TRASHBOX

日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

PEOPLE 松崎謙

2005年07月30日 | ♪&アート、とか
旅行好きの著者が世界各地で撮り溜めてきた人々の笑顔。それがコンパクトな写真集にまとまっているのだが、その表情がなんとも自然で素敵だ。旅行先でたまたま出あった人たちがこんな顔を見せてくれるなんて、ちょっとしたマジックを感じる。撮られる方がが笑顔になるためには、撮影者となにか通じ合うものが必要なわけで、いったいそういう経験が俺にあっただろうかと数少ない旅の記憶を振り返ったりした。実は著者とはちょっと面識があるのだけど、彼の好奇心とバイタリティにはいつも感服させられる。そういうものって人に伝わるのかもしれないなぁ。
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魚金其ノ三の其ノ二

2005年07月29日 | 食べたり飲んだり
しばらくご無沙汰していた新橋、ここはやっぱり魚金かな、と足を向けると今日は空きがあった(前回覘いたらパンパンで断念)。お目当てのしめ鯖は残念ながら無し、で「冷たいあら煮」というのが興味をひいたので尋ねてみると「冷たいあら煮ですよ」と、まんまな返事のまっちゃん(松山さん)。つまり食ってみろ、つーことかなと頼んだところ、あら煮のまわりに、にこごり風のゼリーを寄せたなかなか洒落たひと皿だった。魚の部分はともかく、お箸だけではうまく取りきれないのでレンゲを借りて全部食べた。夏の一杯にグッドだけど、ちょっとひとりだと量が多いかな。

相変わらずのまっちゃん節も面白かった。しかしこの人のビジネスセンス、なかなかだと思う。いろいろ話してくれたけど、聞いてみたい人は行ってみることをお薦めします。立ち呑みが流行っているようだけど、店主よりデザイナー(とかコンサルタント)の顔がちらつく店ってどうも気持が入っていかないんだよな。そういう意味ではここはイケてます。ちなみに魚金で飲んでるカップルって、なんか力が抜けてていい感じなのだ。
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K-1MAX決勝

2005年07月28日 | 格闘のお時間
闘いのレベルは確かにあがっている。しかしその分、はっきりと勝つことも難しくなってきた。いまローキックでダウンをとるためには、よほど実力差があるかタイミングが合わなければ難しい。このクラスのスピードとパワーを考えたら、パンチの技術の低い選手は上位には上がれないだろうが、逆にそういう試合はある意味で一般受けしにくくなるだろう。もしかするとMAXは次のステップに差しかかっているのかもしれない。かつて技術的に成熟を迎えたキックボクシングがこうむった人気の低迷(沢村以外のスターを育てなかったとか、組織が機能していなかったとかその理由はいろいろあるのだけど)の影がふとよぎる。

個人的には魔裟斗の怪我が残念だ。ザンビディスは強く賢くなっているが、その間隙を縫って右ストレートでダウンをとった上手さはさすがだと思った。ザンビディスは、かつて魔裟斗にダウンを取られたトラウマでもあるのか、前回の山本KID戦や今回でも見せた飛び膝蹴りはわかりやすい。やられた事は忘れないし、またそれから学ぶ姿勢はなかなか高感度の高いファイターだと思う。この一回戦は惜しいなー。

魔裟斗の不運、コヒの不調(しかし砂浜に「世界一」と書くのは誰の演出だ...つーか本人の意思だったら怖い。肉体的素質はピカイチだと今でも思うけど、やっぱり何か根本的に見直した方がいいかも...)、ブアカーオの疲労等々、トーナメントには魔物が棲むという言い古されたフレーズは今回もしぶとく生きていた。アンディ・サワーはいい選手だが、いちばん地味なチャンプと見る向きもあるだろう。ここらで一回、ワンマッチで各選手の持ち味を出していく地固め的な展開が必要なのかもしれない。K-1MAXはそろそろ興行としての正念場を迎えているように思えてならない。
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おおきなお世話だ

2005年07月27日 | 雑感日記
ヤフーニュースからのまた読み(?)情報だけど、奥菜恵や杉田かおるらの「セレブ離婚」(いまいち意味がわからん)が続く理由を、「自らも離婚体験がある『東京家族ラボ』主宰の池内ひろ美氏が“セレブ婚”破綻を読み解いた」という記事が夕刊フジに載ったそうだ。それによると、

「女性よりも、夫に非がある。過去の例を見ると、実業人や名家の御曹司の男性側が最初に熱を上げている。名誉欲の強い実業家は、お金の次は、ステータスが欲しい。女優との結婚は高級腕時計の感覚なんでしょう。一度芸能界に入った女性が仕事と離れるのは難しいのは初めからわかっているはず。彼らは結婚の維持を考えず、結婚したという事実の方が大事。その証拠に、どのカップルも結婚式が派手でしたね(笑)」
「夫に自分をステップアップさせるプロデュース力がない、と気づくと結婚より仕事を取る。仕事に執着しない場合は、お金を要求する-」
「年齢が上がれば上がるほど、相手の人間性をよく見つめられる。すべてを理解したうえでの結婚だからでしょう」

しかしさぁ、こんな安易で適当な「推測」のどこがニュースなんだ?どこかの誰かのコメントをただ載せるだけではなく、最後に「伴侶選びは、アクセサリーを買うようにはいかないということだ」と記事を締めくくっている以上、これはこの媒体の見解を示すととられても仕方がない。異なるカップルを十把一絡げに「夫が悪い」なんて、お前見たんか、の世界だし、だいたい結婚式が派手なことが、どうして「結婚したという事実が大事」となるわけ?ジミ婚だって別れる奴は別れてるはず。いわゆる著名人のもっともらしさは、胡散臭さと紙一重だ。それとも夕刊フジの記事にブーたれる俺の方が大きなお世話?
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皇帝ペンギン

2005年07月23日 | 映画とか
La Marche De L'Empereur / The Emperor's Journey (International: English title)
Dir: Luc Jacquet

夕方の地震(電車の中で気づかなかった)でダイヤが乱れ、恵比寿に着いたのは上映5分前。土曜とは言えそれほど混んではいないだろう、と高をくくっていたら満席一歩手前のあぶないところだった。そんな苦難(?)を経て見た作品は、とてつもないサバイバルのお話でもあった。電車の遅れくらいで焦っちゃいかんね。

ストーリ自体は予想通り。冬の南極で卵を産み育てていく皇帝ペンギンたちの姿を5年の歳月に渡って撮ったという映像は確かに力作。あるものは行進の途中で力尽きたり、他の生物の餌食になったり、また若いカップルがやっと誕生した卵を扱い損ねて壊してしまったり、という厳しい状況をくぐり抜けて新しい生命が息づいていく様子は素晴らしい。ただしフランス語ナレーション(老けた印象の女性の声がロマーヌ・ボーランジェでびっくり)の演出や、間に入るフレンチ・ポップス風(?)の英語の歌などはちょっとやり過ぎ&安易な印象だ。もう少し硬質感のある見せ方があったのではないだろうか。まあフランス作品らしい、とも言えるけど。

あの真っ白な大地を迷わず移動し、極寒のなかを仲間で生き抜く智恵は「皇帝」の呼び名にふさわしいのかもしれない。しかしその彼らの生息地は、温暖化の影響で減ってきているそうだ。この映画をみて「まあ可愛い、あら大変」と言う前に、人間は自分たちのやっていることを考えるべきなのかもしれないなぁ。
コメント (3)
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