときの注意書きとしても機能してくれる。サイエンスは、決して行儀のいいものではないのだ。

今、再びAI/人工知能に注目が集まっている。しかしそこには何度落とし穴に嵌っても学習の兆しがない我々お得意の、目出度い期待や、あるいはマネーの匂いへの過敏さがないだろうか。発行から時間は経っているが、逆に今こそ読まれるべき一冊と言ってもよいだろう。

ところで最終章の7は、上記の6人の姿を通じた「デジタル・ナルシス」への総集編。実は個人的には、ここがいちばんのエッセンスではないかと思っている。まるで鍋の最後に食べる、具から染み出した旨味が凝縮されたオジヤのような(うどんで頂くのも好きですが)。この締めの技こそ、書き手としての西垣氏の真骨頂かもしれない。


デジタル・ナルシス―情報科学パイオニアたちの欲望 (岩波現代文庫)
西垣通
岩波書店